http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/himini9.htm 『卑弥呼と日本書紀453』
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H96.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H95+97.htm
http://ooinarien.web.fc2.com/toyouke/index3.html
勘注系図(前段)
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/himini9.htm 『卑弥呼と日本書紀453』
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H96.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H95+97.htm
『卑弥呼と日本書紀453』
◆◆◆ 第九世 意富那比命の代に いる〈倭迹迹日百襲姫命〉◆◆◆
第九世の箇所にはつぎの兄弟姉妹がならんでいる。
乙彦命(おとひこ/長男/亦名 彦國玖琉命で 孝元天皇と同名)
日女命(ひめ/長女)
玉勝山背根子命(たまかつやませねこ/二男)
若津保命(わかつほ/三男)
置津世襲命(おきつよそ/四男/尾張の祖とされる孝昭天皇皇后世襲足媛の兄と同名)
意富那比命(おおなひこ/五男/第九世/古事記で尾張の祖)
葛木高千名姫命(かつらぎたかちなひめ/二女/亦名大海姫/古事記で孝元天皇皇子の妃)
(括弧のなかは系図の右ほど年長と仮定)
七世孫に 建諸隅命(たけもろずみのみこと)と云う人物が記される。その注記は 次のようなに記す。
『 亦云、建日潟命 亦名 彦由麻須命 亦云 建日方命 一云、丹波縣主 由碁理命 母葛木高田姫也』
『先代旧事本紀』尾張氏系譜を見れば、宇那比姫が 建田勢命の一番末の妹である。
始祖 彦火明命(饒速日命) -
兒 天香語山命 -瓊瓊杵尊
孫 天村雲命
第三世 倭宿禰命(亦名 天御蔭命, 神宝を献上)-01神武天皇= 彦火火出見尊
第四世 笠水彦命 02綏靖天皇
第五世 笠津彦命
第六世 建田勢命= 建田背命= 03安寧天皇 04懿德天皇 05孝昭天皇
第七世 建諸隅命= 建日潟命= 彦由麻須命= 由碁理命.
第八世 日本得魂命(天照を奉斎) 06孝靈天皇
第九世 意富那比命(姉が百襲姫命) 07孝安天皇 建日方命= 建日別命.
第十世 乎縫命(妹が豐鍬入姫命?)
第十一世 小登與命(御間木入彦) 10崇神天皇
第十二世 建稻種命 11垂仁天皇
第十三世 志理都彦命
第十四世 川上眞稚命(大縣主)
第十五世 丹波大矢田彦命 12景行天皇
第十六世 丹波國造大倉岐命 13成務天皇
第十七世 丹波國造明國彦命 14仲哀天皇
第十八世 丹波國造建振熊宿禰 15神功皇后
第十九世 丹波國造海部直都比 16應神天皇
第二十世 丹波國造海部直縣 17仁徳天皇
三世孫 倭宿禰命 神日本磐余彦天皇(初代 神武)
四世孫 笠水彦命 神渟名川耳天皇(二代 綏靖)
五世孫 笠津彦命
六世孫 建田勢命 健甕依(たけみかより)命, 豊御氣主(とよみけぬし)命
七世孫 建諸隅命
八世孫 日本得魂命 稚日本根子彦大日日天皇(九代 開化)
大日本根子彦太瓊天皇(七代 孝霊)
九世孫
十世孫 御間城入彦五十瓊殖天皇(十代 崇神)
十一世孫
十二世孫
十三世孫
十四世孫 川上眞稚命 稚足彦天皇(一三代 成務)
十五世孫
十六世孫 大倉岐命
十七世孫
十八世孫 建振熊命 息長足姫(神功皇后)
弟彦命= 乙彦命
日女命= 日女命
玉勝山代根古命= 玉勝山背根子命
若都保命= 若津保命
置部與曽命=
彦與曽命=
否井命=
http://unkar.org/r/history/1239621756
倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)。
(古事記では、夜麻登登母母曾毘売命)
倭迹速神浅茅原目妙姫
倭迹迹日百襲姫
迹迹 迹速 偶然にているだけ?誤字?
倭迹迹日百襲媛命 ヤマト+(トト) 日有り 日本書紀
夜麻登登母母曾毘売命 ヤマト+(ト) 日無し 古事記
倭速日百襲姫 これがオリジナル?
