http://ameblo.jp/seikuzi/entry-10184691933.html
渟葉田瓊入媛のヌバタヒメは 鐸石別(ヌテシワケ。『古事記』では「沼帯別命」)、胆香足姫(イカタラシヒメ)の二人の母となった。
このうちの鐸石別(ヌテシワケ)というのは、
はるか 後年『日本後紀』に
「清麻呂の先は、垂仁天皇 皇子 鐸石別命より 出でて、三世孫 弟彦王(성무천황??)、神功皇后に 従い 新羅に 征し…」云々とあって、和気清麻呂の遠い 遠い ご先祖だそうな。
*彦人大兄命
石撞別命 4世孫 大兄彦君
*石撞別命―――(.....磐城別命....)―――(......田守別王.......)―――大兄彦君(茅彦王)응신.
石川県 金沢市 御所町 御所八ッ塚古墳
石川県 羽咋市 : 磐衝別命の墓
国造本紀(先代旧事本紀)によると
雄略天皇(21代)の時代、
三尾君(みおのきみ)の祖で 崇神天皇の皇子・磐撞別命(いわつくわけのみこと、石撞別命, 磐衝別命、磐撞別皇子、石衝別王, 伊波都久和気)の4世孫である 大兄彦君(おおえのひこぎみ)を 国造に 定めた
大兄彦君の墓は 石川県 金沢市 御所町の 御所八ッ塚古墳と伝えられ、
磐衝別命の墓は 石川県 羽咋市に あるという。
http://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/search/detail.php?e7a59ee7a4be4944=889
八幡神社/はちまんじんじゃ
鎮座地 金沢市小原町ツ40
宮司 堀 美由起(布市神社 宮司)
氏子区域 小原町
TEL 076-248-1610
各神社では神職が外祭等により不在する場合があります。
又、祈祷を受ける場合予約が必要な場合もあります。念のため神社にお尋ねください。
FAX 076-248-1658
五十日足彦命─忍健別命(弟稚狭久良命─石別之君[高志池祖])─押許呂見命(弟佐太別命[石田祖])─許許米[山守部]─志己夫─意富多─加由(弟乙山[高志池祖])─宇志古─枳波─加知古(春日山、五十嵐の祖)。
*五十日足彦命= 膽香足姫
http://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/blog-entry-1044.html
伊邪那岐命
├─────┬天照大神───────────┬正勝吾勝勝速日天忍穂耳命─┬天火明命
伊邪那美命 ├月讀命 ├天之菩卑能命 └邇邇芸命┐
└須佐之男命━・━・━大国主命 ├天津日子根命 │
├活津日子命 │
└熊野久須毘命 │
┌────────────────────────────────────────┘
├火照命 ┌五瀬命
├火須勢理命 ├稲飯命 ┌日子八井命
└火遠理命──天津日高日子波限建鵜草葺不合命┼御毛沼命 ├神八井耳命
│(初代1-76)..├綏靖天皇──安寧天皇───┐
└神武天皇─┘(2代79-111)(3代111-150)... │
┌─────────────────────────────────────────┘
├息石耳命
│(4代150-183) (5代185-267) ┌孝元天皇────────┐
├懿徳天皇───考昭天皇┬天足彦国押人命 ┌大吉備諸進命 │(8代446-502) │
└磯城津彦命 │(6代268-369) │(7代370-445) ├千千速比売命 │
└孝安天皇────┴孝霊天皇───┼倭迹迹日百襲媛命 │
├日子刺肩別命 │
├彦五十狭芹彦命 │
├倭迹迹稚屋姫命 │
├彦狭島命 │
└稚武彦命┬播磨稲日大郎姫│
├吉備武彦命 │
└伊那毘若郎女 │
┌─────────────────────────────────────────┘
├大彦命───┬武淳川別命 ┌崇神天皇───────────────┐
├少彦男心命 └御間城姫命 │(10代563-631) │
│(9代502-562) ├御真津比売命 ┌丹波道主王 │
├開化天皇──────────┼彦湯産隅命 ├山代之大筒木真若王┐│
├倭迹迹姫命 ├彦坐王─────┼狭穂彦王 ││
├彦太忍信命┐ └建豊波豆羅和気王└狭穂姫命 ││
└武埴安彦命└屋主忍男武雄心命┬武内宿禰─蘇我石川宿禰→蘇我氏へ ││
└甘美内宿禰 ││
┌─────────────────────────────────┘│
│┌─────────────────────────────────┘
│├垂仁天皇───────┬誉津別命 ┌櫛角別王 ┌稲依別王
││(11代631-730) ....├五十瓊敷入彦命├大碓皇子 ├仲哀天皇───┐
│├彦五十狭茅 ├景行天皇───┼日本武尊───┤(14代852-860) .│
│├国方姫命 │(12代731-790) .├成務天皇 ├布忍入姫命 │
│├千千衝倭姫命 ├大中姫命 │(13代791-850). ├稚武王 │
│├倭彦命 ├倭姫命(斎宮) ..├五百城入彦皇子├武卵王 │
│├五十日鶴彦命 ├稚城瓊入彦命 ├忍之別皇子 ├十城別王 │
│├豊城入彦命 ├鐸石別命 ├稚倭根子皇子 ├稚武彦王 │
│├豊鍬入姫命(初代斎宮) ├胆香足姫命 ├大酢別皇子 ├足鏡別王 │
│├大入杵命 ├息速別命 ├渟熨斗皇女 ├稲依別王 │
│├八坂入彦命 ├稚浅津姫命 ├五百城入姫皇女└息長田別王 │
│├渟名城入媛命 ├袁那弁王 ├かご依姫皇女 │
│└十市瓊入媛命 ├磐撞別命 ├五十狭城入彦皇子 │
│ ├両道入姫命 ├吉備兄彦皇子 │
│ ├祖別命 ├高城入姫皇女 │
│ ├五十日足彦命 ├弟姫皇女 │
│ ├胆武別命 ├五百野皇女(斎宮) │
│ └円目王 ├神櫛皇子 │
└迦邇米雷王─息長宿禰王─神功皇后 ├稲背入彦皇子 │
├武国凝別皇子 │
├日向襲津彦皇子 │
├国乳別皇子 │
├国背別皇子 │
├豊戸別皇子 │
├豊国別皇子 │
├真若王 │
├彦人大兄命 │
└五十功彦命 │
┌────────────────────────────────────┘
├応神天皇─────┬荒田皇女 ┌履中天皇─────┬磐坂市辺押磐皇子┐
│(15代930-970) .├高目郎女 │(17代1060-1065) .├御馬皇子 │
├かご坂皇子 ├仁徳天皇────┼住吉仲皇子 ├青海皇女 │
├忍熊皇子 │(16代973-1059) ├反正天皇────┐└中磯皇女 │
└誉屋別皇子 ├根鳥皇子 │(18代1066-1070) .└┬香火姫皇女 │
├額田大中彦皇子 ├允恭天皇────┐├円皇女 │
├大山守皇子 │(19代1072-1113) .│├財皇女 │
├去来真稚皇子 ├大草香皇子 │└高部皇子 │
├大原皇女 └草香幡梭皇女 ├木梨軽皇子 │
├※来田皇女(さんずいに勞) ├名形大娘皇女 │
├阿倍皇女 ├境黒彦皇子 │
├淡路御原皇女 ├安康天皇 │
├紀之菟野皇女 │(20代1113-1116). │
├滋原皇女 ├軽大娘皇女 │
├三野郎女 ├八釣白彦皇子 │
├菟道稚郎子皇子 ├雄略天皇────┐│
├矢田皇女 │(21代1116-1139). ││
├雌鳥皇女 ├但馬橘大娘皇女 ││
├菟道稚郎女皇女 └酒見皇女 ││
├稚野毛二派皇子┐ ││
├隼総別皇子 │ ││
├大葉枝皇子 │┌─────────────────┘│
├小葉枝皇子 ││┌─────────────────┘
├草香幡梭皇女 │││
├川原田郎女 │││
├玉郎女 │││
├忍坂大中比売 │││
├登富志郎女 │││ ┌欽明天皇────────────┐
└迦多遅王 │││
http://kotatu.jp/hyo/shohin/tour/siseki/559.htm
「豊木入日子」、日本書紀の「豊城入彦命」ですね。
崇神天皇が皇子たちに夢占いをさせたところ、
兄の豊城入彦命が 大和 御諸山に 登り、東に 向かって槍を8回突き、刀を8回振るった夢を 見た。
弟の活目命も 大和 御諸山に 登って 粟を 食べる雀を 追い払う夢を 見た。
豊城入彦命は 東方に向かっていたので 東国を 治めさせ、
活目命は 四方に 臨んで いたために 皇位を 継がせたというお話。
この大和 御諸山というのは、神の山である三輪山のことです。
この豊城入彦命、ヤマトタケルに 先立つ 東国平定の始祖みたいな人物ですね。
<こたつ城主 2007/05/22(Tue) 17:36>
>日本書紀の「豊城入彦命」ですね
そうです。その字の方が検索ではヒット率が高いですね(^^ゞ。あ~三輪山。なるほど。
これまでも、この人物の名に出会った事はあるのですが、ヤマトタケルと対というのは何か初めてな感じも……。
で、ヤマトタケルの東征は 筑波が 北限だと思いますが、
実は 豊城入彦がどこに到達したのかを知りません(わかります(^_^;)?)。
筑波では「たわごと」に書いた通り、筑波に先に来て、後に(民に請われて)宇都宮に移動と伝えてます。
この辺り、地域によって伝承に差があってもおかしくない気がしますので、あまり断定的な事も自論も述べませんでしたが(^^ゞ。
>この豊城入彦命、ヤマトタケルに先立つ東国平定の始祖みたいな人物ですね。
という事なんですね(^^ゞ。つまりいわゆる「毛野族」と言われる人達は、記紀で言えば相当古い時代から居たか、私の持ってる古事記には書かれてないので、日本書紀から出て来たのか……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%A2%A8%E5%AE%B6
北風家(きたかぜけ)
第8代 孝元天皇の曾孫である彦也須命(ひこやす)を初代家祖とする。
彦也須命が 阿閇氏遠祖の彦屋主田心命(ひこやぬしたこころ)と同一人物かは 不明。
*彦也須命(ひこやす)
*彦屋主田心命(ひこやぬしたごり)
http://www.platz.or.jp/~hvhy/minibbs.cgi?ff=21822
「多多須美知能宇斯」の娘たちだが、
さらに日本書紀と旧事本紀をあわせて考えてみたい。
**************************************************************
開化の系譜 記事においては、次のとおり。
「比婆須比賣」「真砥野比賣」「弟比賣」「朝廷別(아사니)」
垂仁の系譜記事においては、次のとおり。
「氷羽州比賣(日葉酢媛)」……子「印色入日子/大帯日子/大中津日子/倭比賣/若木入日子」
「沼羽田之入毘賣(渟葉田瓊入媛)」……子「沼帯別(ぬたらしわけ)(鐸石別)/伊賀帯日子(膽香足姫)」
「阿邪美能伊理毘賣(薊瓊入媛)」……子「伊許婆夜和気/阿邪美津比賣」
「苅羽田刀辨」……子「落別/五十日帯日子/伊登志別」
「弟苅羽田刀辨」……子「石衝別/石衝毘賣(= 布多遅能伊理毘賣)」
次に「沙本毘賣」が後継者を指名する段では、
「兄比賣」「弟比賣」のニ女王が 挙げられて いる。
最後に「相楽」と「弟国」の地名起源説話では、
「比婆須比賣」「歌凝比賣」「圓野比賣」「弟比賣」が挙げられ、
前の2人は 召されたが、後の2人は 返されたと書かれている。
(※この説話が「木花之佐久夜毘賣」と「石長比賣」の話に繋がっている)
********************************************************************
「日葉酢媛」……子「五十瓊敷入彦/大足彦/大中姫/倭姫/稚城瓊入彦」
「渟葉田瓊入媛」……子「鐸石別/膽香足姫」
「真砥野媛」……(記述なし!!)
