倭(왜)

いろね

라디오에요 2011. 10. 24. 09:47

http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/zaturaku05.htm#302いろせ

 

302いろせ・いろね・いろと(いろど)・いろも

 

 現在の国語学、国史学は、「301いら」の項のように「イロ」を単に「同母」と解し、「いろせ」を「同母の兄弟」、「いろね」を「同母の姉」、「いろと(いろど)」を「同母の弟・妹」、「いろも」を「同母の妹」と解しています。

 しかし、はたしてそうでしょうか。記紀は、「兄」、「弟」と記すほか、特に「伊呂兄」等と記すのは、次のように、原則としてそれぞれ特別のケース、事情のある場合だけに限られるからです。

 

(1)いろせ

 

 高天原を追放されて出雲国に下つたスサノオが「吾はアマテラスの伊呂勢(いろせ)なり」と名乗ります(『古事記』神代巻)。

 また、カムヤマトイワレビコノミコト(後の神武天皇)が「其の伊呂兄(いろせ)イツセノミコト」と相談をして東へ赴くことを決めます(『古事記』中巻神武東征条)。

 さらに顕宗記には、天皇が父王を殺した雄略天皇を怨んでその御陵を破壊しようとしたとき、「伊呂兄(いろせ)」オケノミコト(後の仁賢天皇)がその役を買つて出て、御陵の近くを少し掘って済ませた後、天皇に諌言します。

 この「いろせ」は、マオリ語の

  「イロ・テ」、IRO-TE(iro=submissive as result of punishment,maggot;te=emphasis,crack)、「指導者の命令(または罰)に従順に服している(人間)」

の転訛と解します。

 スサノオは悪行の罰として、イツセは記載を欠きますが、一族の統率力において格段の差があったため、兄ではあっても一族の指導者となっていた弟のイワレビコに対して従順に仕えていたことを表現したものでしょう。

 また、オケノミコトは、天皇の怒りを鎮めるための方便としていったん命令に従順に服するよう行動したものです(顕宗、仁賢の両天皇の名「オケ」、「ヲケ」についてはオリエンテーション篇の3の(3)ぼけ山古墳の項を参照して下さい。)

 

(2)いろね・いろと(いろど)

 

 履中記に、天皇が太子として難波宮にいた折り、弟の墨江中王が叛乱して宮に放火し、難を石上神宮に避けたとき、「伊呂弟(いろと)」水歯別(みずはわけ)命(後の反正天皇)が参上したので、反逆心がなければ墨江中王を誅殺せよと命じたとあります。水歯別命は、墨江中王の臣の隼人の曽婆訶理(そばかり)を抱き込んで墨江中王を殺させ、曽婆訶理の功を讃えつつも主を殺した罪を憎んで殺します。

 この「いろと」、「みずはわけ」、「そばかり」は、マオリ語の

  「イロ・アウト」、IRO-AUTO(iro=submissive as result of punishment,maggot;auto=trailing behind,slow,protract)、「指導者の命令(または罰)に従順に服して、(兄・姉の)後ろについて行動する(人間)」(「アウト」のAU音がO音に変化して「オト」となった)

  「ミヒ・ツハ・ワ・カイ」、MIHI-TUHA-WA-KAI(mihi=lament,greet,acknowledge an obligation,show itself;tuha=tuwha=distribute,spit;wa=definite place,be far advanced;kai=fulfil its proper function,have full play)、「嘆きながら(墨江中王・曽婆訶理を)刺した、立派に義務を果たした進んだ地位にある(王)」または「(墨江中王の誅殺という)尊敬される貢献を成し遂げた、立派に義務を果たした進んだ地位にある(王)」(「ミヒ」の「ヒ」が脱落して「ミ」と、「カイ」のAI音がE音に変化して「ケ」となった)

  「ト・パカリ」、TO-PAKARI(to=the...of,set as the sun;pakari=strong,matured)、「落日のように消えた勇者」

の転訛と解します。

 

 このほかには、「いろね」、「いろど」は、固有名詞としてのみ記されています。固有名詞としての使用は、その人の性格を示すものとして使われているようです。たとえば、『古事記』安寧天皇条には その御子として、トコネツヒコ伊呂泥(いろね)ノミコトの名を、またその御子 シキツヒコ(志那都比古)の御子の一人の ワチツミノミコト(和知都美命は「ワダツミノミコト」のことだと思う。)の女として 蝿伊呂泥(はえいろね)、蝿伊呂杼(はえいろど)(二人は いずれも 後に孝霊天皇の妃となりました)の名がみえます。

 

 また、記の孝元天皇条には、御子ヒコフツオシノマコトノミコトの御子タケノウチノスクネの子として末妹、怒能伊呂比売(ののいろひめ)の名を記しますが、姉は クメノマイトヒメ とだけあって「いろね」、「いろも」とは記しておりません。

 

   この「はえ」、「いろね」(「いろど」は 上記の「いろと」に同じ)、「のの」は、マオリ語の

  「ハエ」、HAE(be conspicuous,slit,tear,fear)、「顕著な」

  「イロ・ネイ」、IRO-NEI(iro=submissive as result of punishment,maggot;nei=to denote proximity to or connecting with the speaker)、「指導者の命令(または罰)に 実に従順に服している(人間)」

  「ノノホ」、NONOHO(=noho=remain)、「(長じても従順な)性格のまま止まっている」

の転訛と解します