古事記(고사기)

<고사기> 綏靖天皇 ~

라디오에요 2012. 5. 1. 09:05

http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/kojiki0.html 고사기

http://www.j-texts.com/jodai/kojiki2.html 아래의 것임.

 

〔綏靖天皇〕
神沼河耳命、坐葛城高岡宮、治天下也。

此天皇、娶師木縣主之祖、河俣毘賣、生御子、師木津日子玉手見命。

 

天皇御年 拾伍歳。御陵在衝田岡也。

 

 

<古事記  安寧天皇>
師木津日子玉手見命、坐片鹽浮穴宮、治天下也。

 

此天皇、娶河俣毘賣之兄、縣主波延之女、阿久斗比賣(...秋姬)、生御子、

      常根津日子伊呂泥

次、大倭日子金+且友命。(= 懿徳天皇)

次、師木津日子命。(= 八坂入彦命)

 

*河俣毘賣=

*波延(파연)= 殿延(전연)=

*殿(전)[음독] · [훈독] ·
*延(연)[음독]  [훈독]

*八坂之入日子命= 八坂入彦= 十市縣主= 磯城縣主

*沼名木之入日賣命

*十市之入日賣命(とをちのいりひめ)

*常津彦某兄(とこつひこいろね)

*葉江= 日葉酢媛 or 渟葉田瓊入媛

*阿久斗比賣

*倭國豐秋狹太雄

*十市縣主五十坂彦

http://machikomizaq.jp/users/nr-kashihara/article/57/

*十市の名称の起こりは「遠市」であると 言われて います。

或いは、道教いうと 十は 完全を 意味し、「完全なるまぼろし」と解くと あります。

十市は 止保知「とほち」と読まれ、

「とをち・とうち」となり、

さらに「といち」となりました。

どこの市から 遠いのかと言えば 磯城の大市に 対してで、

大市は 卑弥呼のお墓では ないかといわれて いる 箸中山古墳が 大市墓と呼ばれる事からも、

現在の 桜井市 纒向(まきむく)の中心地に あったらしいことが 知られて います

★『日本書紀』卷四 安寧天皇 三年(乙卯 前五四六)正月 壬午《五》◆   安寧 3年  => 安寧 5年, 149年, 1月.

三年 春正月 戊寅朔 壬午。渟名底仲媛命〈亦曰 渟名襲媛。〉爲皇后。〈一書云。磯城縣主葉江川津媛。一書云。大間宿禰糸井媛。〉先是后生二皇子。第一曰 息石耳命。第二曰 大日本彦耜友天皇。〈一云。生三皇子。第一曰 常津彦某兄。第二曰 大日本彦耜友天皇。第三曰 磯城津彦命。〉

 
*大矢口宿禰 = 大間宿禰.

*常根津日子伊呂泥命= とこねつひこいろね

 

此天皇之御子等、并三柱之中、大倭日子金+且友命者、治天下。

 

次、師木津日子命之子、二王坐。

一子孫者、〈伊賀須知稻置那婆理稻置三野稻置之祖〉

一子、和知都美命者、坐淡道之御井宮

故、此王有二

兄名 蝿伊呂泥。亦名 意富夜麻登久邇阿禮比賣命(= 大倭國生姬命)

弟名 蝿伊呂杼也。

 

天皇御年、肆拾玖歳(49살)。御陵在畝火山美富登也。

 

*知知都美命= 石衝別命

*讚岐佐伯氏

*迦具比売命(かぐひめ)=

*袁辨王(오사베노오우, )

 

+*渟名底仲媛命ぬなそこなかつひめ)は、安寧天皇皇后

日本書紀』本文での皇后。渟名襲媛とも。

事代主の子 鴨王の娘。母は不明。安寧3年に皇后になる。

先代旧事本紀』では

「三世孫 天日方奇日方命 亦名 阿田都久志尼命 此命娶日向賀牟度美良姬 生一男一女 兒 健飯勝命 妹 渟中底姬命 此命 片鹽浮穴宮天皇 安寧 片鹽浮穴宮 或本坐輕地曲峽宮 立為皇后 誕生四兒 即 大日本根子彥耜友天 懿德 次 常津命 次 磯城津彥命 次 手研彥奇友背命也」

 

古事記』での皇后は、

師木県主 波延の娘 阿久斗比売

 

『日本書紀』第1 の一書で の皇后は

磯城県主 葉江の娘である 川津媛

第2 の一書で の皇后は

大間宿禰の娘である 糸井媛

 

http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/hokusetu-akuto.html

①諏訪大明神:建御名方富命・八坂入姫命 --摂陽群談(1701)・名葦探杖(1675)
羽山戸神大気都比売との御子・秋比売阿久斗比売の別名ともいう)

 

*秋=

 

 

 

 

 

 

 

 

<古事記  懿徳天皇>
大倭日子金+且友命、坐輕之境岡宮、治天下也。

 

(觀松比古命) 此天皇、娶師木縣主之祖、賦登麻和訶比賣命。亦名 飯日比賣命、生御子、

      御眞津日子訶惠志泥命(= 孝昭)。

次、多藝志比古命故、御眞津日子訶惠志泥命者、治天下也。

次、當藝志比古命者、〈血沼之別、多遲麻之竹別、葦井之稻置之祖〉

 

天皇御年、肆拾伍歳。御陵在畝火山之眞名子谷上也。

 

 

〔古事記 孝昭天皇〕
御眞津日子訶惠志泥命。坐葛城掖上宮。治天下也。 

 

(阿麻都卑命)此天皇。娶尾張連之祖。奧津余曾之妹。名余曾多本毘賣命。生御子。

   天押帶日子命(= 天足彦国押人命)。

次大倭帶日子國人命。

 

。帶日子國忍人命者。治天下也。 

 

兄天押帶日子命者。

<春日臣。大宅臣。粟田臣。小野臣。柿本臣。壹比韋臣。大坂臣。阿那臣。多紀臣。羽栗臣。知多臣。牟邪臣。都怒山臣。伊勢飯高君。壹師君。近淡海國造之祖也。> 

 

天皇御年玖拾參歳。御陵在掖上博多山上也。(93살)

 

(孝昭天皇= 意富伊我都命(みまつひこかえしね)

(御真津比売命(みまつひめ、観松姫命) )

 

*大年神 娶 香用比売(かよひめ)

*奧津余曾(おきつよそ)=

*余曾多本毘賣命(よそたほびめ)= 日置姫

*世襲足媛命(よそたらしひめ)

 

http://gejirin.com/src/O/okituyoso.html

天忍男命は、葛木の剣根命の娘の 賀奈良知姫(かならちひめ)を 妻とし 二男一女を 生む。 

即ち, 尾張連の祖の瀛津世襲命(葛木彦命)建額赤命(タケヌカアカノミコト)、世襲足姫命

 

http://gejirin.com/src/Ta/takedutugusa.html

*建箇草命。竹筒草命。 
弥彦の四世の孫に当たる。 
嗣子が なかったらしく オオヤマトフトニ(孝霊天皇)によって タケヒテル(武日照命)の子のタケトメ(建斗米命。武刀米命)が 養子に 入って 後を 嗣ぐ。

 

----------------------------------------------------------------------------------------------

『日本書紀』孝昭天皇

觀松彦香殖稻天皇。大日本彦耜友天皇太子也。母皇后 天豐津媛命息石耳命之女也。

 

『日本書紀』孝昭天皇 二十九年 正月 丙午《三》 孝昭 29年 => 孝昭 31年, 184年, 1月.