「薊瓊入媛」……「池速別/稚浅津姫」
「苅幡戸辺」……子「祖別/五十日足彦/胆武別」
「綺戸辺」……子「磐衝別」
「竹野媛」……本土へ返されたと書かれている
「両道入姫」を「活目入彦五十狭茅」の女と書いてはいるが、
実際に「活目入彦」の子供の中に「両道入姫」の名はない。
****************************************************************
旧事本紀の場合も、「丹波五女」としている。
「日葉酢媛」……子「五十瓊敷入彦/大足彦/大中姫/倭姫/稚城瓊入彦」
「渟葉田瓊入媛」……子「鐸石別/膽香足姫」
「真砥野媛」……子「磐撞別/稲別」
「薊瓊入媛」……子「池速別/五十速石別/五十日足彦」
「竹野媛」……本土へ返されたと書かれている
****************************************************************
この他に「三尾氏 磐城別」の妹「水歯郎媛」が「五百野皇女」を生んだとしている。
この人物は、
「倭姫」に続いて伊勢の斎宮になったとされている。
しかし、「苅羽田」姉妹に関する記述は見当たらない。
「両道入姫」を「活目入彦」の皇女と書いてはいるが、
実際に「活目入彦」の子供の中に「両道入姫」の名は ない
*両道入姫= 膽香足姫= 大中姫= 大中津日子= 伊賀帯日子= 五十日足彦命= 五十日帯日子命
名前が 同じでも 男女 逆転して いるのが 次の人物たち。
「大中津日子」(記)……「大中姫」(紀・旧)
「伊賀帯日子」(記)……「膽香足姫」(紀・旧)
紀も 旧も「両道入姫」の出自を曖昧(애매)に して いる点は 重要。
それは ともかく、揃って子供の名前が 挙げられて いる2人、
即ち「氷羽州比賣」「沼羽田之入毘賣」については、
伝承が一定していたと思われる。
然らばこの2人こそ、
「沙本毘賣」が 示唆した「兄比賣/弟比賣」だろう。
【古事記】
「阿邪美能伊理毘賣」……子「伊許婆夜和気/阿邪美津比賣」
「圓野比賣」……本土に返された2人のうちの1人
「苅羽田刀辨」……子「落別命/五十日帯日子命/伊登志別命」
「弟苅羽田刀辨」……子「石衝別命/石衝毘賣命」
*【日本書紀】
「薊瓊入媛」……子「池速別命/稚浅津姫」
「苅幡戸邊」……子「祖別命/五十日足彦命/胆武別命」
「綺戸邊」……子「磐衝別命」(この1人のみ)
【旧事紀】
「日葉酢媛」……子「五十瓊敷入彦/大足彦/大中姫/倭姫/稚城瓊入彦」
「渟葉田瓊入媛」……子「鐸石別/膽香足姫」
「真砥野媛」……子「磐撞別/稲別」
「薊瓊入媛」……子「池速別/五十速石別/五十日足彦」
<수정된 버젼>
「日葉酢媛」……子「磐撞別命=五十瓊敷入彦=/大倭姫/稚城瓊入彦
「渟葉田瓊入媛」……子「鐸石別命= 膽香足姫(= 伊賀帯日子命)/稲別命= 落別命(おちわけ)= 祖別命(おおじわけ)= 祖父別命(おおじわけ)= 於知別命(おちわけ)= 意知別命(おちわけ), 沙本穴太部別(さほのあなほべのわけ)祖 」
「真砥野媛」……子「池速別命(いけはやわけ)= 息速別命(いきはやわけ)= 伊許婆夜和気命(いこばやわけ)= 伊枳速日命(いきはやひ)/ 五十速石別命(= 伊登志別命(いとしわけ)= 胆武別命(いたけるわけ)」
*五十日足彦命= 伊賀帯日子命= 膽香足姫
*五十功彦命[伊勢 刑部君・三川 三保君の先祖]
http://www.sc.ntou.edu.tw/~ntoumac/works/article/comic/Uraki/Uraki.htm
★『書紀』 胆武別(いたけるわけ)命。
★『古事記』 伊登志別王(いとしわけ)。
*小槻氏は 落別命 (祖別命・於知別命) の後裔で
『古事記』では 落別王、小月之山君, 三川之衣君の祖
*小月之山君 - 小槻山君とも。近江国 栗太郡の豪族。のち小槻氏(官務家)。
*三川之衣君 - 三河国 衣(許呂母、現 豊田市 挙母)の豪族。
*武伊賀都別命(たけいがつわけ) - 落別王の3世孫。成務天皇期の伊賀国造。
= 意加都彦命??
大中津日子命
・崇神天皇と比婆須比売命の女
・山辺之別、三枝之別、尾張国之三野別, 稲木之別、阿太之別、吉備之石無別、許呂母之別、高巣鹿之別、飛鳥君、牟礼之別らの祖
・書記では 大中姫命(おおなかつひめのみこと)と皇女の記載
『古事記』では 落別王(おちわけ)、小月之山君, 三川之衣君の祖
『日本書紀』では 祖別命(おおじわけ、みおやわけ)、
『新撰姓氏録』では 於知別命、
『系図纂要』・『地下家伝』では 意知別命と記される。
*小槻氏は 落別命 (祖別命・於知別命, 意知別命) の後裔.
http://ameblo.jp/tmruss/entry-10643560130.html
妃:苅幡戸辺(かりはたとべ、苅羽田刀弁)。弟苅羽田刀弁の姉
子:祖別命(おおちわけのみこと、落別王・意知別命, 意知別命)。伊賀国造・小槻氏の祖
子:五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)。
五十嵐氏の祖、新潟県の五十嵐神社に 祭られて いる。
子:胆武別命(伊登志別王)
■伊加奈志神社
住所:愛媛県 今治市 五十嵐甲 635
祭神:五十日足彦命(いかたらしひこのみこと、崇神天皇の皇女)
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/koten/shoki16.htm#%99%BF%94N%8Ft%90%B3%8C%8E
*祖別命(おおちわけのみこと、落別王・意知別命, 意知別命)。
-----------------------------------------------------
こう並べてみると、旧事紀は「苅羽田」姉妹を、
「美知宇斯」の娘に 吸収して記述して いる ことが 分かる。
古事記の「歌凝比賣」、
紀と旧の「渟葉田瓊入媛」。
*歌凝比売命(うたごりひめ)
*円野比売(まどのひめ)
*竹野媛(たかのひめ)
*薊瓊入媛(あざみにいりひめ)= 阿邪美能伊理毘賣
あざみ [薊]
1. [명사] 『식물·식물학』 엉겅퀴.
「廷」は「庭」に等しく、「ニハ」とか「ニ」と読む。
「朝廷」は「ミカド」とも読めるが、「アサニ」とも読める。
これが「阿邪美」に等しいことは 説明の要なし。
------------------------------------------------------
http://www.platz.or.jp/~hvhy/keifu/k017.html
★古事記の中心は「吉備族」である★
「天之御影」に連なる「息長」の系譜は、「師木縣主」の系譜のダブりである。
そのことについては述べたが、(※【系譜分析16】 および【ヒント情報9】を参照)
実は、もうひとつダブりが存在する。
「布多遅能伊理毘賣」の系譜である。
「八島士奴美」から「大国主」に至る訳の分からない系譜を分析することにより、
「山代大国之淵(フチ)」という人物は、「五百木(イフキ)入日子」であることが解明される。
すると、「苅羽田刀辨/弟苅羽田刀辨」の姉妹は、「蠅イロネ/蠅イロド」であると分かる。
これを図示すれば、次のとおり。
+-夜麻登登母母曾毘賣
|
|[多多須美知能宇斯]
+-日子刺肩別--氷羽州比賣
| (落別) ∥---淤斯呂和気
| ∥
五百木入日子 +-比古伊佐勢理毘古(五十日帯日子)[神大根]
∥ (苅羽田刀辨)|
∥---+-蠅イロネ-+-倭飛羽矢若屋比賣(伊登志別)[御井津比賣]
∥ |
+-和知津美 +-蠅イロド-+-若日子建吉備津日子
| (苅羽田刀辨)|
| +-日子寤間(石衝毘賣 またの名を 布多遅能伊理毘賣)
| ∥
+-針間伊那毘大郎女 ∥--帯中日子
∥ ∥ 《仲哀天皇》
∥----+-倭建(ヤマトタケル)
∥ |
八重事代主 +---神櫛王 比古伊佐勢理毘古
∥ ∥ 《応神天皇》
∥ ∥---本牟智和気
∥---+-沙本毘賣 ∥
∥ | ∥--宇遅能和紀郎子
神倭伊波禮毘古 | ∥
+---宮主矢河枝比賣
ここで、「伊久米伊理毘古伊佐知」(垂仁)である以上、
「苅羽田刀辨/弟苅羽田刀辨」の姉妹が、垂仁天皇と結婚することは、絶対にありえない。
「布多遅能伊理毘賣」たちの父が、垂仁天皇になっているのは、系譜の混入、位置の錯誤であろう。
この「苅幡刀辨」は、上記 系譜中の「苅羽田刀辨」であろう。(姉のほうを指す?)