「海部氏 勘注系図」によると9世孫、日女命は 倭迹迹日百襲姫命です。
http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/keizu_tenno1.html
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/?pid=kusegakunoto&mode=pr&parent_id=2455
建諸隅命と由碁理は 同一人物?
そんで「勘注系図」ですか・・・信用しでいいのかな?
>天豊姫の父親は建諸隅である。母親はやはり同族の諸見己姫、生まれは葛城であろう。
『勘注系図』は建諸隅命の亦の名を由碁理とする。由碁理は日本書紀や古事記が、開化
の妃になった竹野媛の父親とする人物である。
建諸隅命の妹が、尾張大海媛でしょう。
由碁理の娘は開化の妃になった 竹野媛ということでしょう。
そんで、建諸隅命と由碁理は同一人物とするなら、なんかへんじゃありません?
大海姫
あなたのお説では建諸隅の妹の大海姫は倭国香媛ということですよね?
すると建諸隅のお父さんは 和知都美命なの?
>『記紀』伝承では、倭国香媛 または 意富夜麻登玖邇阿禮比賣命は、亦の名を蝿伊呂泥(はえいろね)とする。蝿伊呂泥は 三代 安寧天皇の曾孫に 当たる 人物で、海部氏や 尾張氏とは関係ない人物である。
あなたも矛盾しているの認めているわけでしょう?
建諸隅命は 尾張氏で、お父さんは 建宇那比で、お母さんは 節名草姫ということでしょう?
妹ですよ?もちろん尾張氏の女性でしょう。
この妹の大海姫こそ崇神天皇妃の尾張大海媛なのでは?この人しかないように思いますよ。
あたしは系図わかりませんが、なんか変に思うのですが・・・?
先代旧事本紀・・・
>建諸隅命(たけもろすみのみこと)この命は、腋上池心宮(わきがみのいけごころ
のみや)にて統治された天皇の御世に大臣になり仕えた
ここおかしいとこですよね。ですが、建諸隅命が 孝昭天皇に大臣となって仕えたのなら、
あなたの説では、非常に都合悪いわけですよね。
あなたが卑弥呼だとする宇那比姫命は 前の世代の人物ですからね。
大海姫命という名が複数あることによる混乱じゃなくて、宮の位置が正確でないとする
ほうが自然じゃないですか?まぁ先代旧事本紀が間違っているか。書記が間違っている
かはわかりませんが・・・?
先代旧事本紀 七世孫 建諸偶命
「妹に大海姫命、またの名は 葛木高名姫命。
この命は、磯城瑞垣宮で天下を治められた
崇神天皇の皇妃となり、一男二女をお生みになった。
すなわち、八坂入彦命(、次に渟中城入姫命、次に十市瓊入姫命が これである。」
ともかく、もう無理無理にご自分の説に都合いいように捻じ曲げているとしか思えません。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01213.htm
고사기 和知都美命= 多祁太努美命
磯城津彦命 ┴ 和智津彦命 ─ 蝿伊呂居
中原氏 일족임.
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_tree_r_6462.html
<天神系の系譜>
伊賀津臣命(伊香刀美は、天女の妹と夫婦になって、云々。)
│
├─(弟)梨迹臣命──○──○─→→→:中臣氏・藤原氏
├─(兄)臣知人命(伊香連祖)
├─(姉)伊世理命(畝尾連祖)
└─(妹)奈是理比売(伊香連の先祖)←:(風土記より)
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_tree_r_6475.html
(1):『古代豪族系図集覧』天神系(P―3)
伊賀津臣命──梨迹臣命(中臣連祖)
├─伊世理命(畝尾連祖)
└─臣知人命(伊香連祖)= 奈是理比売(伊香連の先祖)←(風土記)
(2):『古代豪族系図集覧』
伊香具(いかご、P―340)
天児屋根命・・・伊賀津臣命── 梨迹臣命(中臣連祖)
天児屋根命・・・伊賀津臣命── 臣知人命 ── 角弖命 ── 古加ひ命:「祟神朝、奉祭伊香具(いかご)神」 ── 白猪主命
(3):『風土記』東洋文庫(P―304)
(伊香刀美は、天女の妹と夫婦になって、云々。)
兄の名は 意美志留(おみしる)
弟の名は 那志登美(なしとみ)
女は 伊是理(いぜり)比売
次女は 奈是理(なぜり)比売、伊香連(いかご)の先祖。
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