廿九年 春正月 甲辰朔 丙午。立世襲足媛爲皇后。〈一云。磯城縣主 葉江女 渟名城津媛。一云。倭國豐秋狹太雄女 大井媛也。〉后生天足彦國押人命。日本足彦國押人天皇。

 

『日本書紀』孝安天皇

日本足彦國押人天皇。觀松彦香殖稻天皇第二子也。母曰 世襲足媛。尾張連遠祖 瀛津世襲之妹也。

----------------------------------------------------------------------------------------------

 

 

〔古事記 孝安天皇〕
大倭帶日子國押人命。坐葛城室之秋津宮。治天下也。

 

此天皇。姪(兄の娘)忍鹿比賣命。生御子。

   大吉備諸進命(= 八綱田命)。

次大倭根子日子賦斗邇命(孝靈天皇)。

 

=====>

*大吉備諸進命= 八綱田命

*武諸隅(たけもろすみ)

 

http://kumoi1.web.fc2.com/CCP119.html

○大吉備諸進命(おおきびのもろすすみのみこと)。【「」を師(賀茂真淵)は「すみ」と読んだが、やはり「すすみ」だろう。】

この御子は 書紀に 見えないが、これは 孝霊天皇の皇子「比古伊佐勢理毘古(いこいさせりびこ)命、またの名大吉備津日子(おおきびつひこ)命を この天皇の御子とでも 伝え誤ったのか。というのは、この子に「吉備」という名を 付ける理由が なく、また「進」も「伊佐勢理」と同意だからである。【そのことは、そこで言う。】

*([古事記 孝靈天皇]

大倭根子日子賦斗邇命、坐黒田廬戸宮、治天下也。)

 

故大倭根子日子賦斗邇命(孝靈天皇)者。治天下也。

天皇。御年壹佰貳拾參歳(113살)。御陵在玉手岡上也。

 

(*孝靈天皇 = 倭得玉彥命= 彦坐王= 川上眞若命= 市大稻日命。

孝靈의 子= 大矢田命, 大田田根子命)

 

 

*玉勝= (たまかつ)

*たま‐かつま【玉勝間】
  [名]かつまの美称。編み目の細かい竹籠。

---------------------------------------

 

 

<古事記 孝靈天皇>
大倭根子日子賦斗邇命、坐黒田廬戸宮、治天下也。

 

(孝靈天皇) 此天皇、十市縣主之祖、大目之女、名細比賣命、生御子、

大倭根子日子國玖琉(孝元天皇)

 

又娶春日千千速眞比賣、生御子、

千千比賣命

 

又娶 意富 夜麻登 玖邇 阿禮比賣命(蝿伊呂泥)、生御子、 (*玖邇= 国)= 倭国香媛 = 灙某姉(ハエイロネ)

       夜麻登登母母曾毘賣命。= 倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)命

次、日子刺肩別命(ひこさしかたわけ)。 =日子判肩別命= 亦名 吉備津日子命。= 八綱田命= 倭建

次、比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりびこ)。= 彦五十狭彦命(ひこいさせりひこ)= 垂仁天皇의 母.

次、倭飛羽矢若屋比賣(やまととはややひめ)  = 倭迹迹稚屋姫(やまとととわやひめ)= 倭迹迹日稚屋姫)。

 

*吉備津日子命= 八綱田命.

*若日子吉備津日子命= 建王= 倭建命.

*芹= 미나리.

 

又娶其 阿禮比賣命之弟、蠅伊呂杼(はへいろど)、生御子

       日子寤間命(ひこさめま)。= 彦狹

亦名 日子吉備津日子命 = 稚武彦命(わかたけひこ)。

 

*蠅伊呂杼(はへいろど)= 絚某弟(はえいろど)= 弟橘媛(和知津彦命の妹)

*오매간[寤寐間]

때나 깨어 있을 때나 .

 

---------------------------------------------------------------------------

★『旧事』成務天皇の時、大入来命の孫・ 彦狹嶋命を 能登の国造に する。

*彦狹嶋は、越智皇子と云ふ。

御母は 弟橘媛

---------------------------------------------------------------------------

 

此天皇之御子等、并八柱。〈 男王五。女王三。 〉

 

故、大倭根子日子國玖琉命(孝元天皇)、治天下也。

 

吉備津日子命若建吉備津日子命、二柱相副(=> 相父子)而、於針間氷河之前、居忌瓮而、針間爲道口以言向和吉備國也。

故、此吉備津日子命、                      <吉備上道臣之祖也。〉

次、日子吉備津日子命者(= 建王)、〈吉備下道臣、笠臣祖。〉

次、日子寤間命者、   〈針間 牛鹿臣之祖也。〉     *針間(播磨)の牛鹿(宇自可)(うじか)氏の祖

次、日子刺肩別命者、〈高志之利波臣豐國之國前臣五百原君角鹿海直之祖也。〉

 

天皇御年、壹佰陸歳。御陵在片岡馬坂上也

------------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

<古事記 孝元天皇>
大倭根子日子國玖琉命、坐輕之堺原宮、治天下也。

 

(孝靈天皇) 此天皇、娶穂積臣等之祖、内色許男命 妹、内色許賣命。生御子、

      大毘古命(大彦命= 孝元天皇)。

次、少名日子建猪心。(= 建膽心大禮命)?? (정체불명의 인물이 들어감) <== 夜麻登登母母曾毘賣命= 倭迹迹日百襲姫命이 들어가야 함.

次、若倭根子日子大毘毘命(= 開化天皇)。

 

*『日本書紀』孝元天皇 七年(癸巳 前二〇八)二月 丁卯

七年 春二月 丙寅朔 丁卯。立鬱色謎命爲皇后。后生二男一女。

第一曰 大彦命。(= 孝元天皇)

第二曰 稚日本根子彦大日日天皇。(= 開化天皇)

第三曰 倭迹迹姬命。〈一云。天皇母弟 少彦心命也。〉 *建猪たけいご= 男おご.

 

伊香色謎命彦太忍信命

 

*崇神天皇 卽位前紀 (崇神 1年, 247年, 1月)

御間城入彦五十瓊殖天皇。稚日本根子彦大日日天皇第二子也。母曰 伊香色謎命

 

====>

(孝靈天皇) 此天皇、十市縣主之祖、大目之女、名細比賣命生御子、

      大毘古命(大彦命= 孝元天皇)

次、若倭根子日子大毘毘命(= 開化天皇)。

次、夜麻登登母母曾毘賣命(= 倭迹迹日百襲姫命).

 

http://kumoi1.web.fc2.com/CCP121.html

○少名日子建心命(すくなびこたけいごころのみこと)。

「日子」の「日」は 少名毘古那神の例によって、濁って 読む。

「少名日子」は 兄の「大毘古」に 対して 言う 名で、【いにしえは 「大」と「少」を 対照的に 使った 例が 多い。】

「猪心(いごころ)」は 勇猛な 心を 言うのだろう。【書紀に 「男心(おごころ:旧仮名 ヲゴコロ」とあるのを 考えれば、

「猪(ゐ)」は 「緒(を)」の誤りのようにも 思えるが、】

 

書紀の景行の巻(三年)に 「屋主忍男武心(やぬしおしたけおごころ:旧仮名 ヤヌシオシヲタケヲゴコロ)命とあるのを、「一にいわく、心(たけいごころ:旧仮名タケヰゴコロ)」とある。

旧事紀には、伊香色雄命の子に 「建膽心大禰(たけごころおおね:旧仮名タケイゴコロオホネ)命

【「猪(ヰ)」と「膽(イ)」では音が違うが、似ているので引いた。】という名も ある。

【とすると「男心」とも 「猪心」とも 伝わったのだ。】

 

*少名日子建心命= 屋主忍男武

*内色許男命= 崇神天皇.

 

又娶 内色許男命之女、伊迦賀色許賣命(伊香色許命= 伊香色迷)、生御子、

        比古布都押之信命(ひこふつおしのまこと)。

 

====>

(建御名方) 又娶 内色許男命伊迦賀色許賣命(伊香色許命= 伊香色迷命)、生御子、

        内色許男命= 崇神天皇

 

*比古布都押之信命(ひこふつおしのまこと)= 彦太忍信命(ひこふつおしのまこと)。

 

---------------------------------------------------------------

(( http://homepage1.nifty.com/moritaya/kokuzou12.html

日本書紀では 武内宿禰の親は 屋主忍男武心命となって いる。亦の名 武猪心
紀直の遠祖 菟道彦 影媛が 母親である。

古事記では 比古布都押之信命と、木国造 宇豆比古 山下影日売となっている。

 

日本書紀の彦太忍信命からすると
屋主=比古=彦、太=布都、押=忍、信=心といったところのリンク状態です。

古事記では 5人である。
大彦命、開化帝、少名日子建猪心命比古布都押之信命建波邇夜須比古

 

日本書紀では、4男1女である。
大彦命、開化帝、倭迹迹日百襲姫命彦太忍信命武埴安彦命

 

*屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおごころ)

*少名日子建猪心命(すくなひこたけいごころ)  ))

-----------------------------------------------------------

 