・「大俣王」=
・「小俣王」=(……「當麻」の「勾君」の祖)
「志夫美宿禰」
「比古伊佐勢理毘古」
「五十日帯日子」(……「佐佐君」の祖)
おおかた、このように対応すると考えられる。
「大俣王」には「曙立王」「菟上王」という2人の子供が いて、
前者は「伊勢の品遅部の君、伊勢の佐那造の祖」、
後者は「比賣陀君の祖」となって いる。
「佐佐君」の「佐佐」や、「佐那造」の「佐那」などは、当然ながら、
「伊佐勢理毘古」の「佐勢」
「刺肩別」の「刺」または「肩」から来て いる。
さて、「大俣王」と「自動的に、
「曙立王/菟上王」は 両方とも 女性、つまり姉妹ということになるが、
(※なぜなら、「多多須美知能宇斯」の子供は 全員女性だったと書かれている)
姉に 当たる「曙立王」は、「本牟智和気」(応神?)に奉仕するシャーマンであった。
(※「本牟智和気」が子供のとき、口がきけなくて、占いをした記事がある)
王権に従属するシャーマンは、卑弥呼の昔から伝統的に女性であったとすれば、
「曙立王」が 女性であったとしても、なんの問題も ない。
それよりも、「沙本毘賣」が 死ぬ間際に言い残した「兄比賣/弟比賣」こそ、
【系譜分析16】を参照)
ひとつ加えておこう。今まで、「日子坐」=「日向之諸縣君 牛諸」としてきたわけだが、
「多多須美知能宇斯(ウシ)」=「日向之諸縣君牛(ウシ)諸」としたほうが全体が整合する。
このことに 関する考察は、【説話分析8】に譲る。
「石長比賣」という名前がポイントだ。
(※【系譜分析14】【系譜分析15】 【系譜分析16】を今一度、読み返していただきたい)
------------------------------------------------------------------------------------
「内色許男」は「穂積臣らの祖」と書かれている。
「穂積」の語源は?
「伊杼美」=「伊豆美」だから、「本杼」=「本豆」=「本牟遅」となる。
実のところ、「ホツミ」の「ホツ」は、「ホムツ」の詰まったものなのだ。
ここで「ホム」とは「火」のことだから、
「穂積」=「日爪」は当然だが、
「ムチ」は「ムリ」と変化。
「ムタ」は「ムラ」と変化。この音韻変化から、
「本牟遅」=「品陀」=「日村」=「日触」。
以上から「比布禮」=「日爪」。
孝元の系譜も仁徳以降の系譜(河内王朝?)に重なってくるだろう。 まず、「大毘古/少名日子/大毘毘」=「大国主/少名毘古那/大年」。 「建沼河別」たちの母は「高志国」の「沼河比賣」ということになる。 「大年」が「大雀」であり、「山下影比賣」は「下光比賣」である。よって「比古布都押之信」=「天若日子」ということになるが、 「天若日子」=「少名日子建猪心」=「倭男具那」でもあるので、 「味師内宿禰/建内宿禰」=「兄オケ/弟オケ」ということになる。 「神大根」も「天忍穂耳」も「骨」と表記されることが多いことから、 「大倭根子国玖琉~大毘古~建沼河別」=「天忍穂耳~邇邇藝~火照」。
------------------------------------------------------------
>村国男依は、美濃国各牟(かがみ)郡 村国郷、 >身毛君広は 美濃国武藝(げ)郡 出身、 >和珥部君手も、ともに美濃国の人。 「牟宜都君」というのは「大碓」と「神大根」に結びつけられていて、 また「神大根王は、三野国本巣国造、長幡部連の祖」と書かれています。 書紀では「神大根」は「神骨」。ところが「天之忍穂耳」は「天忍骨」で、 いずれも「骨」を負うという意味で、「神大根」=「天之忍穂耳」でしょう。 「神大根」の兄に「多多須美知能宇斯」がいますが、「意富多多泥古」は 「河内之美努村」に住んでいた。
この「美努村」は「三野」と無縁ではない。 「多多須美知能宇斯」も「意富多多泥古」も「多多」(タタ)を含んでいます。
書紀の「狭城盾列」を古事記は「沙紀之多他那美」に作る。
「武小廣国排盾」を「建小廣国押楯」に作る。
つまり「楯」は「盾」で「多他」(タタ)。
したがって、 実は「意富多多泥古」は「山部大楯連」に繋がる。
ところが「山部連 小楯」について、 書紀は「伊豫来目部 小楯」とする。
この段階で「神大根」と「伊豫」が繋がるわけです。 ところが 改めて「牟宜都君」の綴りを見ると、これは「大宜都比賣」に似ている。 「大」の発音の頭の部分は「o」ではなく「wu」です。また「伊都国」の「伊」も 「i」ではなく「u」に近いそうです。「意富」の「意」は「オ」ではないわけです。 これを踏まえると、「wu」が「mu」に訛った可能性はある。
「大宜都比賣」は「粟」。 したがって、「神大根」は「伊豫」に縁があり、
「牟宜都君」は「粟」に縁があるわけで、 いずれも「四国」ですね。これは「三野」の縁者は「四国」にルーツがあるということです。 話はこれで終わりません。かつての「牟宜都君」の勢力範囲と思われるところに、 「大矢田神社」が鎮座している。ここの祭りを実は「ひんここ祭り」と言うのです。 この「ひんここ」というのは「狗奴国」の王の名前に重なります。
古事記の系譜には
「堅石王の子は、久奴王なり」とある。
「堅石」(キタシ)は「岐多斯比賣」でしょう。
今も岐阜県の各務原市には「蘇原」という所があって、
ここには「蘇我氏」の痕跡がある。 各務原市と武儀郡は隣みたいなもんです。
もちろん「狗奴国」というのは2~3世紀の話で、 「蘇我氏」というのは 6~7世紀の話ですから、時代が 異なります。
しかし民族紛争は 長引く。 そのことは アフガニスタンの内戦やら タジキスタンの内戦やらを 見ても 分かる。
「村国男依」は「尾張連」の分派ですが、
この「尾張連」と「蘇我氏」も 深い関係が ある。
もう字数オーバー!!
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仮に「比古伊那許士別」(膳臣)を女性としてもよいのであれば、 「下光比賣」=「山下影比賣」「比古伊那許士別」=「火須勢理」。
「若沼毛二俣王」=「本牟遅和気」=「伊邪本和気」だ
「近淡海国」~「淡道島」~「志賀島」と繋がっているので、
「若帯日子」の「近淡海之志賀高穴穂宮」は、あるいは、
博多湾岸の「志賀島」に繋がっているかもしれない。
関係ないが、仲哀記の「是以知坐腹中国也」という部分は、
「是を以ちて腹中国に坐すを知りぬ」と読むこともできる。
この「腹中国」が「葦原中国」であること言うまでない。「男浅津間若子宿禰」の「男」は、「三尾」であり、「御大」であると述べた。 「男」の負う人物は他に「天手力男」「倭男具那」「須佐之男」が挙げられる。 「倭男具那」は「石衝別」の妹を娶った。
一方「須佐之男」は「石衝別」の父。 倭男具那(天若日子) ∥ ∥---帯中日子 (伊佐知) ∥ 須佐之男--+-布多遅能伊理毘賣(火須勢理)……「ミホススミ」(御大) | +-男浅津間若子宿禰(火照)……「羽咋君」「三尾君」 (海佐知毘古) つまり、ここに「男」あるいは「尾」あるいは「大」の連合が見られる。 既に述べたとおり、「安曇」を中心とするグループと言ってもよいだろう。 「男」~「田・力」~「タヂ・カラ」~「多遅・韓」~「手力」~「天手力男」 このような繋がりを読むこともできる。復活した「天照」は「下照比賣」である。
>此之御世、免寸河之西、有一高樹。
>其樹之影、當旦日者、逮淡道嶋、當夕日者、越高安山。
説話分析の最初にとりあげた部分。
いわゆる「朝」に「旦」の字を使っている。
「丹波」は「旦波」とも綴られるわけだから、
漢字を置き換えれば、「丹波」=「朝波」となる。
「多治比之柴垣宮」の「多治比」は「多遅」であり、
「多遅の花」は「橘」であり、「橘」は「岐須」であるが、
これらは皆おそらく「丹」を示している。そしてその「丹」に、
どういう脈絡においてか「朝」が関係している。そういうことだ。
倭志理都彦 (*)海部。建稲種命の息。息に川上眞稚命。
*建稲種命 --- 倭志理都彦 --- 川上眞稚命
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http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/5-5-kawakamimawaka.html
十四世孫 川上眞稚命が 住んだのは、現在の 京丹後市 久美浜町 須良(すら)である。
川上眞稚は 川上麻須(かわかみます)あるいは 河上麻須良とされる人物である。
『丹後舊事記』では「開化・崇神・垂仁の三朝 熊野郡 川上庄須郎の里に 館を 造る。
丹波道主(たんばみちぬし)命は 麻須良女(ますろめ)を娶る」とする。
*麻須良女(ますろめ)
*河上麻須郎女(かわかみますろめ)
崇神の時代 四道将軍の一人として丹波に 派遣されたのが 丹波道主命である。
丹波道主は 河上麻須の子、河上麻須郎女(かわかみますろめ)を娶る。
その子供の一人が 崇神の妃に 成る 日葉須姫(ひばすひめ, 히바스히메)命で、仲哀の祖母である。
『勘注系図』では 川上眞稚を、碁理(ゆごり)の子とする。
また 八世孫 日本得魂彦命のところで、日本得魂彦命の亦の名を 川上眞若とするが、
共に 由碁理の子で 異母兄弟くらいであろう。
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http://2style.in/alpha/23-10.html
★河上神社のヨド姫とトヨ姫
「さて、この河上神社の祭神、與止日女命または豊玉姫命には、次のように二系列の表記法がある。
ヨド姫系:豫等比咩神 『三代実録』
淀姫命 『特撰神名牒』
與止比女神 『明治神社誌料』
世田姫 『肥前国風土記』
トヨ姫系:豊玉姫
豊姫 『神名帳頭註』
最後の豊姫は、肥前国風土記逸文に残る「一名豊姫、一名淀姫」と言う記事によるものだが、実際の発音については、通常の[トヨヒメ]と社伝による[ユタヒメ]のいずれが正しいかは、良く解らない。
しかし、伝承全体の可能性としては[ヨド]姫系と[トヨ]姫系の2種類の呼び方が有るわけだ。
この二つの呼び方の関係は、清濁を無視すれば
1)単に[ヨド(ヨト)]と[トヨ]の前後位置が逆転した
2)豊[ユタカ]の短縮形[ユタ]が[ヨタ]さらに[ヨド]と変化する一方で
豊[トヨ]という読みも並行して用いられた
のいずれとも取れる」
響子が、これに続けた。
「当時、女神として祀られたという事は、その実体が巫女つまりシャーマンだったわけですよね。
偶然かも知れませんが
豊姫が[ユタヒメ]ならば、沖縄に今も残るユタと呼ばれる巫女との関係
豊姫が[トヨヒメ]ならば、ヒミコの後を継いだと言うイヨ、一名トヨとの関係
の二つが、非常に気になりますね」
「そう。私もそう思う。
神功皇后もシャーマン的側面を持っていたが、宇佐神宮で応神天皇と神功皇后の間の中央に祀られている比咩大神(ひめのおほかみ)の正体は、実は神功皇后の妹である河上神社の與止日女(よどひめ)であるという説が有るんだ」
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http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-3-2.htm
*意布比古[若宮臣] [津守連 始祖] [杖部造・那須直祖]
http://www.geocities.jp/okugesan_com/shiryo5-2.html
*意布比古= 若宮臣= 津守連 始祖
http://www.geocities.jp/okugesan_com/abe.htm
佐白米命
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01218.htm
*鐸石別命= 両道入姫= 膽香足姫= 大中姫= 大中津日子= 伊賀帯日子= 五十日足彦命= 五十日帯日子命= 水齒진약명= 水穗
*五十日足彦命(春日山君・ 高志池君の祖。越後の五十嵐氏・ 山吉氏 などの先祖)、
*五十日帶日子王者、<春日山君、高志池君、春日部君之祖> 山守部, 石田氏, 高志池氏, 春日山氏, 五十嵐氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01220_1.htm
<讚岐氏>
*須賣保禮命(須売保礼命, すめほれのみこと)= 稲背入彦命의 兄??
