★『日本書紀』卷七 景行天皇 三年(癸酉 七三)二月 庚寅朔◆ 景行 3年, 303年, 2月
三年 春二月 庚寅朔。卜幸于紀伊國。將祭祀群神祇。不吉。乃車駕止之。遣屋主忍男武雄心命〈一云 武猪心。〉令祭。爰屋主忍男武雄心命詣之。居于阿備柏原 而祭祀神祇。仍住九年。則娶紀直遠祖菟道彦之女影媛。生武内宿禰。
*武内宿禰= 305年 出生.
武内宿禰の出生に対する最初の文は景行3年の記事に出ます.
景行3年は 303年で把握になるので, 2年後に武内宿禰が生まれたのです.
非常に安定的です.
また応神天皇の出生年も再調整が必要です.
★『日本書紀』卷七 景行天皇 十三年(癸未 八三)五月◆ 成務 3年, 313年, 5月.
十三年 夏五月。悉平襲國。// 因以居於高屋宮。已六年也。於是。其國有佳人。曰御刀媛<御刀。此云彌波迦志>。則召爲妃。生豐國別皇子。是日向國造之始祖也。
以前には景行13年の記事を 318年で推定したが, 今度 313年で把握になりました. 5年が上昇しました.
応神天皇の出生年を計算すれば,
*394年 - 315年= 79歳 + 1歳= 80歳.
応神天皇は 315年に生まれて, 394年まで約80歳まで生きたというのです.
日本書紀では応神天皇は 110歳まで生きたと出ます.
http://books.google.co.jp/books?id=p84BjgsnsTcC&pg=PA225&dq=%E4%BB%B2%E5%93%80&hl=ko&ei=Cz6uTcm5MoKGvAP-o8SGDw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=5&ved=0CEUQ6AEwBA#v=onepage&q=%E4%BB%B2%E5%93%80&f=false
新説日本古代史 (共箸): 西野凡夫 167p, 456p.
景行46年 = 成務天皇の元年. (立稚足彦尊爲皇太子)
景行47年 = 成務天皇の2年.
景行48年 = 成務天皇の3年.
景行49年 = 成務天皇の4年.
景行50年 = 成務天皇の5年.
景行51年 = 仲哀天皇の元年. (武内宿禰爲棟梁之臣)
また'新説日本古代史'で仲哀天皇の元年は'辛酉年'で出ます.
この'辛酉年'というのは 景行51年の自体干支, 辛酉(121年)で由来したということが明かされるようになりました.
そうするので'武内宿禰'を'棟梁之臣'で任命した天皇は'仲哀天皇'という事実がもっと明確になります.
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