又娶 河内青玉之女、名波邇夜須毘賣。生御子、

       建波邇夜須毘古命(たけはにやすびこ, = 建波邇安王, 武埴安彦(たけはにやすひこ)。

 

此天皇之御子等、并五柱。

故、若倭根子日子大毘毘命者(開化天皇)、治天下也。

 

其兄大毘古命之子、

       建沼河別命者、(たけぬなかわわけ)= 渟葉田瓊入媛의 남자이름임. 阿倍臣等之祖。〉

次、比古伊那許士別命(= 比古伊那許士別命)〈 此者 膳臣之祖也。 〉

 

===>比古伊那許士別命=

 

比古布都押之信命、娶尾張連等之祖、意富那毘之妹、葛城之高千那毘賣、生子、

      味師内宿禰。〈 此者、山代内臣之祖也。 〉

 

*高千那毘賣=

*味師内宿禰(うましうち)=

 

(武雄心命) 又娶木國造之祖、宇豆比古山下影日賣、生子、

      建内宿禰

 

此建内宿禰之子、并九。〈 男七。女二 〉

 

      波多八代宿禰者、〈 波多臣、林臣、波美臣、星川臣、淡海臣、長谷部君之祖也。 〉

次、許勢小柄宿禰者、〈 許勢臣、雀部臣、輕部臣之祖也。 〉

次、蘇賀石河宿禰者、〈 蘇我臣、川邊臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣等之祖也。 〉次、平群都久宿禰者、〈 平群臣、佐和良臣、馬御〓連等祖也。 〉

次、木角宿禰者、      〈 木臣、都奴臣、坂本臣之祖。 〉

次、久米能摩伊刀比賣。

次、怒能伊呂比賣。

次、葛城長江曾都毘古者、〈 玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣等之祖也。 〉

  又 若子宿禰、         〈 江野財臣之祖。 〉

 

此天皇御年、伍拾漆歳。御陵在劔池之中岡上也。

                   (57살)

 

*http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/6-1-ounabi.html

 

--------------------------------------------------------------------------------------------

 

 

<古事記 開化天皇>
若倭根子日子大毘毘、坐春日之伊邪河宮、治天下也。

 

此天皇、娶旦波之大縣主、名由碁理之女、竹野比賣、生御子、

   比古由牟須美命(ひこゆむすみ)= 彦湯産隅命(ひこゆむすみ)= 建諸隅命(たけもろずみ)。

 

===>

旦波之大縣主 由碁理 生御竹野比賣

 

*由碁理= 比古由牟須美命= 彦由麻須命= 彦湯産隅命= 建諸隅命.

*고사기 문장이 망가져 있음.

*丹波縣主 由碁理命(たんば あがたぬし ゆごり)

 

*建諸隅命 -- 孝靈天皇 -- 孝元天皇 -- 開化天皇 -- 彦湯産隅命 -- 彦坐王 -- 倭迹迹日百襲姬命 -- 日葉媛  (X)

*-- 彦湯産隅命(丹波道主王) -- 孝靈天皇 -- 孝元天皇           (o)         

                                                           -- 開化天皇

                                                           --  倭迹迹日百襲姬命

                                        -- 日葉媛 

*彦湯産隅命 --- 彦坐王 ---  倭迹迹日百襲姬命 --- 日葉媛(일엽초원)

*建諸隅命 --- 日葉媛(일엽초원)

 

又娶 庶母 伊迦賀色許賣命、生御子、

      御眞木入日子印惠命(崇神天皇)。

次、御眞津比賣命。(みまつひめ、= 観松姫命, 垂仁天皇之女)

 

(建諸隅命) 又娶丸邇臣之祖、日子國意祁都命之意祁都比賣命、生御子、

     日子坐王。

 

*意祁都比賣命= 意富阿麻比賣= 大海姬

*意祁都比賣命의 남편= 建諸隅命.

 

又娶 葛城之垂見宿禰之女、亶+鳥比賣、生御子、

     豐波豆羅和氣

_________________________________________________________________________________________________

上所謂、建豐波豆羅和氣者、〈道守臣忍海部造、御名部造、稻羽忍海部、丹波之竹野別依網之阿毘古等之祖也。〉_________________________________________________________________________________________________

 

*豐波豆羅和氣王= 建諸隅命.

*葛城之垂見宿禰= 葛城之垂水宿禰

*亶+鳥比賣= 鷲比売= 比売.

 

http://kumoi1.web.fc2.com/CCP122.html

『古事記傳』

○垂見宿禰(たるみのすくね)。

名の意味は 思い付かない。地名では ないだろうか。

【延喜式神名帳に 「摂津国 豊嶋郡、垂水神社」が ある。

和名抄に 「播磨国明石郡、垂見は 『たるみ』」などとある。「垂水」のことは 冠辞考に 詳しい。】

書紀の神功の巻に、依網吾彦男(よさみのあびこお)垂見という名が 見える。

 

*『日本書紀』卷九 神功皇后攝政前紀 仲哀天皇 九年(庚辰 二〇〇)九月 己卯 (仲哀 9年, 331年, 9月)
(................)因以依網吾彦男垂見爲祭神主。(................)

 

○ワシ(亶+鳥)比賣(わしひめ)。 比賣

「亶+鳥」は「わし」と読む。朝倉の宮の天皇(雄略)の御陵の地名、高ワシを 書紀では 高鷲と書いているからだ 。【新撰字鏡では 「ワシ(亶+鳥)は 『はやぶさ』」と見え、和名抄では 「は、兼名苑に いわく 『イン(覃+鳥)は、一名は ワシ(亶+鳥)、である。

野王が 考えるに、鷂は 鷹に似て 小さい』、漢語抄に いわく、『はしたか』」とあって、鷲とは別だが、

一般に 草木鳥獣の名は、いにしえには思い付くままに 字を 当てて いたので、

その字に こだわって はいけない。この記ではにも この字を 書いて いる。「たか」と読むのは 良く ない。】

これは、この鳥に因んで名付けたのか。【鳥の名を 付けた例は 多い。】それとも借字か、定かでない。

 

○建豊波豆羅和氣王(たけとよはづらわけのみこ)。

諸本共に 「王」の字が 脱けて いるのを、延佳が 補ったのは 正しい。

「はづら」の意味は 分からない。

「わけ」のことは 日代の宮の段で 言う。書紀には この者は ない。

【旧事紀には 武齒頬命(たけはづらのみこと)とある。】

 

此天皇之御子等、并五柱〈 男王四。女王一。 〉

 

故、御眞木入日子印惠命者(崇神天皇)、治天下也。

 

其兄 比古由牟須美王之子

       大筒木垂根王。

次、讚岐垂根王。

 

*比古由牟須美王= 由碁理= 建諸隅命

*大筒木垂根王= 大矢口=

*讚岐垂根王=

 

此二王之女、五柱坐也。

 

日子坐王、娶山代之荏名津比賣、亦名苅幡戸辨 生子、

      大俣王

次、小俣王

次、志夫美宿禰

 

===>

志夫美宿禰王(佐佐君之祖)、娶 生子、

      大俣王

次、小俣王

 

*磐鹿六雁(いはかむつかり)=波我牟都加利命

*彦太忍信命은 孝元의 子,

*孝元의 子= 伊加利乃命= 菅牽命

 

又娶 春日建國勝戸賣之女、名 沙本之大闇見戸賣、生子、

      沙本毘古王(= 狭穂彦王)。

次、袁邪本王

次、沙本毘賣命。亦名 佐波遲比賣(沙本賣命= 狭穂姫)。〈沙本毘賣命者、爲伊久米天皇

次、室毘古王(室彦命)。

 

*袁邪本王=

*袁邪辨王=

 

又娶 淡海御上祝 伊都玖 天之御影神之女、息長水依比賣、生子、

       丹波比古多多須 美知宇斯王

次、水穂之眞若王。= 膽香足姬命= 鐸石別命= 五十日足彦命= 大中姬命

次、神大根王(神骨)。亦名 八瓜入日子王 = 八坂入彦命= 十城別命??.

次、五百比賣。= 五百野皇女.

次、御井津比賣

 

===> 又娶 淡海御上祝 伊都玖息長比賣

 

*伊都玖= 石衝別命= 五十瓊敷命.

