★『日本書紀』卷六 垂仁天皇 三九年(庚午 十)十月 ◆ ===> 수인29년= AD293년.
卅九年 冬十月。五十瓊敷命居於茅渟菟砥川上宮。作劒一千口。因名其劒謂川上部。亦名曰裸伴。〈裸伴。此云阿箇潘娜我等母。〉藏于石上神宮也。是後命五十瓊敷命。俾主石上神宮之神寶。〈一云。五十瓊敷皇子。居于茅渟菟砥河上。而喚鍜名河上。作大刀一千口。是時楯部。倭文部。神弓削部。神矢作部。大穴磯部。泊橿部。玉作部。神刑部。日置部。大刀佩部。幷十箇品部賜五十瓊敷皇子。其一千口大刀者。藏于忍坂邑。然後從忍坂移之。藏于石上神宮。是時神乞之言。春日臣族。名市河令治。因以命市河令治。是今物部首之始祖也。〉
諸国造系譜
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*加志岐弥命(가시키미명)= 五十瓊敷命.
*櫛努古理命= 大加賀美= 天加賀美
*橘(たちばな, 타찌바나)
垂仁天皇の遺言に 香久君の元彦の娘 花橘 を、田道間守の妻となせ、とあり、その間に弟橘が 誕生、
(命名の由来は田道間守の魂の 緒を留める子)、
後に花橘と弟橘とは 田道間守によく似た 押山命に 嫁いだとのこと
*櫛努古理命
*犬上縣主, 三上祝
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天津彦根 ー 天御影 ー 意富伊我都 ーーー 彦伊賀都 ー 天夷沙比止 ー 川枯彦 →→
lー 阿多根(山背国造祖)
lー 彦己曽根(凡河内国造等祖)
→→ 坂戸毘古 ーーー 国忍冨 ーーー 大加賀美 ーーー 鳥鳴海 ー 八倉田 →→(近江の三上氏の本流)
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l l lー 速都鳥(穴門国造)
l lー 水穂真若
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l lー 筑箪 ーーー 忍凝見 ーーー 建許呂 ーーー 意冨鷲意弥(師長国造)
l l l lー 大布日意弥(須恵国造)
l lー 加志岐弥 l lー 深川意弥(馬久田国造)
l l lー 建弥依米(石背国造)
l l lー 筑波使主(茨城国造)
l l lー 屋主刀祢(菊多国造)
l l lー 宇佐比刀祢(道口岐閉国造)
l l lー 加米乃意美(周防国造)
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l lー 阿閉色(筑波国造)
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lー 建勝日 ーーー 意美津奴彦(甲斐国造)
*水穂真若= 息長水仍比賣命(식장수잉비매명).
*息長水依比賣= 息長水仍比賣命(식장수잉비매명)= 水穂之眞若王= 膽香足姬命.
*仍(잉)= 依(의)= 穗(수)= 齒(치)
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