『勘注系図』は5世代目の建諸隅(たけもろずみ)を由碁理(ゆごり)とする。
『古事記』によると丹波の大県主由碁理の娘、竹野比賣(たかのひめ)が 開化の妃になったとする。
ホ32226 開化7年 シハスソミカに ユギリ(由碁理)のメ(竹野比賣)
タケノミコうむ ユムズミノ イミナコモツミ(建諸隅)
よって、建諸隅(たけもろずみ)が崇神時代に活躍する以上
建諸隅(たけもろずみ)は由碁理(ゆごり)では無い。
由碁理は、孝霊時代に活躍した タケヒテルの子か同世代の人間となる。
タケヒテル(諏訪酒折)が関東の宝を孝霊に献げ、出雲に収めた、その宝を崇神時代に
建諸隅が出雲に取りに行く。
天押男(手研耳の落とし子50年頃生まれる綏靖と同世代)→○○→世襲足媛+考昭
(93年即位5才か)→孝安(119年即位)→孝霊(145年即位)→孝元(164年即位)
→開化(183年即位)→崇神(188年即位5才か)→垂仁(216年即位)
誕生は、天戸目(70年)→建斗米(90年)→建田背(110年)→タケヒテル(130年)
→由碁理(150年)→ 竹野比賣(170年)→ 建諸隅(185年)
数字をスライドして考えるのはかまわないが「歴史の定点」が必要。
この思考は
垂仁末の田道間守にも通用する。
天日槍の五世孫の田道間守を、常世の国に派遣するのは、天日槍(任那)の血を受け継いでいるから。
田道間守=都市牛利(たしうり)である。
官に伊支馬=イクメ=垂仁 が登場する。彌馬升=ヤマシロ=タタネコ
ホ37048 ミワのタタネコ ヤマシロが 次の倭王は、景行になる。
景行が魏に送り込んだのは、伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁推定30才
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫であり筑紫男王の部下であったが、女王を立てるにあたり
倭女王の部下として活躍。
筑紫男王と倭女王は親戚である、男王死後 五百野姫(壹與)が筑紫に下向。
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