*水穂之眞若王= 水齒媛= 膽香足姬命= 五十香足彦命= 鐸石別命= 五十日足彦命= 大中姬命

*息長比賣= 水穂之眞若王= 膽香足姬命= 息長水仍比賣命(식장수잉비매명).

*依(의)= 仍(잉)= 穗(수).

 

http://www1.atchs.jp/test/read.cgi/tokyoblog/1177103371/

*五十香足彦命(神櫛王は 木国の 酒部 阿比古、宇多 酒部の祖 <古事記>)

                      (神櫛皇子は 讃岐国造の始祖 <日本書紀>)

(崇神天皇) 又娶 其母弟 袁祁都比賣命、生子、

       山代之眞若王。= 五十瓊敷命

次、比古意須王(ひこおすのみこ)。= 彦押(忍)

次、伊理泥王。=入兄

 

*眞若= 大筒木垂根王= 大木別垂根命= 大矢口宿祢

*おす= 押= 忍.

*泥= 姉

 

凡日子坐王之子、并十一王。

 

故、兄大俣王之子、曙立王、次菟上王。

 

  此 曙立王者、〈 伊勢之品遲部君、伊勢之佐那造之祖。 〉

      菟上王者、〈 比賣陀君之祖。 〉

次、小俣王者、〈 當麻勾君之祖。 〉

次、志夫美宿禰王者、〈 佐佐君之祖也。 〉

次、沙本毘古王者、〈 日下部連甲斐國造之祖。 〉

次、袁邪本王者、〈 葛野之別、近淡海蚊野之別祖也。 〉

次、室毘古王者、〈 若狹之耳別之祖。 〉

 

知能宇志、娶丹波之河上之摩須郎、生子、

      比婆須比賣命。

次、眞砥野比賣命。

次、弟比賣命。

次、朝廷別王(조정별명)

 

*知能宇志=

*押=

 

 

朝廷別王者、                               〈三川之穂別之祖。〉

美知能宇斯王之弟、水穂眞若王者、<近淡海之安直之祖。〉 <==  *近淡海安國造之祖、布多遲比賣

次、神大根王者、                            〈三野本巣國造。長幡部連之祖。〉

 

次、山代之大筒木眞若王、娶同母弟 伊理泥王之女、丹波能阿治佐波毘賣、生子、

      迦邇米雷王

 

*==> 山代之大筒木眞若王之弟, 伊理泥王之母、丹波能阿治佐波毘賣、生子、

      迦邇米雷王

 

*==> (崇神天皇) 娶彦坐之女、(渟葉田瓊入媛)、生子、

      迦邇米雷王(= 祖別命= 八綱田命)

 

*阿治佐波毘賣(あじさはびめ)= 丹波能阿治佐波毘売(たにはのあじさはびめ)

*渟葉田瓊入媛=沼羽田入比売=丹波の渟葉田瓊入媛(ぬばたにいりびめ)

*迦邇米雷王= 雷別命= 祖別命= 八綱田命

*稚筒城王= 八綱田命

 

http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/bbs0209/bbs/457.html

古代の食べ物といえば、森浩一『食の体験文化史』は 面白いです。
 

『古事記』開化記に、丹波の「阿治佐波比売」が出てきます。
「僕には アジ(아지)・サバ(사바)・ヒメ(히메)と読める。

(略)もしそう読めるなら魚名にちなんだ神名としてもおかしくない」とありました。

(森浩一『食の体験文化史』106頁)

 

しかし、「阿治」は アジガモ鴨)のアジで「」の意味でしょう。

佐波(さは)」は「沙庭」でしょう。

阿治佐波比売は、「鴨の沙庭の媛」ということになるのでは ないでしょうか。
魚より 鴨(或いは 鴨氏)にちなんだ神名だろうと思いますよ。

 

 

此王、娶丹波之遠津臣之女、名高材比賣、生子、

      息長宿禰王

 

此王、娶葛城之高額比賣、生子、

      息長帶比賣命

次、虚空津比賣命

次、息長日子王。〈 此王者、吉備品遲君針間阿宗君之祖。 〉

 

息長宿禰王、娶河俣稻依毘賣、生子、

       大多牟坂王。〈 此者多遲摩國造之祖也。 〉

 

===> 八綱田命 娶大多牟坂王(=膽香足姬命)、生子、

        河俣稻依毘賣

 

上所謂、建豐波豆羅和氣者、〈道守臣忍海部造、御名部造、稻羽忍海部、丹波之竹野別、依網之阿毘古等之祖也。〉

 

天皇御年、陸拾參歳。御陵在伊邪河之坂上也。

                (63살)

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

<古事記 崇神天皇>
御眞木入日子印惠命、坐師木水垣宮、治天下也。

 

(彦坐王) 此天皇、娶木國造、名荒河刀辨之女、遠津年魚目目微比賣、生御子、

      豐木入日子命。          <== 원래는 伊香色雄命을 말함.

次、豐[金+且]入日賣命。<== 원래는 伊香色迷命을 말함.

 

*荒河刀辨, 遠津年魚目目微比賣

 

*15、谷上刀婢(たにかみとべ) = たにかみ= たなかみ.

近江国 栗太郡田上、太古からの 信仰の山「太神〈たなかみ〉山」を 中心とする 湖南の地。

大津市 田上地区。

物部 八世孫 ・倭得玉彦〈やまとたまひこ〉命と婚す。

 

*八世孫 - 倭得玉彥命. 亦云, 市大稻日命. 建諸隅命子也.
此命, 淡海國 谷上刀婢 為妻, 生一男 一女.

*淡海国(おうみのくに)の谷上刀婢(たなかみとべ)を 妻とし、一男 一女を 生み 、

 

*遠津 年魚目目 比賣

= おつ あゆめめ くはし ひめ

= とほつ あゆめめ くはし ひめ

= とおつ あゆめま くわし ひめ

= とほつ あゆめま くはし ひめ

= 遠津 年魚眼

= 遠津 年魚眼 媛      

 

*くわ・し〔くはし〕【▽細し/▽美し

http://club.ap.teacup.com/hagi/703.html

小学館『日本国語大辞典』第二版に、
くわし・い[くはしい]美・細・妙・詳・委・精】〔形口〕文くは・し〔形シク〕

[一](美・細・妙)こまやかで美しい。

精妙である。

うるわしい。

*日本書紀〔七二〇〕欽明一三年一〇月(寛文版訓)

「朕昔より来(このかた)、未だ曾(かつ)て是の如く微妙(クハシキ)法(のり)を聞くこと得ず」

*万葉集〔八C後〕一三・三三三一「忍坂(おさか)の山は 走り出の よろしき山の 出で立ちの 妙(くはしき)山ぞ〈作者未詳〉」

*今昔物語集〔一一二〇頃か〕一〇・三四「瓔珞(やうらく)の響・玉の音、打合て細(くはし)く鳴り合へり」

*和玉篇〔一五C後〕「 クワシ タヱナリ」[二](詳・委・精)①細かい点にまでゆきわたっているさま。

詳細である。つまびらかである。つぶさである。

*日本書紀〔七二〇〕垂仁 二五年 一〇月(熱田本訓)

「先の皇(みかと)御間城天皇、神祇を 祭祀りたまふと 雖も、微細(クハシク)は 未だ 其の源根(もと)を 探(さく)りたまはずして、粗(おろそか)に 枝葉(のちのよ)に 留めたまへり」

 

*大名草戸畔(오호なぐさとべ)= 荒河戸畔(あらかわとべ)= 谷上刀婢(たなかみとべ)

*渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ)

 

<古事記 崇神天皇>
又娶尾張連之祖、意富阿麻比賣(大海媛)、生御子、
       大入杵命。
次、八坂之入日子命。
次、沼名木之入日賣命。
次、十市之入日賣命。

 

===> (五十瓊敷入彦命= 印色之入日子命) 又娶(膽香足姫命)生御子、

次、八坂之入日子命。   = 八坂入彦命= 香坂王

次、沼名木之入日賣命。= 渟中城入姬命= 八坂入姬命

次、十市之入日賣命。   = 弟姬= 印南別嬢= 五百野皇女= 五百城入姬皇女

 

----------------------------------------------------------

 五十瓊敷入彦命(膽香足姫命)、誕生 一男 二女.
      即, 八坂入彦命.    = 香坂王
    次, 渟中城入姬命. = 渟中城入姬命= 八坂入姬命
    次, 十市瓊入姬命. = 弟姬= 印南別嬢= 五百野皇女= 五百城入姬皇女

 

*印色之入日子命= 五十瓊敷入彦命

-----------------------------------------------------------

 

(妃:尾張大海媛(おわりのおおあまひめ、意富阿麻比売= 葛木高名姫命) = 建宇那比命女

(『先代旧事本紀』天孫本紀)

 

*父: 建宇那比命= 大那比命(綿積命).