http://www.nihonjiten.com/data/263345.html
針間国造と道祖の稲背入彦命(いなせいりひこのみこと)の兄である 須賣保禮命(すめほれのみこと、須売保礼命)を国造に定めたことに始まるとされる
http://tokyo.atso-net.jp/moby.php?mode=show&UID=1267950348
脚咋別は、阿波國海部郡の肉咋(徳島県海部郡宍喰町)であるが、鷲住王は、宍喰川の流域を開拓し、農耕をはじめ、そこにはじめて邑をつくったとされる。『富田家文書』という古文書によれば、海部氏の祖先は鷲住王であると書かれている。鷲住王は阿波の却咋より、鵜足郡富隈村に移り住み、讃岐で薨玉し、飯山に葬ったと三代実録に記述がある。
──神櫛別命(神櫛王)──千摩大別礼命─〔讃岐国造〕須売保礼命─ー鮒魚磯別王──鷲住王──田虫別乃君──吉美別乃君──油良主乃乃君
崇神天皇-鐸石別命-雅鐸石別命-田守別王 -茅彦王(氏祖・備前美作国造)-麻巳目王-意富巳目王 -伊比遅別王-伊大比別王-萬侶-古麻佐-佐波良 -佐波豆- 宿奈-平麻呂 -和気清麻呂
崇神天皇─鐸石別命─稚鐸石別命─田守別王─茅彦王─麻已目王─意富已目王─伊比遅別王─伊太比別王─万子─古麻佐─佐波良─佐波豆─宿奈─平麻呂─和気清麻呂(妹和気広虫)。
石=いし
押=おす==>おし= 押し
押黑= 石黑
大俣王. おおまたのみこ
小俣王(をまた)
王(あけたつのおう)
押黑之兄彦王[三野字泥須別]
押黑之弟彦王[牟宜都氏]
〔古事記 開化天皇〕
次日子坐王、娶山代之荏名津比賣、亦名苅幡戸辨、 生子、
大俣王。
次、小俣王。
次、志夫美宿禰王。
==> 八綱田命、、 生子、
大俣王。
次、小俣王
。志夫美宿禰王??
故、兄大俣王之子、曙立王、次菟上王。
此 曙立王者、〈 伊勢之品遲部君、伊勢之佐那造之祖。 〉
菟上王者、〈 比賣陀君之祖。 〉
次、小俣王者、〈 當麻勾君之祖。 〉
次、志夫美宿禰王者、〈 佐佐君之祖也。 〉
國乳別皇子= 水沼別= 水別命
國背別皇子(宮道別皇子)= 水間君祖
豐戸別皇子= 火國別
지부미숙례= 佐佐씨
*稚武彦= 若建王(わかたけるの)= 若建吉備津彦命= 若日子建吉備津日子命=
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01205.htm
稻日大郞姬= 針間之伊那毘能大郎女(はりまのいなびのおおいらつめ)
稻日稚郞姬= 針間之伊那毘能若郎女= 印南別嬢(はりまのいなびのわかいらつめ)
吉備武彦命= 팔강전명= 大吉備津彦命
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01206.htm
<越智氏>
http://rokusan.comoj.com/data6.html
伊豫皇子 ━━ 御諱彦挟島尊 ━━ 小千御子[越智直祖]
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01205a.htm
<賀陽氏>
*穴戶武媛= 襲武媛
*石衝比賣= 왜건명의 母=
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01231.htm
*稲依別王= 日本武尊
*杼(저, 서)= 북
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/abenomaro.4.html
息長氏の系譜 2002/10/31 14:46 メッセージ: 3695 投稿者: abenomaro
以前取り上げた『聖徳太子信仰の成立』(田中嗣人著:吉川弘文館)という本の中で、息長氏の系譜について述べているところがありますので、ご紹介します。
この系譜は『大阪府全志』(大正11年刊)の中に採録されている「北村某の家記」に基づくもので、当時の喜連村(現在の平野区喜連町)付近についての伝承です。
― ― ― ― ― ― →
即ちその伝承によると、喜連村一帯は、往時、大々杼(オオド)国 大々杼郷と称した。その由来は、この土地に鎮座する式内社楯原神社の祭神である 建御雷男命の御孫 建大々杼命に因むもので、その子 建彦命が 父の御名を 国・郷につけたという。
その後、神武天皇の時に功あって、大々杼彦仁(ヒコヒトか?)に 大々杼の姓を賜い、大々杼の国造に 任じ、かつ剱臣(つるぎおみ)の号を賜ったという。
(中略)仲哀天皇のとき、(大々杼)黒城に 嗣子が なかったので、
天皇は 日本武尊の子、息長田別王を 下し給うて 黒城の女、黒媛に 配せしめられ、御子 杭俣長日子王を 挙げられたという。以下、原文を紹介する。
「応神天皇8年、
(妃)息長真若中女命 及 皇子若沼毛二俣王 御幸あり、(中略)杭俣長日子王は 息長真若中女命に 宣給はく、吾に世継の彦なし、恐れ多きも此の若沼毛二俣王を下し賜ふまじくや、(中略)若沼毛二俣王は百々石城に下り、弟女(オトヒメ)真若伊呂弁王を配せられ息長氏を嗣ぎ給ひ、御子大郎子一名大々杼王・忍坂大中女命・田井中女命・田宮中命・琴節郎女一名衣通女命・取売王及び沙禰王の七子即ち三男四女を挙げられる、(中略)然るに若沼毛二俣王の長子大々杼王は、仁徳天皇の勅命を奉じて淡海の息長君となり、弟沙禰王は 息長家を 相続し、忍坂大中女命は 男浅津間若子宿禰尊(允恭帝)の皇妃に立ち給へり。(中略)允恭天皇の御宇、息長沙禰王の女 真若郎女を 淡海の息長大々杼王の子 彦主人王に 嫁せられしが、御妊娠あり 四ヶ月を 経て此の百々石城に 還り、王子御産あり、御名を 大々杼命と称す、
(中略)8年を 経て 雄略天皇元年、息長沙禰王は 御女の真若郎女・御孫の大々杼命を 淡海の息長彦主人王の許に 送り参らせられる。然るに 実母 真若郎女は 早世せられしかば、異母 福井振女に 随ひ、成長せられて 越前三国の君と号す。王子は 後に 天下を 治め給へり。(継体帝のこと)(中略)(この後 継体天皇の御世に 継体天皇 行幸の際、皇女都夫良郎女が 池に 落ち、それを 助けようとした 息長真手王の子息長真戸王が 死んだ話が あります。そこで)息長真手王 夫妻は、世継の彦なしとして愁嘆せられしかば、天皇 詔して 御子阿豆王を 下し賜ひ、真手王の女 黒郎女に 配し、息長家を 相続せしめ給へり。(中略)息長阿豆王の女 比呂女命は 敏達天皇の后に 奉仕して、忍坂彦人太子を 生み給ひぬ。(以下略)」
なお、継体天皇の御名「大々杼」を はばかり、大々杼郷を 高祖 杭俣長日子王に 因んで 杭俣郷と称した記事が みえます。ここが 現在 抗全(クマタ)と呼ばれるところです。
また息長の姓は、大々杼郷を 流れる息長川(現在の今川)に 由来しており、享保年間の『摂津志』や安永年間の『名所図会大成』に「息長川」の名がみえるそうです。
息長氏の系譜(2) 2002/10/31 15:17 メッセージ: 3696 投稿者: abenomaro
文章なのでちょっとわかりにくいのですが、この資料によれば、息長氏はもともと「大々杼の国造」であった氏族に、「日本武尊」の父,「息長田別王」が入り婿し、さらに「応神天皇」=「若沼毛二俣王」が養子に行って引き継ぎ、その後摂津の息長本家を「沙禰王」が嗣ぎ、「大々杼王」は近江の地で分家を創設したということになります。
継体天皇は息長本家出身の母「真若郎女」と近江息長の「彦主人王」との間に生まれ8歳まで摂津の地で育てられます。しかし、父母ともに早く亡くなったため、その後はまま母にあたる「福井振女」によって越前で育てられます。
継体帝が天皇即位を承諾するにあたって、河内馬飼首荒籠を見知っていて情報を送ってくれたので即位を決断できた、という書紀の記事がありますが、その背景には継体帝が8歳まで摂津で育ったというような事実があったのではないかと、著者の田中氏は書いてます。
また敏達天皇の最初の皇后「広姫」は息長真手王の娘でなく、息長家に養子に行った、継体天皇の皇子「阿豆王」の娘であるとされています。そうなると「広姫」は臣籍降下したとはいえ皇子の娘であり、継体天皇の孫となるわけですから、皇后位にふさわしい血統を有していることになります。
*abenomaro 氏.
