倭(왜)

天日槍, 麻多烏

라디오에요 2010. 10. 29. 16:20

http://koujiyama.at.webry.info/201007/article_19.html

 

 「播磨風土記」では、天日槍は伊和大神(葦原志許男)と戦い、「天日槍の矢はすべて但馬に落ち、葦原志許男の矢は、養父郡と気多郡(ほぼ旧日高町域)に落ちた。そこで、天日槍は但馬の出石を本拠とし、葦原志許男は養父神社と気多神社に大己貴命(おおなむちのみこと)ととして祀られた」という。

 『古事記』においてアメノヒボコと阿加流比売神の子孫・曾孫が、菓子の神とされるタヂマモリ(多遅摩毛理、田道間守)であり、次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神功皇后)の母、葛城高額比売命であるとされている。しかし『日本書紀』においては阿加流比売神と結婚したのは意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)とされている点で異なる。

 そうした点から敦賀市の越前一宮気比神社の摂社角鹿神社の祭神:都怒我阿羅斯等と天日槍は同一であるとされる。天日槍は、また、播磨国、近江国、若狭国を経て但馬国の出石に至り、そこに定住して現地の娘・麻多烏(またお)と結婚したとしている。