 

(天皇)、又娶大毘古命之女、御眞津比賣命、生御子、

      伊玖米入日子伊沙知命(活目入彦五十狭茅天皇= 垂仁天皇)

次、伊邪能眞若

次、國片比賣

次、千千都久和比賣命(千千衝倭姫)。= 石衝毘賣命= 大倭姬命

次、伊賀比賣。= 膽香足姬命= 鐸石別命= 五十日足彦命= 大中姬命

次、倭日子命。= 倭彦命= 稚城瓊入彦命

 

此天皇之御子等、并十二柱。〈男王七。女王五也〉

故、伊久米伊理毘古伊佐知命者(垂仁天皇)、治天下也。

 

次、豐木入日子命者、〈上毛野君、下毛野君等之祖也〉

妹   豐金+且比賣命者、〈拜祭伊勢大神之宮也〉

次、大入杵命者、〈能登臣之祖也〉

次、倭日子命。〈此王之時、始而於陵 立人垣 

 

天皇御歳、壹佰陸拾捌歳。〈戊寅年 十二月 崩〉御陵在山邊道勾之岡上也。

 

 

 

<古事記 垂仁天皇>
伊久米伊理毘古伊佐知命、坐師木玉垣宮、治天下也。

 

此天皇、娶、沙本毘古命之妹、佐波遲比賣命、生御子、

       品牟都和氣命(= 八綱田命)

 

又娶、旦波比古多多須美知宇斯王之女、氷羽州比賣命、生御子、

       印色之入日子命。= 五十瓊敷入彦命= 大矢口宿禮= 磐衝別命= 石衝別命

次、大帶日子淤斯呂和氣命(경행)。

次、大中津日子命。= 膽香足姬命

次、倭比賣命。= 大倭姬命

次、若木入日子命。= 稚城瓊入彦命

 

又娶、其氷羽州比賣命之弟、沼羽田之入毘賣命、生御子、

      沼帶別命。= 沼代郎女

次、伊賀帶日子命= 大中津日子命= 大中津比賣命= 五十日帶日子王= 五十日足彦命= 大根王= 神大根王= 大吉備比賣= 膽香足姬命= 五十香足彦命

 

*沼羽田之入毘賣命= 渟葉田瓊入媛

 

又娶、其沼羽田之入日賣命之弟、阿邪美伊理毘賣命、生御子、

      伊許婆夜和氣命。

次、阿邪美比賣命。

 

又娶大筒木垂根王之女、迦具夜比賣命、生御子、

       袁邪辨王。〈 一柱 〉

 

-----------------------------------------------------------------------------

*<古事記 景行天皇>

又娶、倭建命曾孫、名須賣伊呂大中日子王之女、訶具漏比賣、生御子、 大枝王

 

*<古事記 景行天皇>

==> 大枝王  又娶、倭建命叔母、名須賣伊呂大中日子王、生御女 訶具漏比賣(香鹿比賣)

-----------------------------------------------------------------------------

 

又娶山代大國之淵之女、苅羽田刀辨、生御子、

       落別王

次、五十日帶日子王

次、伊登志別王(伊登志和氣王)。

 

又娶其大國之淵之女、弟苅羽田刀辨、生御子、

      石衝毘賣命亦名 布多遲能伊理毘賣命。(x)

 

凡此天皇之御子等、十六王。〈 男王十三、女王三 〉

 

故、大帶日子淤斯呂和氣者、治天下也。〈 御身長、一丈 二寸、御脛長 四尺 一寸也。 〉

 

次、印色入日子命者、作血沼池。又作狹山池。又作日下之高津池

又坐鳥取河上宮、令作横刀壹仟口、是奉納石上神宮。即坐其宮、定河上部也。

 

次、大中津日子命者、〈 山邊之別、三枝之別、稻木之別、阿太之別、尾張國之三野別、吉備之石无別、許呂母之別、高巣鹿之別、飛鳥君、牟禮之別等祖也。 〉

次、倭比賣命者、〈 拜祭伊勢大神宮也。 〉

次、伊許婆夜和氣王者、〈 沙本穴太部之別祖也。 〉

次、阿邪美都比賣命者、〈 嫁稻瀬毘古王。 〉

次、落別王者、〈 小月之山君、三川之衣君之祖也。 〉

次、五十日帶日子王者、〈 春日山君、高志池君、春日部君之祖。 〉

次、伊登志和氣王者、〈 因無子而、爲子代定伊登志部。 〉

次、石衝別王者、〈 羽咋君、三尾君之祖。 〉

次、布多遲能伊理毘賣命者、〈 爲倭建命之后。 〉

 


 

-------------------------------------------------------------------------------------------

 

 

<古事記 景行天皇>
大帶日子淤斯呂和氣天皇、坐纏向之日代宮、治天下也。

此天皇、娶、吉備臣等之祖、若建吉備津日子之女、名針間之伊那毘能大郎女、生御子、

       櫛角別王。

次、大碓命。

次、小碓命、亦名倭男具那命

次、倭根子命。

次、神櫛王。

 

*其兄 神櫛皇子。是讚岐國造

 

又娶、八尺入日子命之、八坂之入日賣命、生御子、若帶日子命(成務)。

==> 又娶、八尺入日子命之、八坂之入日賣命、生御子、若帶日子命(成務)。

 

次、五百木之入日子命。(.............)

次、(..............)    押別命

次、五百木之入日賣命又妾之子、豐戸別王。

次、沼代郎女又妾之子、沼名木郎女

次、(...............)   香余理比賣命

次、若木之入日子王(成務)。次、吉備之兄日子王(應神)。

次、高木比賣命。次、弟比賣命。

 

*沼代郎女 --- 沼名木郎女

*渟熨斗皇女(膽香足姫命) --- 渟名城皇女(八坂入媛)

*第六曰渟熨斗皇女(膽香足姫命)。第七曰渟名城皇女(八坂入媛)

*五百木之入日賣命 --- 香余理比賣命

*若木之入日子王(成務) --- 吉備之兄日子王(應神)

*高木比賣命 --- 弟比賣命

 

又娶、日向之美波迦斯毘賣、生御子、

        豐國別王。

 

又娶、伊那毘能大郎女之弟、伊那毘能若郎女、生御子、

       眞若王(= 水穂之眞若王??)。

次、日子人之大兄王。= 팔강전명.

 

又娶、倭建命之曾孫、名須賣伊呂大中日子王之女、訶具漏比賣、生御子、

      大枝王。

 

===> 大枝王, 倭建命叔母須賣伊呂大中日子王孫女 訶具漏比賣 生御子 大帶日子淤斯呂和氣天皇.

