http://homepage2.nifty.com/amanokuni/okinaga.htm#futaji
布多遅比売(ふたじひめ)
水穂之真若王、
近淡海之安国造の意富多牟和気(おほたむわけ)の祖母。
五十瓊敷命の妃となり、犬上君・建部君の祖となった、
稲依別王(いなよりわけのみこ)を 産んで いる。
稲依別王の子孫には、忍熊王の腹心(심복)の部下(부하)で、神功皇后率いる和邇氏の難波根子建振熊命に殺された 倉見別が いる。
*十城別命이 神功皇后때문에, 살해됨.
*十城別命= 중애천황.
倉見別??
*五十瓊敷入彦命の妃には、
阿部氏系の崇神天皇と渟葉田瓊入媛の娘の布多遅能伊理毘売命(ふたじいりびめのみこと)が いる。
この布多遅能伊理毘売命が 産んだのが、仲哀天皇(倭建命の弟)である。
五十瓊敷命の妃, 布多遅比売と布多遅能伊理毘売命が いるのは 自然であるし、
私見では 同一人物と考えて いる。
布多遅比売という水穂之真若王の父である崇神天皇も、渟葉田瓊入媛を妃としているからである。
いくつかの文献で 水穂之真若王と混同が 見られる
山代之大筒木真若王=五十瓊敷入彦命が、神功皇后の父??であることを見ても、
二つの系譜が重なりあっていることは間違いないであろう。
阿倍氏と和邇氏の関係を考えると、
記紀のこの辺りの伝承は海人王国の系譜を物語っているのではないか?
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http://tokyo.atso-net.jp/pukiwikip/index.php?%BF%C0%B8%F9%B9%C4%B9%A1
葛城高額姫―+―息長帯姫
↑ 神功
丸邇氏 丹波 |
彦坐命―+ ――+
↓ 安(野洲)直 ↓ 但馬国造祖
天御影神――息長水依姫―++―水穂真若王…河俣稲依毘売―+―大多陀牟夜別―+
| 意富多牟和気 |
+―丹波道主 大多牟坂王 |
| 比古多多須美知能宇斯王 |
| |
+―水穂五百依比賣 |
| |
+―御井津比賣 |
|
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
弟日売真若比売命―+
↓
+―布多遅比売― + ―稲依別王――杙俣長日子王―+―若野毛二俣王
息長田別王 河派仲王 |
倭建命
息長宿禰王 |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+
| 葛城応神+
| |
+―飯野眞黒日売 |
| ↓
+―息長眞若中日売―+―若野毛二俣王―+
| ↓ 葛城
+―百師木伊呂辨―――――――――――++―大郎子 允恭+
弟日売真若比売命 | 意富富杼王 |
| ↓
+―忍坂大中津比売命―++―安康
| |
+―田井中比売 +―雄略―+
| ↓
+―藤原琴節郎女―――――――――+
衣通郎姫
伊久牟尼利比古大王(垂仁)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1318907509/156
≪釈日本紀「上宮記一云」系図≫
伊自牟良君 ── 久留比売命
│
中斯知命 ├─ 汙斯王(彦主人王)
洷俣那加都比古 ─ 弟比売麻和加 ├──乎非王 │
├── 若野毛二俣王 ┌太郎子(意富富等王 │
凡牟都和希王 ├─────┼践坂大中比弥王 │
母々恩己麻和加中比売 ├田宮中比弥 │
└布遅波良己等布斯郎女 │
├─ 乎富等大公王
伊久牟尼利比古大王(垂仁)─ 伊波都久和希 ─ 伊波智和希 ┐ │ (継体天皇)
┌────────────────────────────┘ │
└ 伊波己里和気 ─ 麻和加介 ─ 阿加波智君 ─ 乎波智君 │
├──┬都奴牟斯君 │
阿那爾比弥 └布利比弥命 ────┘
(振媛)
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/jyouguuki/jouguuki_omke.htm
上宮記逸文
① 『釋日本紀』 卷十三 述義九 第十七 男大迹天皇 に引く 「上宮記曰 一云…」
② 『聖徳太子平氏伝雑勘文』 下ノ三 上宮太子御子孫竝后等事 に引く 「上宮記下巻注云…」
『釋日本紀』 卷十三 述義九 第十七 男大迹天皇 に引く 「上宮記曰 一云…」について
① の 『釋日本紀』 卷十三 述義九 第十七 男大迹天皇 に引く 「上宮記曰 一云…」 の逸文は通称 「上宮記曰一云」 とか 「上宮記一云」 などと呼称されています。
ところで当サイトでは省略しましたが 『釋日本紀』 では 『上宮記』 を引用したあとに、文章だけではわかりにくいと考えたためか 男大迹天皇 の系譜を図(系図)にして記しています。
いまそれを簡略化して図示すると次の (系図1) のようになります。
しかし、実はこの 『釋日本紀』 の系図は間違っています。
「上宮記一云」 にしたがって読むと 男大迹天皇 の系譜は次の (系図2) のようになります。
(系図2) | |||
① | 凡牟都和希王 | (成務天皇) | |
↓ | |||
② | 若野毛二俣王 | (応神天皇) | |
↓ | |||
③ | 大郎子 | ||
↓ | |||
④ | 乎非王 | ||
↓ | |||
⑤ | 汗斯王 | ||
↓ | |||
⑥ | 乎富等大公王 | (継体天皇) |
『古事記』 では 継体天皇は 応神天皇の五世の孫とされています。
また 『日本書紀』では 応神天皇の五世の孫で 彦主人王の子と書かれています。
さてどう解釈すべきなのでしょうか。
この系図に続き『釋日本紀』には卜部兼方の次の文章が 続きます。
参考のために ここに 収録して おきます。
なお、「上宮記一云」 は 凡牟都和希(ホムツワケ) と記していますが、
応神天皇 なら ホムタワケ でなければなりません。
よって 凡牟都和希 に ホムタワケ とルビを ふる 本も あるのですが、
『都』 を (タ) と読むのは 無理だと思います。
そこで 当サイトでは 漢字表記のままに ホムツワケ としておきました。
また 系譜を
「伊久牟尼利比古大王 生兒伊波都久和希 --- 兒伊波智和希 --- 兒伊波己里和氣 --- 兒麻和加介 --- 兒阿加波智君 --- 兒乎波智君…」
と次々に たたみかけるように つなげて 記す 形式は、
稲荷山古墳出土の鉄剣銘文の
「上祖名意冨比垝‐ 其子多加利足尼‐ 其子名弖已加利獲居‐ 其子名多加披次獲居‐ 其子名多沙鬼獲居‐ 其子名半弖比‐ 其子名加差披余‐ 其子名乎獲居臣」 を 連想させて 興味 深く 思えます。
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