倭建系譜
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倭建系譜
倭建系譜は、景行記の文末にまとめられているが、応神記の系譜などにも分散している。そのため各記の倭建関係の系譜を集めて検討する必要がある。まず景行記文頭の系譜をみる。
(景行記文頭) この天皇、吉備臣等の祖、若建吉備津日子の女(musume)、名は針間の伊那毘能(inabino)大郎女(ouiratume)を娶りて生みませる御子は、櫛角別王。次に大碓、次に小碓、亦の名は倭男具那、次に倭根子、次に神櫛王。
また八尺入日子の女、八坂入日賣を娶りて生みませる御子、若帯日子、次に五百木入日子、次に押別、次に五百木入日賣。・・
また日向の美波迦斯(mihakasi)毘賣を娶りて生みませる御子、豊国別王。
また伊那毘能大郎女の弟、伊那毘能若郎女を娶り生みませる御子、真若王、次に日子人大兄王。
また倭建の曾孫、名は須賣伊呂大中日子王の女、訶具漏(kaguro)比賣を娶りて生みませる御子、大枝王。
凡(ouyo)そ、この大帯日子天皇の御子等、録せるは二十一王、入れ記さざるは五十九王。
併せて八十王の中に、若帯王と倭建、五百木入日子と、この三王は太子の名を負いたまいき。
・・若帯日子は天の下を治らしめき。小碓は、東西の荒ぶる神、また伏さぬ人等を平らげたまいき。
それぞれの天皇記の系譜が、その天皇の系譜とは限らない。他の天皇に関する系譜が誤って混入していたり、潤色や皇統譜の建前で挿入されることもある。皇統譜の建前とは、万世一系、つまり天皇の位が、天照大神から血縁の親子間で継承されていることである。ひとりの天皇記紀が、複数の天皇記紀で作られるのは、継続して親子間で継承されたひとまとまりの王権(王統)が戦いや謀略などで滅亡し、次の王権に交替したとき、王統(皇統)の断絶・勃興を隠蔽するためである。万世一系はあくまでも建前であって、事実はそうではない。景行記紀はその典型である。
景行の名は、二人の別の天皇の名を合成したもので、大帯日子+於斯呂和気である。景行記・景行紀は、大帯日子記紀と於斯呂和気記紀であって、双方の系譜・事跡・出来事が混在している。しかも大帯日子とは、各地域の王を統率する大王の称号であって、特定の王(天皇も含む)を指さない。系譜は、書紀は作為されて整理されておらず、古事記は原資料に近い。主として古事記の系譜を使用する。
大帯日子は複数であるが、通常は倭建を指す。そのため景行記は倭建記でもある。於斯呂和気は大和国の纏向宮(日代宮)にいる垂仁天皇の子である。
この系譜を逐条解説すると、最初の系譜の倭男具那・倭根子は、九州筑紫の倭国の皇子を示す。倭建(waken)は倭国王である。倭国とは、後漢時代107年に後漢王朝に朝貢した師升王の国である。卑弥呼・壹與も同じ王統である。針間の伊那毘能大郎女も、どの王(天皇)が娶ったかは分からない。
倭建の名は五百入日子であるが、名前に「入」があるのは、九州から近畿へ「入り来たった」ことを示している。
垂仁の父の崇神天皇の御真木入日子から始まって倭建・成務くらいに終わる。
八尺入日子・八坂入日賣も、崇神と同時期に近畿へ来ている。したがって於斯呂和気の子ではない。
日向の美波迦斯毘賣は、景行紀のいわゆる熊襲征討譚に出てくる御刀(mihakasi)媛であり、豊国別王は豊国から日向国(宮崎県)を分離建国したことを示す称号である。豊国別王を生んだ御刀媛をどの大帯日子が娶ったのか。
真若王とは総領(跡取り)のことで男女・長子末子を問わない。
大枝王は大兄王のことで長男を指す。普通名詞であるから、真若・大兄だけでは人物の特定力を持たない。
須賣伊呂大中日子王と訶具漏比賣は、倭建系譜のキーである。
太子(皇太子)とは次に王になる地位にある者で、「若帯王と倭建、五百木入日子」と三人もいる事はない。
若帯王は次の天皇の成務、倭建と五百木入日子は同一人である。
倭建は倭王の意を含む称号名であり、五百木入日子は近畿での称号名である。
古事記の注から同一人が判明するのであって、記本文編纂の時点では別人の扱いである。
倭建系譜
景行記系譜をみてきたが、全体を理解するためにも、倭建に絞ってその系譜を検討する。倭建の系譜は、景行記の文末にまとめられている。
(景行記文末) この倭建、伊玖米天皇(垂仁)の女、布多遲(futaji)伊理毘賣を娶り生みませる御子、帯中日子。
また海に入りたまいし弟橘比賣を娶り生みませる御子、若建王。・・
また一妻(aru-mime)の子、息長田別王・・
帯中津日子は、天の下治らしめき。
息長田別王の子、杭俣長日子王。この王の子、飯野真黒比賣、次に息長真若中比賣、次の弟比賣。
上に云える若建王、飯野真黒比賣を娶りて生みませる子、須賣伊呂大中日子王。この王、淡海の柴野入杵の女、柴野比賣を娶りて生む子、迦具漏(kaguro)比賣。