===> 大江王(八綱田命) 娶此迦具漏比賣命、生子、大帶日子天皇(景行天皇)

 

凡此大帶日子天皇之御子等、所録廿一王、

不入記五十九王、并八十王之中、

 

 

若帶日子命 與倭建命、亦、五百木之入日子命、此三王、負太子之名。

 

自其餘七十七王者、悉別賜國國之國造、亦和氣、及稻置、縣主也。

故、若帶日子命者、治天下也。

 

小碓命者、平東西之荒神、及不伏人等也。

次、櫛角別王者、〈 茨田下連等之祖。 〉*茨田

次、大碓命者、〈 守君、大田君、嶋田君之祖。 〉

次、神櫛王者、〈 木國酒部阿比古、宇陀酒部(さかべ)之祖。 〉 *坂(さか)

次、豐國別王者、〈 日向國造之祖。 〉

 

*次、神大根王者、    〈三野本巣國造。長幡部連之祖。〉

 

於是天皇、聞看定三野國造之祖、大根王之女、名兄比賣弟比賣、 二孃子、

其容姿麗美、而遣其御子大碓命、以喚上。

故、其所遣大碓命、勿召上而、即己自婚其孃子、更求他女人、詐名其孃女而貢上。

於是天皇、知其他女、恒令經長眼、亦勿婚而惚也。

 

故、其大碓命、娶兄比賣、生子、

   押黒之兄日子王。〈 此者 三野之宇泥須和氣之祖。 〉

 

亦娶弟比賣、生子、

   押黒之弟日子王。〈 此者 牟宜都君等之祖。 〉

 

此之御世、定田部、又定東之淡水門、又定膳之大伴部、又定倭屯家。

又作坂手池、即竹植其堤也。
-------------------------------------------------------------------------

 

倭建命、娶、伊玖米天皇之女、布多遲伊理毘賣命、生御子、

    帶中津日子命(仲哀天皇)。

 

又娶、其入海弟橘比賣命、生御子、

    若建王。(= 日本武尊)

 

又娶、近淡海安國造之祖、意富多牟和氣之女、布多遲比賣、生御子、

    稻依別王。

===>

又娶、近淡海安國造之祖、意富多牟和氣布多遲比賣、生御子、

    稻依別王。

 

*意富多牟和氣(おほたむわけ)= 大膽別

*稻依別王

 

----------------------------------------------------------------

<古事記 開化天皇>

息長宿禰王、娶河俣稻依毘賣、生子、

       大多牟坂王。〈 此者多遲摩國造之祖也。 〉

 

===> 息長宿禰王之叔母 稻依毘賣、生子、

       大多牟坂王(香坂王)。〈 此者多遲摩國造之祖也。 〉

----------------------------------------------------------------

 

 

又娶、吉備臣建日子之、大吉備比賣、生御子、

    建貝兒王。

 

又娶、山代之玖玖麻毛理比賣。生御子、

    足鏡別王。

 

又一妻之子、息長田別王。凡是倭建命之御子等、并六柱。

 

故、帶中津日子命(仲哀天皇)者。治天下也。

 

次、稻依別王者、〈 犬上君建部君等之祖。 〉

次、建貝兒王者、〈 讚岐綾君、伊勢之別、登袁之別、麻佐首、宮首之別等之祖。 〉

      足鏡別王者、〈 鎌倉之別、小津、石代之別、漁田之別之祖也。 〉

次、息長田別王之子、

       杙俣長日子王。

 

*其兄 神櫛皇子。是讚岐國造

 

此王(杙俣長日子王)之子、

      飯野眞黒比賣命

次、息長眞若中比賣

次、弟比賣

 

故、上云  若建王、娶飯野眞黒比賣、生子、

     須賣伊呂大中日子王

 

此王、娶淡海柴野入杵之女、柴野比賣、生子、

      迦具漏比賣命

 

===> 此王(大江王) 淡海柴野入杵(仲哀天皇)之妹、柴野比賣(五百野皇女)、生子、迦具漏比賣命(麛依姬)。

 

故、大帶日子天皇(景行天皇)、娶此迦具漏比賣命、生子、

      大江王

 

====>*大江王(八綱田命) 娶此迦具漏比賣命(麛依姬)、生子、大帶日子天皇(景行天皇)

 

*<古事記 孝安天皇>

 *此天皇。姪(兄の娘)忍鹿比賣命。生御子。

   大吉備諸進命(= 大吉備津日子命= 八綱田命= 大江王)。

 

★『日本書紀』卷四 孝靈天皇 二年(壬申 前二八九)二月 丙寅《十一》◆
二年 春二月 丙辰朔 丙寅。立細媛命爲皇后。
生 倭迹迹日百襲姬命。彦五十狹芹彦命。〈亦名 吉備津彦命。〉

此王、娶 庶妹 銀王(しろがね)、生子、

    大名方王(おほながた)。= 八綱田命=

大中比賣命(おおなかつひめ)。

 

*銀王(しろがね)= 2, 渟葉田瓊入媛(にい ひめ)= 歌凝比賣命(ひめ)

*しろがね= 白銀.

 

故、此之大中比賣命者、香坂王、忍熊王之御祖也

 

此大帶日子天皇之御年、壹佰參拾漆歳。御陵在山邊之道上也。

-----------------------------------------------------------------------

 

 

<古事記 成務天皇>
若帶日子天皇、坐近淡海之志賀高穴穂宮、治天下也。

 

此天皇、娶穂積臣等之祖、建忍山垂根之女、名弟財郎女、生御子、

    和訶奴氣王

 

*==> 建忍山垂根、名弟財郎女、生御子、

*==> 建忍山垂根 和訶奴氣王(= 奴氣和訶王= 누키와카= 渟中城入姬命= 八坂入姬命) 生御子 若帶日子天皇(成務天皇).

 

故、建内宿禰爲大臣、定賜大國小國之國造、亦定賜國國之堺、及大縣小縣之縣主也。

 

天皇御年、玖拾伍歳(95살)。<乙卯年 三月 十五日 崩也。> 御陵在沙紀之多他那美也。

 

 

 

<古事記 仲哀天皇>
帶中日子天皇、坐穴門之豐浦宮、及筑紫訶志比宮。治天下也。

 

此天皇、娶大江王之女、大中津比賣命、生御子、

     香坂王

     忍熊王。

 

===> 五十瓊敷入彦命、娶大江王大中津比賣命、生御子、

     香坂王

 

又娶、息長帶比賣命<是大后> 生御子、

      品夜和氣命

次、大鞆和氣命。亦名 和氣命。〈 二柱 〉

 

此太子之御名、所以負大鞆和氣命者、初所生時、如鞆宍生御腕。

故、著其御名。

是以知坐腹中定國也。

此之御世、定淡道之屯家也。


凡帶中津日子天皇之御年、伍拾貳歳。〈 壬戌年 六月 十一日 崩也。 〉

御陵在河内惠賀之長江也。〈 皇后御年一百歳崩。葬于狹城楯列陵也。 〉

 

 

<古事記 應神天皇>
品陀和氣命、坐輕嶋之明宮、治天下也。

 

此天皇、娶品陀眞若王之女、三柱女王。

 

一名、高木之入日賣命。

次、中日賣命。

次、弟日賣命。

<此女王等之父、品陀眞若王者、五百木之入日子命、娶尾張連之祖、建伊那陀宿禰之女、志理都紀斗賣、生子者也。>

 

故、高木之入日賣之子

      額田大中日子命

次、大山守命

次、伊奢之眞若命

次妹、大原郎女

次、高目郎女

 

*高目郎女= 高木之入日賣.

 

中日賣命之御子、

      木之荒田郎女

次、大雀命。

次、根鳥命。

 

弟日賣命之御子、

      阿倍郎女。

次、阿具知三腹郎女

次、木之菟野郎女

次、三野郎女

 

又娶、丸邇之比布禮能意富美之女、名宮主矢河枝比賣、生御子、

         宇遲和紀郎子

次妹、八田若郎女。

   次、女鳥王。

 

*宇遲和紀郎子= 兎道稚

*八田若郎女= 矢田皇女.

 

又娶、其矢河枝比賣之弟、袁那辨郎女、生御子、

     宇遲之若郎女。

 

又娶、咋俣長日子王之女(=> 妹)息長眞若中比賣、生御子、

     若沼毛二俣王

 

又娶、櫻井田部連之祖、嶋垂根之女、糸井比賣、生御子、

      速總別命。

 

又娶、日向之泉長比賣、生御子、

      大羽江王。

次、小羽江王。

次、幡日之若郎女。

 

又娶、迦具漏比賣。生御子、

      川原田郎女。

次、玉郎女。

次、忍坂大中比賣

次、登富志郎女。

次、迦多遲王。

 

又娶、葛城之野伊呂賣、生御子、

    伊奢能麻和迦王。

 

此天皇之御子等、并廿六王。〈 男王十一。女王十五。 〉

此中、大雀命者。治天下也。

-----------------------------------------------------------------


於是天皇、問大山守命與大雀命詔、「汝等者、孰愛兄子與弟子。」〈 天皇所以發是問者、宇遲能和紀郎子有令治天下之心也。 〉爾大山守命白「愛兄子。」次大雀命、知天皇所問賜之大御情而白、「兄子者、既成人、是無悒、弟子者、未成人、是愛。」爾天皇詔、「佐邪岐、阿藝之言、〈 自佐至藝五字以音。 〉如我所思。」即詔別者、「大山守命爲山海之政。大雀命、執食國之政以白賜。宇遲能和紀郎子、所知天津日繼也。」

