倭(왜)

日本書紀の紀年構造の特徴

라디오에요 2015. 5. 23. 12:45

崇神 元年  => 崇神 1年, 247年, 1月
崇神 3年   => 崇神 3年, 249年, 9月
崇神 4年   => 崇神 4年, 250年, 10月
崇神 5年   => 崇神 5年, 251年
崇神 6年   => 崇神 6年, 252年
崇神 7年   => 崇神 7年, 253年, 2月 <=== 基準点(253年, 倭の大饑饉, 伐休王 10年)
崇神 8年   => 崇神 8年, 254年, 4月
崇神 9年   => 崇神 9年, 255年, 3月
崇神 10年  => 崇神 10年, 256年, 7月
崇神 11年  => 崇神 11年, 257年, 4月
崇神 12年  => 崇神 12年, 258年, 3月 <=== 基準点(古事記 沒年干支, 戊寅年= 258年)

10. 伐休 (13年)  244年 ~ 256年          (13年) 184年- 196年

下の写真の『伐休紀』10年の記事と古事記の崩年干支を利用して基準点2個を設定すると崇神天皇の紀年は易しく把握になります.
ところでもっと大きい問題が待っています.
その難題は'記事の移動'です.

*神功皇后 -- 応神天皇 -- 宇治天皇 -- 仁徳天皇

神功皇后46年の記事はAD377年ほどで把握になります.
AD377年は仁徳天皇の初期時代になります.

宇治天皇の在位期間は情報がなくて何年間在位したのかradioは分からないです.
応神天皇の記事たちはoriginalの応神天皇の記事たちではないです.
仁徳天皇や履仲天皇の記事たちが応神天皇の記事の内で入っている状態というのです.
2~3代の上側の天皇の記事の内に記事が移動した状態です.

この難題はどんなに解決しなければならないでしょうか?
日本書紀以前の古本を捜さなければなりません.
そうではなくては解決が難しいです.



벌휴기 10년 = 253년.


http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-3.htm