┌誉津別命= 이예황자= 倭建命
├五十瓊敷入彦命= 성무?
├景行天皇
├倭姫命
├大中津日子命〔山辺別〕= 大中姫命??
崇神天皇─┼
└円目王……【遊部氏】
*鐸石別命(탁석별명)
http://www.hikoshima.com/bbs/heike/100826.html
垂仁天皇ー息速別命ー宇礼葉別命ー志利雄別命ー木呂子王ー阿保須珍都斗王(阿保君)-建部意保賀斯(建部君)-曾俾ー日鷲ー阿佐古ー書首ー阿保深江(阿保君姓・伊賀郡大領)-黒麻呂(天武13賜阿保君姓・大領)-牛養(武蔵小掾)-阿保人上(天平宝字8賜建部朝臣姓・大学頭武蔵介)-大国(武蔵阿保庄)ー宗人(賀美郡擬少領)-只上(比企郡大領)-中宗(少領)・・
《建部 意保賀斯の子》-古斯ー多賀良ー武比古ー忍山ー磐弓ー登理(上宮太子舎人)ー阿保広国(阿保公姓)-稗麻呂ー豊躬ー阿保稲男(天平宝字8賜阿保朝臣姓、従兄弟・阿保家麻呂)《稗麻呂の子》-稲麻呂(伊賀郡大領)-百樹(少領)-公足(擬大領)・・
此れ等は伊賀国伊賀郡の阿保郷(阿保庄)の流れ(右京皇別)又、同じ天皇からの流れだが小月山系も在る。
垂仁天皇ー祖別命ー古奈曾乃君ー加流波夜乃君ー小月山宇津志(小月山君、応神朝)-稲加斯ー左加斯ー意古ー志己夫ー赤兄(小智冠、推古朝)-身麻呂ー子麻呂(栗太評督)-真作(栗太郡大領・大舎人)-豊玉(大領)-飯麻呂(大領)-猪甘(大領)-魚福(擬大領)-豊緒(栗太郡主帳)-阿保今雄(貞観17改賜阿保朝臣・算博士右大史、弟・阿保有雄)・・
=健真別王
=沼帯別 =弟彦王
鐸石別命[和気氏]─稚鐸石別命─田守別王─茅彦王─麻已目王─意富已目王─伊比遅別王
豊日【大部】─┬ 樫石足尼[志紀県主]【十市氏】
若筒木王─ 豊日┬ 船穂足尼[但馬国造]─ 豊忍別乃君─ 島根尼君─ 太尼牟古乃君┐
磐撞別命(반당)──石城別王〔羽咋国造]【三尾氏】─伊波己理和希─麻和加介─阿加波智君─乎波智君─振媛
=池速別命【阿保氏】〔沙本穴本之別〕
┬息速別命──宇礼葉別命──志利雄別命──木呂子王──須珍都斗王【阿保】
│ 阿保須珍都斗王
└祖父別命──古奈曽乃君──加流波夜乃君──宇津志(小月山氏へ)【小月山】(阿保氏/小槻氏)
=意知別命 =武伊賀津別
=落別命 =武伊賀都別
┌忍健別命─┬押許呂見命──許許米【山守部】【春日山氏】【高志池氏】【五十嵐氏】
五十日足彦命─┤ └佐太別命……【石田氏】
└稚狭久良命──石別之君……【高志池氏】
磐撞別命────石城別王〔羽咋国造]【三尾氏】─伊波己理和希─麻和加介─阿加波智君─乎波智君─振媛
*意知別命(崇神天皇 第五皇子)─某─武伊賀津別(成務天皇の時代に伊賀国造に任じ られる)。
*武伊賀都別= 崇神天皇の皇子, 竟知別命の孫子
*少名比古那命
*意知別命= 祖父別命= 落別命= 於知別命
*忍健別命=
*池速別命= 息速別命
*길비兄彦命= 稻速別命
*国勝= 豊国別命= 稻生臣
*蟲麻呂= 老男
*円興= 円與= 円目王[遊部氏]
*大酢別命=
*稲依別王= 일본무존.
http://www.platz.or.jp/~hvhy/minibbs.cgi?ff=14609
*春日建国勝戸賣──沙本之大闇見戸賣──沙本毘賣──本牟智和気
ここで「沙本之大闇見戸賣」が 書紀の「倉見別」に繋がることは述べた。
まず「倉見別」は「犬上君」の祖。
この「犬上君」は「倭建」に連なる。
*意富多牟和気--布多遅比賣--稲依別 【犬上君、建部君等之祖】
*大多牟和気--布多遅比賣--稲依別 【犬上君、建部君等之祖】
即ち「布多遅比賣」の子が「稲依別」で、
「布多遅能伊理毘賣」の子が 問題の「帯中日子」(足仲彦)。
「稲依別」と「帯中日子」は 同一人物(異母兄弟??)。
それは それとして「稲」が「伊佐」なら、
「稲依」は「伊佐依」となる。
ここで「依」は「ヨリ」とも「イ」とも読める。
「稲依」は「イサイ」。
したがって、「倉見別」と「五十狭茅宿禰」は 同一人物の可能性が ある。
これは 何を意味するか。「犬上君」と「難波吉師」は 同族ということだ
http://www2.ocn.ne.jp/~kikikm/indx_06.html
本来なら 稲依別王 あるいは 須売伊呂大中日子王ですが、崩御していたため、
弟の若沼毛二俣王 と稲依別王の子の倉見別が 争いました。
*倉見= くらみ
*くらみ=
くら-み [暗み]
*稲依別王------倉見別命
http://www.0o0d.com/main/index.php?%B7%CF%BF%DE%A1%DD%C5%B7%B9%C4%B2%C8
*日本武尊━稲依別命━倉見別命━穂並乃君(建部氏へ)
┣荒田皇女
┣大鷦鷯尊
┣根鳥皇子
┣額田大中彦皇子
┣大山守皇子
┣去来真雅皇子
┣大原皇女
┣澇来田皇女
┣阿倍皇女
┣淡路御原皇女
┣紀之菟野皇女
┣菟道稚郎子皇子
┣矢田皇女
┣雌鳥皇女
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01219.htm
http://1st.geocities.jp/tugami555syou/syouichi74.htm
*息速別 = 池速別 = 伊許婆夜和氣。 沙本穴太部之別(大和)の祖。
*落別 = 於知別= 祖別。<遅の名前に 通じる別でしょうか。><許呂母之別(三河・三川之衣君)の祖。>
*五十日足彦別 <五十<五百>狭に 通じる 別でしょうか。> <山公(和泉)、石田君(山城)の祖。>
*石衝別 = 磐撞別・伊波都久和希・イワツク。 母は 。妹に 両道入姫命。妹婿に 倭建命。
近江 高島郡、猿田彦の故地を 領する。 <三尾君(近江国 高島郡)の祖。>
*鐸石別 = 沼帶別.
三枝之別(加賀)、稲木之別(尾張)、三野之別(尾張)、高巣鹿之別(三河)、山辺之別(大和)、阿太之別(大和宇陀)、牟礼之別(摂津)、吉備之石無別・磐梨別(備前)の祖。
*石城別 = 磐城別・伊波智和希・イワチ。 石衝別の子。<羽咋君(羽咋国造)、國羽咋郡(能登)の祖。>
*武伊賀都別(比自支和気?)<伊賀国造の祖。>
崇神天皇─┬誉津別命(倭根) ├武国凝別命= 高部황자.