大帯日子天皇、この迦具漏比賣を娶りて生める子は、大江王。
この王、庶妹銀王を娶りて生む子、大名方王、次に大中比賣。この大中比賣は、香坂(kagosaka)王・忍熊王。
布多遲伊理毘賣は、垂仁記で「(垂仁の娘) 石衝毘賣、亦の名は布多遲伊理毘賣」と作為して、皇統譜垂仁系譜に繋げたもの。垂仁記の「布多遲伊理毘賣は倭建の妃となりたまいき」に対応する。布多遲伊理毘賣は応神記の注の「(九州の) 尾張連の祖、建伊那陀宿禰の女、志理都紀斗賣」である。帯中日子は仲哀天皇。
弟橘比賣の子の若建王は、倭建の弟である。倭建は大帯日子であり若帯子(成務)と兄弟である。針間の伊那毘能「大」郎女の妹が伊那毘能「若」郎女で、大と若が対応する。大吉備日子と若吉備日子など例証は多い。倭建に対する若建である。
倭建・若建の父はだれか。景行の名の大帯日子である。大帯日子は倭王の号であるから、倭建の父から倭建へと継承される。たとえば直後の「大帯日子天皇、この迦具漏比賣を娶りて」は、大帯日子を倭建とすれば、曾孫であって娶ることはできない。
したがって景行記には両人と倭建以降の大帯日子も収められている。帯日子とは、まず倭建・若建の父であり、筑紫国王であり倭王である。筑紫王と名付けておく。
杭俣長日子王と飯野真黒比賣・息長真若中比賣・弟比賣と、須賣伊呂大中日子王と迦具漏比賣の父娘系譜がある。若建ー須賣伊呂大中日子王ー大江王と、「この王」ー大中比賣ー香坂王・忍熊王の系譜がある。須賣伊呂大中日子王の須賣伊呂(sume-iro)は「統べる王」の意であり、各地の小国王を統率する大王、つまり倭王(大帯日子)である。
解明
倭建に関する系譜はこれだけではない。応神記にも末裔(子孫)の系譜がある。これらをすべて略図にして示す。系譜は血縁に従って各世代を時系列にしたものであり、下記の断片を統合してひとつの系譜にする作業、それが倭建系譜の復元である。
応神系譜文頭のアには、上宮記によって共通する若野毛二俣王をキーに凡牟都和希王(品牟都和気)が入る。上宮記の弟比彌麻和加は息長真若中比賣で間違いない。飯野真黒比賣の弟であり、かつ真若である。したがって応神文末の若野毛二俣王が娶ったのは、母の弟ではない百師木伊呂弁で、上宮記の母母思己麻和加と一致する。「亦は」の弟日賣真若比賣は二人も真若(総領)はいないから誤り。
品牟都和気=須賣伊呂大中日子王とすると、景行・倭建で一致する訶(迦)具漏比賣を娶った大帯日子は、若野(沼)毛二俣王である。その子の大枝(江)王とは、応神文末・上宮記から大郎子である。つまり、
------------------------------------------------------------------------------------- 若建王×飯野真黒比賣 ↓ 須賣伊呂大中日子王×息長真若中比賣 =須賣伊呂×柴野比賣 (品牟都和気) ↓ ↓ 大帯日子天皇(若野毛二俣王)×訶具漏比賣(百師木伊呂弁) ↓ 大枝王(大郎子・意富富等) 允恭×忍坂大中 藤原琴節郎女 -------------------------------------------------------------------------------------
これで分散した系譜に矛盾することなく、うまく説明できるようである。母の弟を娶ったのは若野毛二俣王ではなく、須賣伊呂大中日子王であった。須賣伊呂大中日子王と訶具漏比賣は異母兄妹(姉弟)である。また息長真若中比賣という「息長氏族の総領の中の比賣」という抽象名の王女が、垂仁記から佐波遲比賣であることが分かる。
大帯日子(倭王)の称号は、倭建の父の筑紫王から倭建へと継がれ、そしてほぼ確実に須賣伊呂大中日子王に連綿として継がれ、そして訶具漏比賣を娶った若野毛二俣王へだったのである。成務や仲哀でも応神・仁徳でもなかった。これらの大帯日子達の事跡がすべて景行記紀に入れられている。そのため数世代の系譜は、時間的にひとりの天皇記に納まらず、対応する天皇記に配され分散するのである。これが天皇を中心とする記紀の皇統譜である。
建内宿禰と戦った香坂王・忍熊王の系譜はどうか。
(倭建系譜) この王、庶妹銀王を娶りて、生める子、大名方王、次に大中比賣。故、この大中比賣は、香坂王、忍熊王の御祖(mioya)なり。
「この王ー大中比賣ー香坂王・忍熊王」の三代であり、香坂王・忍熊王は須賣伊呂大中日子王軍である。すると「この王」とは、須賣伊呂→若建→大帯日子(筑紫倭王)で、筑紫倭王となる。香坂王は針間国の明石海峡を封鎖し菟餓野(神戸市灘区)で戦うことと、景行52年「皇后播磨太郎姫、薨りましぬ」と書かれていることから、針間の伊那毘能大郎女を娶ったのは、大帯日子(筑紫倭王)であったかも知れない。この場合、景行(日代宮に坐す於斯呂和気)の系譜は皆無となる。まさに断絶である。もちろん想像の域を出ないが。