倭(왜)

『日本國帝王年代』景行 46年

라디오에요 2015. 5. 24. 11:54

景行 1年 = 296年   立大足彦尊爲皇太子 <== 景行天皇の元年. 

景行 2年 = 297年

景行 3年 = 298年

景行 4年 = 299年

景行 5年 = 300年   

景行 6年 = 301年

景行 7年 = 302年

景行 8年 = 303年

景行 9年 = 304年

景行 10年 = 305年

景行 11年 = 306年

景行 12年 = 307年

景行 13年 = 308年 成務生 熊襲大平


成務 1年 = 309年

成務 2年 = 310年

成務 3年 = 311年

成務 4年 = 312年

成務 5年 = 313年  天下無事 <== 成務天皇の退位を暗示.


仲哀 1年 = 314年

仲哀 2年 = 315年 

仲哀 3年 = 316年

仲哀 4年 = 317年

仲哀 5年 = 318年

仲哀 6年 = 319年

仲哀 7年 = 320年

仲哀 8年 = 321年

仲哀 9年 = 322年

仲哀 10年 = 323年

仲哀 11年 = 324年

仲哀 12年 = 325年

仲哀 13年 = 326年

仲哀 14年 = 327年

仲哀 15年 = 328年

仲哀 16年 = 329年

仲哀 17年 = 330年

仲哀 18年 = 331年   <=== 基準点(331年, 辛卯, 味鄒王 7年)

 

 


『日本國帝王年代』(1716年, 釋圓智 編, 中, 13p.(표시되어 있는 페이지수는 12p.)

 

 

http://www.dlibrary.go.kr/JavaClient/jsp/ndli/full2.jsp?v_kw_str=(日本國帝王年代)&v_db=1&v_doc_no=10357&mode=1 http://www.nl.go.kr/nl/search/bookdetail/online.jsp?contents_id=CNTS-00047693988#

 


景行 十三年 成務生 熊襲大平


 ●『日本書紀』卷七 景行天皇 五一年(辛酉 一二一)八月 壬子《四》◆  (仲哀 1年, 316年, 8月)
秋八月 己酉朔 壬子。立稚足彦尊爲皇太子。是日命武内宿禰爲棟梁之臣。日本武尊所佩草薙橫刀。是今在尾張國年魚市郡熱田社也。

*稚足彦尊= 成務天皇.

『日本國帝王年代』の古書では成務天皇の'立太子'の記事は景行46年に設定になっていました.
日本書紀の編集者は景行46年を景行51年で再調整をします.

日本書紀の景行51年で '是日命武内宿禰爲棟梁之臣。' という記事は元々その席にあった記事です.
日本書紀の構造は景行46年の'立太子'の記事が景行51年で降りた状態です.

景行46年 = 成務天皇の元年.  (立稚足彦尊爲皇太子)
景行47年 = 成務天皇の2年.
景行48年 = 成務天皇の3年.
景行49年 = 成務天皇の4年.
景行50年 = 成務天皇の5年.

景行51年 = 仲哀天皇の元年.  (以武内宿禰爲棟梁之臣)

そうするので景行51年記事は仲哀天皇の元年の記事になります.

 

 

 

 

景行13年

 http://www.nl.go.kr/nl/search/bookdetail/online.jsp?contents_id=CNTS-00047693988#

『日本國帝王年代』(1716年, 釋圓智 編, vol: 中, 12p.(13p))

景行 十三年 成務生 熊襲大平

『先代舊事本紀 大成經』
垂仁天皇三十七年 立以爲皇太子。年始三歳。生性生氣。異世兒也。生年能言能歩。十指長抓腕根天皇爲珍辟。庶皇子擧爲太子。


景行1年 = 3歳
...............
景行13年 = 15歳

『先代舊事本紀 大成經』で景行天皇は3歳に即位したと出てくるので、景行13年には景行は15歳になります。
15歳であれば、第一の息子を産むことができる合理的な年齢です。
通常、天皇は15歳または16歳に婚姻を多くするからです。

前に景行天皇の在位期間を10年と推測したが、最近に 13年の 在位期間がされていないかそのような考えをします。

短点は成務が景行の第一息子と仮定すれば、成務が即位した時、おおよそ5歳で幼い年令になるというのです。