神櫛別命 ├五十瓊敷入彦命
├景行天皇=大酢別命
├大中姫命
├倭姫命 ├吉備兄彦命 ----- 豊国別命
├稚城瓊入彦命
├鐸石別命
├胆香足姫命 ├稲背入彦命
├磐撞別命
├祖別命
├池速別命 ├五百城入彦女命
├五十速日別命 └五百野姫皇女命
└五十日足彦命
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/preseimei.htm#kurahasi
豊韓別命─雷別命─阿加子宿禰─稚子豆─大龍臣─忍国臣─大麻呂臣┬鳥子臣─阿倍倉橋麿(阿倍氏祖)─
│
└目臣─┬阿倍比羅夫─安麿─小島─家麿─富麿─宅良─頼良─阿倍貞任 │ ─阿倍貞任
│ └阿倍船守──阿倍仲麻呂
*<新撰姓氏録> 右京 皇別 大野朝臣 朝臣 同豊城入彦命四世孫 大荒田別命之後也
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01203.htm
【春日氏/和邇氏】
孝昭天皇皇子天足彦国押人命の裔、大和国添上郡和邇を本拠とするが、後に同郡春日に移り春日氏を称する。
上古屈指の名族で歴代后妃を出した家柄であり、万葉歌人として有名な柿本人麻呂、山上憶良も同族である。
春日氏宗族は後世衰微するが、支族の小野氏は多くの分流を輩出する。(詳細は小野氏を参照)
石上神宮祠官布留氏や富士浅間神社社家和邇部氏は後裔である。
《孝昭帝裔氏族綱要》
┌押媛命
│
孝昭天皇──天足彦国押人命─┴和邇日子押人彦命─┬彦姥津命──┐
│ │
└彦祁都比売命│
│
┌──────────────────────────────┘ ┌忍勝【大宅祖】
│ │
├伊富都久命〔丈部丸部〕 ┌八腹木事─┬武背立─┴五十足【水取祖】
│ │大宅臣祖 │
├袁祁都依比売命 │ ├都努郎女
│ │ │=津野媛= 高田媛
│ ┌建耶須禰命──八千宿禰命〔吉備穴国造]【安那氏 │ └弟比売
│ │ │ =弟姬
│ │ ├深目(和邇氏へ)
│ │ │
├彦国葺命─┼大口納命─┬難波根子建振熊命─┬米餅搗大臣命─┼市河(春日氏へ)
│ │ │ =武建命 │ │
│ │ │ │ └人華(春日氏へ)
│ │ │ │
│ │ │ ├日触使主命(和邇氏へ)┌鳥見(真野鳥見)【真野氏】
│ │ │ │ │
│ │ │ ├大矢田宿禰命─┬佐久─┴小椋──稚子──栲縄──磐城─┐
│ │ │ │ │ │
│ │ │ │ ├武義 ┌─────────┘
│ │ │ │ │ │
│ │ │ │ └八河足尼──牟礼 ├【和邇部】鳥─┬伯万呂
│ │ │ │ │ │
│ │ │ └石持宿禰命──鯨子【壬生氏】 └【真野】忍勝 └弟足
│ │ │
│ │ ├彦汝命──彦武宇志命【葦占氏】【猪甘氏】
│ │ │
│ │ └真侶古命〔額田国造〕
│ │
│ └彦忍人命〔武射国造〕
│
├小篠命──稲都美命【丈部氏】
│
└乙国葺命─┬塩乗津彦命──久麻古流──満大伯【吉田氏】
│
└乙加豆知命──穴太足尼命──蒲見宿禰──湍津乃君【飯高氏】
http://www.platz.or.jp/~hvhy/minibbs.cgi?ff=14609
由碁理ーー竹野比賣 ーー許碁登臣ーー都努郎女ーー日触使主(圓大臣)
ーー袁那辨郎女
日本書紀は「丸邇之 許碁登臣」を「大宅臣祖 木事」と記す。
ところが その一方、
「阿倍氏 木事の女、高田媛、武国凝別皇子を 生めり。
是、伊豫国の御村別の祖なり」という記事が ある。
*高田媛 --- 武国凝別皇子
*袁那辨郎女= 袁邪本王〔近淡海 蚊野別〕??
「大宅臣」は「宮主宅媛」に 繋がる。「阿倍」は「阿毘古」に 繋がる
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
《春日氏/和邇氏》
┌足国【和邇部氏】和邇部祖
│
┌水路子─┼津古──阿提古【田上氏】
=宮主宅媛 │ │
┌ 宮道宅媛 │ └倉子─┬栲縄──磐金
│ │ │
├ 小甄媛 │ └真金
│ │
日触使主命 ┼ 口子【和邇】 ┼ 竹瀬 ── 虫麻呂 ── 与呂比
│ │
└ 国依媛 └建津─┬男人──┬江間
│ │
│ └山無
│
└小車〔和邇玉野〕
┌【春日和邇】深目─┬日爪─┬田作──磐辺──船守─┬磐万侶──稚子─弓束(和邇部氏へ)
│ │ │ │
│ │ └糠君媛 └大楯─┬都瑠
│ │ │
│ ├童女君┌美奈古──山栗【久米氏】 └井尻──【和邇部】真虎
│ │ │
│ └河内─┴荑媛
│
├【春日】市河─┬櫛事─┬荒健──布都波──八股──諸羽──襲足─┬【物部】額田─┬日向(布留氏へ)
│ │ │ │ │
│ │ └麻目〔細部物部〕 │ └年麿(布留氏へ)
│ │ │
│ ├大島──┬健豆【山上氏】 └【物部】武蔵─┬刀良
│ │ │ │
│ └小島子 └宮手【井代氏】 └山背──兄麻呂
│
│ ┌万─【柿本】得足──大庭─┬猨──浄足【柿本氏】
│ │ │
│ │ └人麿──豊子──千腹
│ │
│ ┌牟久──於保貝──磐摩──津摩伎─┴鳥子─┬【春日粟田】百済──道灌
│ │ │
│ │ └【粟田】細目──島──真人─┬人【粟田氏】
│ │ │
│ │ ┌大海 └人上
│ │ │
└【春日】人華─┴岡上─┬野依─┴淵名──【春日小野】大樹──仲若子──妹子(小野氏へ)
│
└津幡【櫟井氏】
※小■媛の■は扁+瓦。 人麿の謎を解く 柿本人麿異聞
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02113.htm
【物部氏】
饒速日命を祖とする神別第一の大族で物部連姓を賜姓され、大伴氏と共に軍事を担当する豪族であるが、蘇我氏との対立抗争に敗れ衰退する。しかし末流は多く、江戸時代の学者荻生徂徠も子孫である。
出羽仙北郡の唐松神社神職物部氏は57世を数え、周防物部神社宮司金子氏も物部氏裔と伝える。
《饒速日命裔氏族綱要》
┌味饒田命──神日子命──麻佐良命──久尼牟古命─┐
│ │
│ ┌──────────┘
│ │
│ └大由乃支命─┬大阿刀足尼(熊野氏〔熊野国造〕へ)
│ │
│ └小阿刀足尼──伊己美命……宇気麻呂【阿刀氏】【中橋氏】
│
│ ┌出雲醜大臣命 ─┬ 大木食命[三河国造]
│ │ │
│ │ ├ 六見宿禰【小治田氏】
│ │ │
┌長髄彦 │ │ └ 三見宿禰【漆部氏】
│ │ │
└御炊屋姫 │ │ ┌ 大水口宿禰(穂積氏へ)
║ │ │ │
╟──┬宇麻志麻治命─┴彦湯支命─┴出石心大臣命─┐ ├ 建胆心大禰
║ │ │ │
饒速日命 │ ┌──────────────────┘ ├ 多弁宿禰【宇治部氏】【交野氏】
│ │ │
│ │ ┌鬱色雄命──武建大尼命 ├ 安毛建美【六人部氏】
│ │ │ │
│ └大矢口宿禰─┼大綜杵───┬伊香色雄命────┼【物部】大新河(物部氏へ)
│ │ │ │
│ ├大峰大尼命 └伊香色謎命 ├【物部】十市根(物部氏へ)
│ │ │
│ └鬱色謎命 ├ 建新川【倭志紀氏】
│ │
│ ├ 大咩布──────────────┐
│ │ │
└穂屋姫 ├ 気津別 │
║ │ │
╟──天村雲命──天忍人命…………(尾張氏) └ 武牟口命──意布美(伊福部氏へ) │
║ │
天火明命──天香語山命 ┌────────────────────────────┘
│
├ 豊日【大部】─┬ 樫石足尼[志紀県主]……… 【十市氏】
│ │
│ └ 船瀬足尼[久自国造]……(有道氏/児玉党へ)
│
└伊麻伎利【若湯座氏】【真髪部氏】【志貴氏】
http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/27440662.html
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01212.htm
【日下部氏】
彦坐主王の後裔で、但馬国造家の後裔である。
孝徳天皇裔とする系図が多く見られるが、大日本史の説に従う。
越前の戦国大名朝倉氏は、日下部氏の後裔を称する。
《開化帝裔氏族綱要》
┌ 大俣王─┬曙立王【品遅部氏】【佐那氏】
│ │
│ └兎上王(菟上王)【比売陀氏】
│
├ 小俣王【当麻勾氏】
│
├ 志夫美宿禰【佐佐氏】
│
├ 狭穂彦王 ── 臣知津彦公 ---- (........) ──塩海宿禰〔甲斐国造〕
│
├ 狭穂媛命
│
├ 袁邪本王〔近淡海 蚊野別〕
│
├ 室毘古王〔若狭耳別〕
│
├ 日葉酢媛命
│
├ 淳葉田瓊入媛
│
比古由須比命 - 丹波道主命 ┼ 真砥野媛
= 彦坐王 │
【忍海部氏】 ├ 竹野媛
├ 朝廷別王〔三河穂別〕
│
├ 神大根王〔三野前国造〕
│
├ 水穂五百依比売命
│
├ 御井津媛命
│
├ 稚筒城王 ─┬ 船穂足尼[但馬国造]─ 豊忍別乃君─ 島根尼君─ 太尼牟古乃君┐
│= │ │
│ │ ┌神功皇后 │
│ │ │ │
│ │ ├虚空津比売命 │
│ │ │そらつひめ │
│ └迦邇米雷王──息長宿禰王─┼息長比子王──大船足尼〔吉備品治国造〕│
│ =倭建命 │=成務 │
├ 彦多都王〔因幡国造〕 └大多牟坂王[近淡海国造]母: 河俣 稲依毘売 │
│ │ │
│ └ 伊理泥王 │
│ │
└武豊歯頬別命──八百彦王〔丹波竹野別〕【忍海部氏】【村岡氏】 │
│
=武豊葉頬別命(古事記作 建豊波豆羅和気王。日本書紀 無。母:葛城 垂見宿禰之女 鸇比売) │
│
┌───────────────────────────────────────────────────┘
├山久良子【日下部氏】
│
└阿毘古乃君──尾俣古乃君──身古乃君──阿加乃君──笠古乃君──表米(日下部氏へ)
|
山代之大筒木真若王 |
── 迦邇米雷王 |
息長宿禰王 | 神功皇后 | |||||||
虚空津比売命(母: 葛城之高額比売) | |||||||||||
息長日子王 | 大船足尼 | ||||||||||
大多牟坂王(母: 河俣 稲依毘売) |
*本朝皇胤紹運録(京都大学 電子図書館版)の系図右の注記によれば、
大筒木真若王
弟:稚筒城王= 迦邇米雷王(貞稚王)---息長宿禰王
http://www.platz.or.jp/~hvhy/minibbs.cgi?ff=20155
葦田宿禰
∥
??? ∥-- 黒比賣(狭名来田蒋津之命)
∥ ∥
∥--波多八代宿禰
高千那毘賣 ∥
∥ ∥
∥---( )-- 建内宿禰
∥
大縣主 由碁理= 彦湯産隅= 比古由牟須美
-+大縣主由碁理+ 彦坐王 +-大俣王-+-曙立王 ……【品遅部君、佐那造】
|= 伊香色謎|
+苅幡戸辨 +-小俣王 +-菟上王 ……【比賣陀君】(猿女君?)
