*天下大平(天下太平) <== 天皇の退位を暗示.
●『日本書紀』卷五 崇神天皇 十二年(乙未 前八六)九月 己丑《十六》◆ 崇神 12年, 258年, 9月
秋九月 甲辰朔 己丑。始校人民。更科調役。此謂男之弭調。女之手末調也。是以。天神地祇共和享。而風雨順時。百穀用成。家給人足。天下大平矣。故稱謂御肇國天皇也。
*戊寅 = 258年.
日本書紀は天皇の退位を'天下大平'という文章で隠しておきました.
崇神天皇の在位期間は 12年で簡単に把握になります.
'立太子= 元年'という原理から 垂仁天皇の在位期間は 37年になるようだが, 実際はそうではないです.
垂仁天皇 25年の記事に '天下太平' という文章が 2番繰り返して現われるから..
垂仁天皇の在位期間は 25年に把握されます.
★『日本書紀』卷六 垂仁天皇 二五年(丙辰 前五)二月 甲子《八》◆ 垂仁 25年, 295年, 2月
廿五年 春二月 丁巳朔 甲子。詔阿倍臣遠祖武渟川別。和珥臣遠祖彦國葺。中臣連遠祖大鹿嶋。物部連遠祖十千根。大伴連遠祖武日。五大夫曰。我先皇御間城入彦五十瓊殖天皇。惟叡作聖。欽明聰達。深執謙損。志懷沖退。綢繆機衡。禮祭神祇。剋己勤躬。日愼一日。是以人民富足。天下太平也。今當朕世。祭祀神祇。豈得有怠乎。
*天下太平也
●『日本書紀』卷六 垂仁天皇 二五年(丙辰 前五)三月 丁亥《十》◆ 垂仁 25年, 295年, 3月
廿五年 三月 丁亥朔 丙申。離天照大神於豐耜入?命。託干倭?命。爰倭?命求鎭坐大神之處。而詣菟田筱幡。〈筱此云佐佐。〉
...........復天下太平矣。.............
*復天下太平矣
垂仁天皇25年から垂仁天皇37年の間の空白期間は他の天皇が歴任したはずだから推定します.
崇神 1年 = 247年
崇神 2年 = 248年
崇神 3年 = 249年
崇神 4年 = 250年
崇神 5年 = 251年
崇神 6年 = 252年
崇神 7年 = 253年
崇神 8年 = 254年
崇神 9年 = 255年
崇神 10年 = 256年
崇神 11年 = 257年
崇神 12年 = 258年
臺與 1年 = 259年
臺與 2年 = 260年
臺與 3年 = 261年
臺與 4年 = 262年
臺與 5年 = 263年
臺與 6年 = 264年
臺與 7年 = 265年
臺與 8年 = 266年 是年。晋武帝 泰初二年 晉起居注云。武帝 泰初二年十月。倭女王遣重譯貢獻。
臺與 9年 = 267年
臺與 10年 = 268年
臺與 11年 = 269年
臺與 12年 = 270年
垂仁 1年 = 271年
垂仁 2年 = 272年
垂仁 3年 = 273年
垂仁 4年 = 274年
垂仁 5年 = 275年
垂仁 6年 = 276年
垂仁 7年 = 277年
垂仁 8年 = 278年
垂仁 9年 = 279年
垂仁 10年 = 280年
垂仁 11年 = 281年
垂仁 12年 = 282年
垂仁 13年 = 283年
垂仁 14年 = 284年
垂仁 15年 = 285年
垂仁 16年 = 286年
垂仁 17年 = 287年
垂仁 18年 = 288年
垂仁 19年 = 289年
垂仁 20年 = 290年
垂仁 21年 = 291年
垂仁 22年 = 292年
垂仁 23年 = 293年
垂仁 24年 = 294年
垂仁 25年 = 295年 天下太平(天下大平) <== 垂仁天皇の退位を暗示.
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