故、大雀命者、勿違天皇之命也。


 (  )

故、海人既疲往還而泣也。

故、諺曰、海人乎、因己物而泣也。

宇遲能和紀郎子者早崩。

故、大雀命、治天下也。

 

又昔、有新羅國主之子。名謂天之日矛。是人參渡來也。所以參渡來者、新羅國有一沼。名謂阿具奴摩。〈 自阿下四字以音。 〉此沼之邊、一賎女晝寢。於是日耀如虹、指其陰上、亦有一賤夫、思異其状、恒伺其女人之行。故、是女人、自其晝寢時、妊身、生赤玉。爾其所伺賤夫、乞取其玉、恒裹着腰。此人營田於山谷之間。故、耕人等之飮食、負一牛而、入山谷之中。遇逢其國主之子、天之日矛。爾問其人曰、何汝飮食負牛入山谷。汝必殺食是牛。即捕其人、將入獄囚、其人答曰、吾非殺牛。唯送田人之食耳。然猶不赦。爾解其腰之玉、幣其國主之子。故、赦其賤夫、將來其玉、置於床邊、即化美麗孃子。仍婚爲嫡妻。爾其孃子、常設種種之珍味、恒食其夫。故、其國主之子、心奢詈妻、其女人言、凡吾者、非應爲汝妻之女。將行吾祖之國。即竊乘小船、逃遁渡來、留于難波。〈 此者坐難波之比賣碁曾社、謂阿加流比賣神者也。 〉
於是天之日矛、聞其妻遁、乃追渡來、將到難波之間、其渡之神、塞以不入。

 

故、更還泊多遲摩國。即留其國而、娶多遲摩之俣尾之女、名前津見、生子、

             多遲摩母呂須玖。

此之子、多遲摩斐泥。

此之子、多遲摩比那良岐。

此之子、多遲麻毛理。

         次 多遲摩比多訶。

         次 清日子。<三柱>

 

此 清日子、娶當摩之[口+羊]斐、生子、

       酢鹿之諸男。

次妹 菅竈由良度美。

 

故、上云多遲摩比多訶、娶其姪、由良度美、生子、

        葛城之高額比賣命。〈 此者息長帶比賣命之御祖。 〉

-----------------------------------------------------------------

 

故、其天之日矛持渡來物者、玉津寶云而、珠二貫。又振浪比禮、〈 比禮二字以音。下效此。 〉切浪比禮、振風比禮、切風比禮。又奧津鏡、邊津鏡、并八種也。〈 此者伊豆志之八前大神也。 〉


故、茲神之女、名伊豆志袁登賣神坐也。故、八十神雖欲得是伊豆志袁登賣、皆不得婚。於是有二神。兄號秋山之下氷壯夫。弟名春山之霞壯夫。故、其兄謂其弟、吾雖乞伊豆志袁登賣、不得婚。汝得此孃子乎。答曰易得也。爾其兄曰、若汝有得此孃子者、避上下衣服、量身高而釀甕酒、亦山河之物、悉備設、爲宇禮豆玖云爾〈 自宇至玖以音。下效此。 〉爾其弟、如兄言具白其母、即其母、取布遲葛而、〈 布遲二字以音。 〉一宿之間、織縫衣褌及襪沓、亦作弓矢、令服其衣褌等、令取其弓矢、遣其孃子之家者、其衣服及弓矢、悉成藤花。於是其春山之霞壯夫、以其弓矢、繋孃子之厠。爾伊豆志袁登賣、思異其花、將來之時、立其孃子之後、入其屋即婚。故、生一子也。爾白其兄曰「吾者得伊豆志袁登賣。」於是其兄、慷愾弟之婚以、不償其宇禮豆玖之物。爾愁白其母之時、御祖答曰「我御世之事、能許曾〈 此二字以音。 〉神習。又宇都志岐青人草習乎、不償其物。」恨其兄子、乃取其伊豆志河之河嶋節竹而、作八目之荒寵、取其河石、合鹽而裹其竹葉、令詛言「如此竹葉青、如此竹葉萎而青萎。又如此鹽之盈乾而盈乾。又如此石之沈而沈臥。」如此令詛置於烟上。

是以其兄、八年之間、于萎病枯。

故、其兄患泣、請其御祖者、即令返其詛戸。

於是其身如本以安平也〈 此者神宇禮豆玖之言本者也。 〉

 

 

又、此品陀天皇之御子、若野毛二俣王、娶其母弟、百師木伊呂辨、亦名 弟日賣眞若比賣命、生子、

      大郎子、亦名 意富富杼王

次、忍坂之大中津比賣命

次、田井之中比賣。

次、田宮之中比賣。

次、藤原之琴節郎女

次、取賣王

次、沙禰王

 

故、意富富杼王者、<三國君、波多君、息長坂君、酒人君、山道君、筑紫之末多君。布勢君等之祖也。>

 

又 根鳥王、娶 庶妹 三腹郎女、生子、

      中日子王。

次、伊和嶋王。

 

又、堅石王之子者、久奴王也。


凡此品陀天皇御年、壹佰參拾歳。〈 甲午年 九月 九日 崩。 〉御陵在川内惠賀之裳伏岡也。

 

http://www.j-texts.com/jodai/kojiki3.html

 

 

<古事記 仁徳天皇>
大雀命、坐難波之高津宮、治天下也。

 

此天皇、娶葛城之曾都毘古之女、石之日賣命<大后>、生御子、

    大江伊邪本和氣命。

次 墨江之津王。

次 蝮之水齒別命

次男 淺津間若子宿禰命。

 

又娶 上云 日向之諸縣君 牛諸之女、髮長比賣、生御子、

    波多毘能大郎子、亦名 大日下王

次 波多毘能若郎女。亦名 長日比賣命。亦名 若日下部命。

 

又娶 庶妹 八田若郎女。

又娶 庶妹 宇遲能若郎女。

 

此之二柱、無御子也。

 

凡此大雀天皇之御子等、并六王。〈 男王五柱、女王一柱。 〉

 

故、伊邪本和氣命者、治天下也。

次、蝮之水齒別命、亦治天下。

次男 淺津間若子宿禰命、亦治天下也。

 

此天皇之御世、爲大后石之日賣命之御名代、定葛城部

亦爲太子伊邪本和氣命之御名代、定壬生部

亦爲水齒別命之御名代、定蝮部

亦爲大日下王之御名代、定大日下部

若日下部王之御名代、定若日下部

 

又役秦人 作茨田堤 及茨田三宅、又作丸邇池、依網池

又掘難波之堀江 而通海、又掘小椅江、又定墨江之津。

 

此天皇御年、捌拾參歳。<丁卯年 八月 十五日 崩也。>  御陵在毛受之耳原也。

 

 

 

<古事記 履中天皇>
子、伊邪本和氣命、坐伊波禮之若櫻宮、治天下也。

 

此天皇、娶葛城之曾都毘古之子、葦田宿禰之女、名黒比賣命。生御子、

      市邊之忍齒王。

次、御馬王。

次妹、青海郎女、亦名飯豐郎女。

 