(借馬) |
+-志夫美宿禰 ……【佐佐君】
|
+-綺戸邊-
-彦蒋簀??- +-大筒木垂根
|
+-讃岐垂根
http://www.platz.or.jp/~hvhy/minibbs.cgi?ff=20155
*「彦湯産隅」(比古由牟須美)の別名を、紀は「彦蒋簀」と記す。
美称の「御」を附ければ、「屋主」~「御屋主」~「宮主」となる、
紀は 古事記の「美夜受比賣」を「宮簀媛」と綴っている。
*比古由牟須美命= 彦由麻須命= 彦湯産隅命= 建諸隅命.
*美夜受比賣= 宮簀媛
「由碁理~竹野比賣」という系譜がある。
「建内宿禰」の父は「比古布都押之信」。(紀は「屋主忍男武雄心」,その別名を「武猪心」と記す。)
「猪心」は ..........に等しい
*猪心= 由碁理
*真砥野媛
「阿遅志貴高日子根」の持っていた「太刀」は「大量」(オホハカリ)。
その別名は「神度(カムハタ)剣」。
この「太刀」は、当然ながら、
「伊勢」の「綺宮」にも関係しているし、「綺戸邊」にも関係している。
「武猪心」が 娶った「影媛」こ そ「下光比賣」であってみれば、当然だろう
*影媛= 下光比賣
--------------------------------------------------------------
そもそも重要なのは、「蝦夷」は「カヒ」ということ。
「五百木」(イホキ)と書く場合の「木」(キ)は、
「カヒ」~「ケェ」~「キィェィ」と訛ったもの。
「百師木伊呂辨」は「モモシキイロベ」と読んでいるが、
「百師」は「ホシ」(星)とか「フシ」(節)だろう。
その「フシ」(節)は「フチ」(淵)。したがって、
「弟・苅羽田刀辨」
「百師木伊呂辨」も当然だ。
この人物を日本書紀は「綺戸邊」と表記している。
「綺」は「カムハタ」と読む。それはそれだが、
「百師木」の「百師」の省略という可能性も。
ならばこの「綺」は「蝦夷」に等しいことになる。
景行は東国へ行った際「伊勢」の「綺宮」に坐した。
これは「五百野皇女」の宮処だったとも考えられよう。
「綺宮」にいたのは、やはり「綺戸邊」なのではないか?
「伊佐知」は「日葉酢媛」に続いて「綺戸邊」を皇后としたが、
旧事紀によれば、「綺戸邊」=「真砥野媛」である。
然らば、この女も「丹波五女」のうち。これが「五百蝦夷」に続く。
--------------------------------------------------------------
「綺」は「カムハタ」あるいは「カニハタ」。 「苅羽田」は「カリハタ」。そして「雁」は「軽」。 いずれにせよ、「カリ」と「カニ」は音韻変化である。 ところが前項のとおり「綺」は「蝦夷」(カヒ)。 即ち、「カヒ」と「カニ」も音韻変化である。 ならば「迦邇米雷」の「迦邇」(カニ)は、 「蝦夷」(カヒ)ということになる。 名前の固有部分は「米雷」だ。 「伊久米」(記)は「活目」(紀)とも書く。
したがって「米雷」は「目雷」と表記しても よい。
小子部連が捉えた大蛇に附けた名前は「雷」であった。 それはさておき、「目」は「十市縣主」の系譜に連なる。
以上を総合してみると「迦邇米雷」もやはり邪馬台国系か? ---------------------------------------------------------
舒明天皇の即位は629年。(※いわゆる大化の改新が645年)
生まれたのは593年(推古元年)ということになっている。
一方、「息長帯日賣」が 皇后に なったのが 499年。
・息長真手王~麻組郎女~佐佐宜郎女
・坂田大俣王~黒比賣~白坂活日子郎女
・息長真手王~比呂比賣~忍坂日子人太子~舒明
しかしながら、こう並べてみると、(他の系譜を無視すれば)
舒明天皇は継体天皇の孫の世代のようにも見てとれる。
ここで仮に「黒比賣」=「比呂比賣」と考えれば、
以下のような系譜が復元されるだろう。
====> 계보 방향.
息長帯日賣---袁本杼 +-白坂活日子郎女
∥ |
息長真手王 ∥--+-忍坂日子人太子
∥ ∥ ∥
∥---黒比賣 ∥---息長帯日廣額
∥ ∥
坂田大俣王 糠代比賣(田村王)
「息長帯日廣額」は「息長帯日賣」の曾孫ということ。
仲哀9年が 331年であり、神功摂政13年が 339年年。
-------------------------------------------------------------------
建内宿禰
建内宿禰の後裔は奈良盆地の西北部から、西南部に居たとされる。
「日本書紀 景行紀」紀伊国に幸し、・・・屋主忍男武雄心命を遣わし、・・・住むこと9年あり。
紀直の遠祖 菟道彦の女 影媛を 娶り、武内宿禰を生む。
*屋主忍男武雄心= 彦太忍信= 比古布都押之信
*少名日子建猪心
「紀氏家牒きしかちょう」紀の武内宿禰は、大倭国葛城県五処里に家がある。墓は室里に在る。
「帝王編年記」(一書、武内宿禰の墓は)室むろの破賀はか
[推定系図私案ver.0.1]1998.08.01
*比古布都押之信= 彦太忍信命
──彦太忍信命──屋主忍武雄心命─┬武内宿禰(武内宿禰氏族綱要へ)
│
└甘美内宿禰……【山代氏】
┏尾張連之祖 意富那毘
┃
┗葛城之 高千那毘売┳味師内宿禰(山代内臣之祖)
┃
>━(孝元天皇)━━┳比古布都押之信━┫
┃ ┃
伊迦賀色許売━┛┏山下影日売━━┻建内宿禰━┳波多八代宿禰
┃ ┃
┗木国造之祖 宇豆比古 ┣許勢小柄宿禰
┃
┣蘇賀石河宿禰━━満智
┃ (木満致)
┣平群都久宿禰
┃(平群木菟)
┣木 角 宿禰
┃(紀角、都奴)
┣久米能摩伊刀比売
┃
┣怒能伊呂比売
┃
┣葛城長江曽都宿禰━━磐之媛
┃(神功紀、15代・応神紀、葛城襲津彦)
┗若子宿禰
(古事記の系譜記事より)
建内宿禰の子は
波多はた八代宿禰(波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君之祖)、
許勢こせ小柄宿禰(許勢臣・雀部臣・軽部臣之祖)、
蘇賀そが石河宿禰(蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣等之祖)、
平群へぐり都久宿禰(平群臣・佐和良臣・馬御織$連等之祖)、
木角宿禰(木臣・都奴臣・坂本臣之祖)、
久米能摩伊刀比売 怒能伊呂比売、
葛城長江曽都宿禰(玉手臣・生江臣・安芸那臣等之祖)、
若子宿禰(江野財臣之祖)。
↑ 織$(-糸へん+木へん)
「紀氏家牒きしかちょう」蘇我石川宿禰は大倭国高市県蘇我里に家する。故に名づけて蘇我石川宿禰という。蘇我臣、川辺臣の祖である。
「日本書紀~推古」32年条、蘇我馬子、は「葛城県は、元、臣の本居たところである。故に、其の県に因って姓の名と為した。是を以て、冀うことは、常に其の県を得て臣の封ずる県と為したいと欲する。」
▼波多八代はたのやしろ宿禰
波多臣の始祖は 波多八代宿禰で、大和国 高市郡 波多郷(現、高市郡 高取町)に居たとされる。
「日本書紀~推古」、薬猟して、羽田に集い、相連なって朝に参り趣く。その装束は菟田の猟の如くである。
「日本霊異記~下巻32」、呉原忌寸名妹丸は大和国高市郡波多里の人である。幼いころから網を作り魚を捕ることを業とする。延暦2(785)年、紀伊国海部郡の内の伊波多岐嶋と淡路国との間の海に到り、網を下ろして魚を捕る。
「波多神社」高市郡波多郷
--------------------------------------------------------
http://enjoy.pial.jp/~kokigi/keijiban/nukadabe1.htm
「坂戸毘古命-国忍富命-筑箪命-忍凝見命-建許呂命 -筑波使主命-久等宿祢-美呂浪宿祢」
坂戸毘古命― 国忍富命―筑箪命― 忍凝見命― 建許呂命― 大布日意弥命―千熊長彦
坂戸毘古命(孝元天皇世、奉斎三上神)― 国忍富命 ― 筑箪命(崇神天皇世、筑波国造)― 忍凝見命(垂仁天皇世、為大湯坐部)― 建許呂命(日本武尊東征時随従)― 大布日意弥命(為須恵国造)― 千熊長彦(額田部槻本首祖)
伊香色雄命-豊城入彦命 - 八綱田命 - 彦狭島命 - 御諸別命 - 荒田別命- 竹葉瀬
= 崇神天皇 -息長水仍比売 弟:大布日意弥命??
*同系図には、筑波使主命の兄弟で 須恵国造の祖・大布日意弥命の子孫にも、額田部が 出たとされます。
*須恵国造= 那須国造??
*大布日意弥命= 荒田別命의 弟??.
このうち、建許呂命は倭建命の陸奥 遠征に 従軍し、甲斐で「東国造」に 任じられた者で、『常陸国風土記』にも見えます。
同書には、筑波使主命が その後継とあり、「国造本紀」には 茨城国造条に「筑紫刀祢」として 応神朝に 同国造に 定められたと見えます。
久等宿祢は『播磨国風土記』揖保郡 広山里条に 品太天皇(応神)に 額田部 連久等を 派遣したと記されており、
美呂浪宿祢が『姓氏録』左京神別の 額田部 湯坐連条 の記事に 允恭天皇御世に 薩摩に 隼人平定のため 派遣され 御馬一匹を 献上したと見える者(欠名)に当たることは、「東国諸国造系図」(中田憲信編『諸系譜』第1冊所収)に見えます。
同系図には、筑波使主命の兄弟で 須恵国造の祖・大布日意弥命の子孫にも、額田部が出たとされます。
坂戸毘古は 額田部連・額田部の祖先であり、「額田部」とは 製鉄・鍛冶職掌部族であって、天孫族が管掌したものであって、
坂戸毘古が 額田毘道男という別称をもっていたことも肯けます。
上記の名前に見える「凝、許呂」は、鉄塊の意味です。
*忍凝見命= 〔筑波国造〕(三枝部氏)
*須恵国造= > 彦稲勝命〔須恵国造〕【末氏】
*伊香色雄命- 国忍富命- 息長水仍比売(天水與気命)
*多奇波世君= 竹葉瀬
*筑波使主命= 阿閇色命〔筑波国造〕
http://www.ten-f.com/ookuninushi-to-amatuhikone.html
<三上氏>
天津彦根命----天御影命----天麻比止都禰命----意富伊我都命----彦伊賀都命----天夷沙比止命----川枯彦命----坂戸毘古命
----国忍富命----天加賀美命(亦名・天世平命、更名・天水與気命)----鳥鳴海命----八倉田命----室毘古命
① 彦伊賀都命の兄弟が 凡河内直(彦己曾根命)および 山背直(阿多根命)の祖先となって いる。
② 川枯彦の姉妹・川枯比売命が 穂積氏の祖である 大禰命に 嫁いで 出石心大臣命と大矢口宿禰を 生んで いる。
また、もう一人の姉妹・御食津媛命は 恩地神主の祖である 御食津臣命に 嫁ぎ 伊賀津臣命を 生んで いる。
④ 国忍富命の姉妹・新河小楯姫命が 采女臣の祖である 内色許男命(崇神)に 嫁いで 大水口宿禰を生んでいる。
また、もう一人の姉妹・富炊屋姫命は 中臣連の祖である 梨迹臣命(= 伊香色雄命)に 嫁いで 三名の男子を 儲けて いる。
⑤ 天加賀美命の兄弟・筑箪命の子・忍凝見命(オシコロミ)が 筑波を 始め各地の国造九家の祖となっている。
また姉妹である 息長水依比咩命が 彦坐王の妻となり 丹波道主王を 生んで いる(彦坐王の娘の日葉酢媛命は 崇神天皇の皇后)
*丹波道主王= 彦坐王.
*筑波使主命= 阿閇色命〔筑波国造〕
甲斐 | 狭穂彦王3世孫 臣知津彦公 此子 | 塩海足尼 |
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02123.htm
【凡河内氏/広峯氏】
《天津彦根命裔氏族綱要》
┌天御影命──意富伊我都命──┬彦伊賀都命──天夷沙比止命──川枯彦命──坂戸命──────────┐ │ │ = 邇伎都美命 │
├天久之比乃命……【桑名氏】 ├阿多根命──知久流美命──苫麻杵命──伊加利乃命─┐ │
天津彦根命─┤ │ = 孝元 │ │
├天麻比止都命……【山代氏】 └〔凡河内国造〕彦己曽根命(凡河内氏/広峯氏へ) │ │
│ │ │
├天戸間見命……【額田部氏】 ┌─────────────────────┘ │
│ │ │
└彦稲勝命……〔須恵国造〕【末氏】 └長溝命─┬大国不避命─┬曽能振命(山背国造へ)─山代根子命─┬稲鋤毘古│
= 垂仁天皇 │ │ ├葉山媛 │
├真木毘売命 ├苅幡戸弁 └長媛 │
│ │ │
├荒毘売命 └弟苅幡戸弁 │
│ │
├玉手毘売命 │
│ │
└荏名津比売命 │
│
┌──────────────────────────────────────────────────────────┘
│
│ ┌鳥鳴海命──八倉田命──室毘古命─桜井命─比賀多命─┬多奇日子命(三上氏へ)
│ │ │
│ ┌大加賀美命─┴速都鳥命[穴門国造](穴門国造へ)──鳥耳命 └中彦命
│ │
├国忍富命─┼水穂真若命……(系不詳)……【蒲生】吉樹──重材──親任──親家──助家─┐
│= │ │
│ ├筑箪命〔筑波国造〕(三枝部氏初期綱要へ) ┌─────────────┘
│ │ │
│ ├加志岐禰命【白根氏】 └家清─┬俊清──惟俊(藤原氏秀郷流蒲生氏へ)
│ │ │
│ └息長水仍比売命 └舜清(藤原氏教通流蒲生氏へ)
│ =息長水依比咩命
└建勝日命──意美津奴彦命──塩見宿禰命(甲斐国造へ)
= 臣知津彦 = 塩海足尼
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02108.htm
<賀茂氏>
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/okinaga.htm
息長水依比売(おきながみずよりひめ)
開化天皇の皇子、日子坐王(母は和珥氏)の妃。天之御影命の娘とされるが、
実際は 天之御影命を 奉斎する三上氏の祖、国忍富命の娘。
丹波道主命、水穂之真若王(みずほのまわかのみこ)、神大根王(かむおおねのみこ・八瓜入日子王)、
水穂五百依比売(みずほのいほよりひめ)、御井津比売(みいつひめ)を 産んだ。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02104.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01206.htm
【越智氏】
孝霊天皇の第3皇子 伊予皇子の子、越智王子にはじまる伊予の小千国造、伊予大領として伊予国越智郡に古代以来の勢力を持っていた。 また大三島大山祇神社の祭祀を行い、一族は土佐、日向から信濃、大和、越前、尾張まで広範囲に広まる。風早郡河野郷に住した越智玉澄の後裔は「河野」姓を称して、子孫は瀬戸内海の水軍としても活躍して、治承の乱以降は源氏方として軍功をたてている。
後世の武家越智氏は、大名家として一柳家(2家)、久留島家、稲葉家(3家)が明治に至る。
明治の俳人として著名な正岡子規は、河野親経の弟北条康孝の子経孝を祖とする松山藩士正岡隼太の子である。
《孝霊帝裔氏族綱要》
┌孝元天皇
│ ┌意加都彦命〔庵原国造〕…………………………俊忠【庵原氏】
│ │
├日子刺肩別命─┼建功狭日命(角鹿国造へ)
│ │
│ └菟名手命──乎佐自命[国前国造〕……………【豊国氏】【豊氏】
│
├吉備津彦命─┬三井根子命(葦北国造へ)
│ │
│ └大屋田子命【日下部氏】
│ =小千御子
│
│ 伊予皇子 ─ 小千御子 ─ 天狭貫 ─ 天狭介 ─ 粟鹿
│ 忍立毛比命──五十狭茅宿禰─┴彦狭知──阿米
│ --- 彦狭島命 --- 御諸別命 --- 兄彦命----荒田別命-- 玉姬, 竹葉瀬---
孝霊天皇─┼伊予皇子 ──越智皇子─┬天狭貫──天狭介──粟鹿─┐
│ │ = 玉姬 │
└若建吉備津彦命[吉備氏へ]└阿貴積 ┌─── ───┘
↓
【物部】大新河──大小市──小致[小市国造]──若伊香加═══粟鹿──三並──【小市】熊武──伊但馬─┐
│
┌─────────────────────────────────────────────┘
│
└喜多守──高縄─┬高箕──高野──三回田─┐
│ │ 【紀】大人──園益──益躬─┐
├高倉──高岡 │ │
│ │ 【紀】博世 │
└大背……【伊豆部氏】 │ ║ │
│ ║ │
┌─────────────────────┘ ┌細売 ↓
│ │
└阿次──阿貴田──門命──伍香売─┬勝海──久米麻呂─┴百里──百男─┬══益躬(越智氏へ)
│ │
└矢穪 ├荒猪──黒麻呂──道島
│
└兎子──益男──国益
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02108.htm
【賀茂氏】
度会氏と同じ神皇産霊尊を祖とする神武帝の功臣八咫烏武津之身命の後裔と伝える。
山城国愛宕郡賀茂発祥の鴨県主後裔、葛野郡、愛宕郡を支配して京都上鴨社、下鴨社の祠官として永く栄える。
「方丈記」の著者として有名な鴨長明は、下賀茂社禰宜長継を父として生まれ歌才を発揮する。
江戸時代の国学者賀茂真淵も末裔。 ほかに孝霊天皇裔の吉備氏族と称する陰陽道賀茂氏がある。
<賀茂氏>
鴨建角身命(八咫烏武津之身命)─┬鴨建玉依彦命──五十手美命──麻都躬之命──看香名男命─┐
│ │
└玉依姫命──賀茂別雷命 │
│
┌───────────────────────────────────────────┘
│
└津久足尼命──猿弟人命──佐佐乃彦命──菅牽命──稚可土乃命──馬岐乃耳命─┐
│
┌──────────────────────────────────────┘
│
├大伊乃伎命─┬阿波伎乃命─┬伊多足尼命─┬伊賀多足尼─┬【鴨】賀氐(祝部氏へ) ┌麻呂
│[鴨県主祖] │ │ │ │ │
│= │ │ └鹿志麻足尼 └【鴨】為弖……【中島氏】┌阿古 ├牛──百手
│ │ │ │ │
│ │ ├伊幣命 ┌酒屋 ├荒人─┴枚夫──枚夫
│ │ │ │ │
│ │ │ ├麻呂 ┌稲目─┴長比古──小久治
│ │ │ │ │
├賀具夜媛命 │ └伊奈目命──【鴨】多加比─┼黒比古──目古─┴知目─┬粳─┬五百太──広田
│ │ 稲鋤毘古 │ │ │
│ ├伊奈世命─┬大二目命[鴨建津神命社] └小麻呂 │ └百百麻呂
│ │ │ │
│ │ └小二目命──荒熊──荒木──長屋──麻作 └大石─┬小県─┬秋成
│ │ │ │
│ └小屋奈世命─┬大止知乃命──兄人之知命──止知与──与之比古──千雄 │ └吉成
│ │ │
├加比伎命──┬建爾比命 └小止知乃命──大山基命──【鴨】大角(鴨氏/賀茂氏へ) └麻須──稲持
│ │
└久麻己理命 └大多伎命──多禰弖命──美都伎──宇都古【間人氏】
<凡河内氏>
209年生─226年生──242年生─259年生───276年生──────293年生───310年生
苫麻杵命─伊加利乃命─長溝命─┬大国不避命─┬曽能振命[山背国造]─山代根子命─┬稲鋤毘古
= 孝元天皇 = 垂仁天皇 │ │ ├葉山媛
├真木毘売命 ├苅幡戸弁 └長媛
│ │
├荒毘売命 └弟苅幡戸弁
│
├玉手毘売命
│
└荏名津比売命
*磐鹿六雁(いはかむつかり)=伊波我牟都加利命
*彦太忍信命이 孝元의 子. 孝元의 子= 伊加利乃命= 菅牽命