本坐難波宮之時、坐大嘗而爲豐明之時、於大御酒宇良宜而大御寢也。爾其弟墨江中王、欲取天皇以火著大殿。於是倭漢直之祖、阿知直盜出而、乘御馬令幸於倭。故、到于多遲比野而寤、詔此間者何處。爾阿知直白、墨江中王、火著大殿。故、率逃於倭。爾天皇歌曰、
多遲比怒邇 泥牟登斯理勢婆 多都碁母母 母知弖許麻志母能 泥牟登斯理勢婆(K076)
到於波邇賦坂、望見難波宮、其火猶炳。爾天星亦歌曰、
波邇布邪迦 和賀多知美禮婆 迦藝漏肥能 毛由流伊幣牟良 都麻賀伊幣能阿多理(K077)
故、到幸大坂山口之時、遇一女人。其女人白之、持兵人等、多塞茲山。自當岐麻道、廻應越幸。爾天皇歌曰、
於富佐迦邇 阿布夜袁登賣袁 美知斗閇婆 多陀邇波能良受 當藝麻知袁能流(K078)
故、上幸坐石上神宮也。
於是其伊呂弟水齒別命參赴令謁。爾天皇令詔、吾疑汝命若與墨江中王同心乎。故、不相言。答白、僕者無穢邪心。亦不同墨江中王。亦令詔、然者今還下而、殺墨江中王而上來。彼時吾必相言。故、即還下難波、欺所近習墨江中王之隼人、名曾婆加理云、若汝從吾言者、吾爲天皇、汝作大臣、治天下那何。曾婆訶理答白隨命。爾多祿給其隼人曰、然者殺汝王也。於是曾婆訶理、竊伺己王入厠、以矛刺而殺也。故、率曾婆訶理、上幸於倭之時、到大坂山口以爲、曾婆訶理、爲吾雖有大功、既殺己君是不義。然不賽其功、可謂無信。既行其信、還惶其情。故、雖報其功、滅其正身。是以詔曾婆訶理、今日留此間而、先給大臣位、明日上幸、留其山口、即造假宮、忽爲豐樂、乃於其隼人賜大臣位、百官令拜、隼人歡喜、以爲遂志。爾詔其隼人、今日與大臣飮同盞酒、共飮之時、隱面大鋺、盛其進酒。於是王子先飮、隼人後飮。故、其隼人飮時、大鋺覆面。爾取出置席下之劍、斬其隼人之頸、乃明日上幸。故、號其地謂近飛鳥也。上到于倭詔之、今日留此間、爲祓禊而、明日參出、將拜神宮、故、號其地謂遠飛鳥也。故、參出石上神宮、令奏天皇、政既平訖參上侍之。爾召入而相語也。天皇、於是以阿知直、始任藏官、亦給粮地。
亦此御世、於若櫻部臣等、賜若櫻部名、又比賣陀君等、賜姓謂比賣陀之君也。亦定伊波禮部也。

 

天皇之御年、陸拾肆歳。<壬申年 正月 三日 崩。> 御陵在毛受也

 

 

<古事記 反正天皇>
弟、水齒別命、坐多治比柴垣宮、治天下也。

 

此天皇、御身之長、九尺二寸半。

御齒長一寸廣二分。

上下等齊、既如貫珠。

 

天皇、娶丸邇之許碁登臣之女、都怒郎女、生御子、

      甲斐郎女。

次、都夫良郎女。

 

又娶同臣之女、弟比賣。生御子、

      財王

次、多訶辨郎女。并四王也。

 

天皇之御年、陸拾歳。<丁丑年 七月 崩> 御陵在毛受野也。

 

 

 

〔古事記 允恭天皇〕
弟、男淺津間若子宿禰命、坐遠飛鳥宮、治天下也。

 

此天皇、娶意富本杼王之妹、忍坂之大中津比賣命、生御子、

      木梨之輕王。

次、長田大郎女。

次、境之黒日子王。

次、穴穂命。

次、輕大郎女、亦名 衣通郎女 <御名所、以負衣通王者、其身之光自衣通出也。>

次、八瓜之白日子王。

次、大長谷命。

次、橘大郎女。

次、酒見郎女。<九柱>

 

凡天皇之御子等、九柱。<男王五、女王四。>

 

此九王之中、穴穂命者、治天下也。

             次、大長谷命、治天下也。

 

天皇初爲將所知天津日繼之時、天皇辭而詔之、我者有一長病。不得所知日繼。然大后始而、諸卿等、因堅奏而、乃治天下。

此時、新良國主、貢進御調八十一搜、爾御調之大使、名云金波鎭漢紀武、此人深知藥方、故、治差帝皇之御病。


於是天皇、愁天下氏氏名名人等之氏姓忤過而、於味白檮之言八十禍津日前、居玖訶瓮而、〈 玖訶二字以音。 〉定賜天下之八十友緒氏姓也。又爲木梨之輕太子御名代、定輕部、爲大后御名代、定刑部、爲大后之弟、田井中比賣御名代、定河部也。天皇御年、漆拾捌歳。〈 甲午年正月十五日崩。 〉御陵在河内之惠賀長枝也。
天皇崩之後、定木梨之輕太子所知日繼、未即位之間、奸其伊呂妹輕大郎女而歌曰、
阿志比紀能 夜麻陀袁豆久理 夜麻陀加美 斯多備袁和志勢 志多杼比爾 和賀登布伊毛袁 斯多那岐爾 和賀那久都麻袁 許存許曾婆 夜須久波陀布禮(K079)
此者志良宜歌也。又歌曰、
佐佐波爾 宇都夜阿良禮能 多志陀志爾 韋泥弖牟能知波 比登波加由登母 宇流波斯登 佐泥斯佐泥弖婆 加理許母能 美陀禮婆美陀禮 佐泥斯佐泥弖婆(K080)
此者夷振之上歌也。
是以百官及天下人等、背輕太子而、歸穴穂御子。爾輕太子畏而、逃入大前小前宿禰大臣之家而、備作兵器。〈 爾時所作矢者、銅其箭之内。故、号其矢謂輕箭也。 〉穴穂御子亦作兵器。〈 此王子所作之矢者、即今時之矢者也。是謂穴穂箭也。 〉於是穴穂御子、興軍圍大前小前宿禰之家、爾到其門時、零大氷雨。故、歌曰、
意富麻幣 袁麻幣須久泥賀 加那斗加宜 加久余理許泥 阿米多知夜米牟(K081)
爾其大前小前宿禰、擧手打膝、〓[イ+舞]訶那傳〈 自訶下三字以音。 〉歌參來。其歌曰、
美夜比登能 阿由比能古須受 淤知爾岐登 美夜比登登余牟 佐斗毘登母由米(K082)
此歌者、宮人振也。如此歌參歸白之、我天皇之御子、於伊呂兄王、無及兵。若及兵者、必人咲。僕捕以貢進。爾解兵退坐。故、大前小前宿禰、捕其輕太子、率參出以貢進。其太子被捕歌曰、
阿麻陀牟 加流乃袁登賣 伊多那加婆 比登斯理奴倍志 波佐能夜麻能 波斗能 斯多那岐爾那久(K083)
又歌曰、
阿麻陀牟 加流袁登賣 志多多爾母 余理泥弖登富禮 加流袁登賣杼母(K084)
故、其輕太子者、流於伊余湯也。亦將流之時、歌曰、
阿麻登夫 登理母都加比曾 多豆賀泥能 岐許延牟登岐波 和賀那斗波佐泥(K085)
此三歌者、天田振也。又歌曰、
意富岐美袁 斯麻爾波夫良婆 布那阿麻理 伊賀幣理許牟叙 和賀多多彌由米 許登袁許曾 多多美登伊波米 和賀都麻波由米(K086)
此歌者、夷振之片下也。其衣通王獻歌。其歌曰、
那都久佐能 阿比泥能波麻能 加岐加比爾 阿斯布麻須那 阿加斯弖杼富禮(K087)
故、後亦不堪戀慕而、追往時、歌曰、
岐美賀由岐 氣那賀久那理奴 夜麻多豆能 牟加閇袁由加牟 麻都爾波麻多士〈 此云山多豆者。是今造木者也。 〉(K088)
故、追到之時、待懷而歌曰、
許母理久能 波都世能夜麻能 意富袁爾波 波多波理陀弖 佐袁袁爾波 波多波理陀弖 意富袁爾斯 那加佐陀賣流 淤母比豆麻阿波禮 都久由美能 許夜流許夜理母 阿豆佐由美 多弖理多弖理母 能知母登理美流 意母比豆麻阿波禮(K089)
又歌曰、
許母理久能 波都勢能賀波能 加美都勢爾 伊久比袁宇知 斯毛都勢爾 麻久比袁宇知 伊久比爾波 加賀美袁加氣 麻久比爾波 麻多麻袁加氣 麻多麻那須 阿賀母布伊毛 加賀美那須 阿賀母布都麻 阿理登伊波婆許曾爾 伊幣爾母由加米 久爾袁母斯怒波米(K090)
如此歌、即共自死。故、此二歌者、讀歌也。


 

http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt

石王版「古事記」53
開化(カイクワ)天皇

 

 

 


3_9.rm
0.53MB
download.php.pdf
0.11MB
milk_tea_3_9.zip
0.88MB

'古事記(고사기)' 카테고리의 다른 글

[고사기] 숭신천황.  (0) 2012.04.29
菅政友全集 眞福寺本 古事記   (0) 2011.02.18