倭(왜)

諸系譜, 武内宿禰의 계보 , *大多陀牟夜別, 稲背入彦命の系譜, 御諸別命, 彦狭嶋命, 中田憲信 編『皇胤志』

라디오에요 2012. 4. 23. 09:13

 http://6604.teacup.com/tenf/bbs?page=72&

 

 

 

 

 

 

http://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%AA

会意形声。「」+音符「」。

咅は実が二つに割れる様、又は「」に点を打ち二つに分けるの意。

ふたそろいとなっているかのように付き従うの意。

」、「」、「」と同系。

「部」と偏旁が入れ替わっているが、「」などと異なり、意符としての機能が強く

 

「部」は「邑(村、地域)」の意に包含される一方、

 

陪」は、「阜(丘や階)」の意を有し、身分等の上下関係を含意する。

 

*意加部彦命= 意加都彦命

 

 

 

 

 

http://www1.atchs.jp/test/read.cgi/tokyoblog/27/l50

 

第19代の天皇の「男浅津間若子宿禰」の「浅津」を 書紀は「朝津」に作る。

これは単に表記の違いであって、まったく何も見えてこない。

他に注目すべき箇所はあるか。
숭신천황の娘に「稚浅津姫」がいる。この人物がポイントだ。

《古事記》            《日本書紀》 

숭신天皇 ┌─伊許婆夜和気    숭신天皇 ┌─池速別
  ┃  |             ┃  |
  ┠──┴─阿邪美都比売      ┠──┴─稚浅津
  ┃                ┃
阿邪美伊理毘売         薊瓊入媛

古事記の系譜を見ると、「阿邪美能伊理毘売/阿邪美都比売」は母娘。
「阿邪美」という名辞を継いでいることが分かる。次に「稚浅津姫」を
古事記の「阿邪美都比売」と比べると、「稚」は付加であることが分かる。
即ち書紀の「浅津」は古事記の「阿邪美都」である。ここで「ツ」は接尾辞。
ところが同じ「阿邪美」を負う「阿邪美能伊理毘売」が書紀では「薊瓊入媛」。
である以上、やはり「浅津」も「薊瓊」も同じ。別の名前ではないと考えるべき。

★★★★★←→★★★★★
★二七九★←→★水月金★
★一三五★←→★計土羅★(※ここで「」は「計都」のこと)
★六八四★←→★火日木★
★★★★★←→★★★★★

「男浅津間若子宿禰」の「浅津」は「薊瓊」なのだ。では「薊瓊」とは何か。
【系譜分析29】によれば、第19代の天皇は月宿の「婁」。そのインド名は
「アシュヴィニー」(正確な発音は書けない)。このことを念頭に置いてみると、
「薊瓊」という表記は、インドの月宿「アシュヴィニー」を表わすことが判明する。

それだけではない。「阿邪美都比売」の「阿邪美」は「薊」であって、
「阿邪美都」は「薊都」とも書けるが、実は「薊」の音は「計」に同じ。
したがって「阿邪美都」→「薊都」→「計都」と読み替えることができる。
一方の「アシュヴィニー」は、いわゆる九曜で言えば「計都」。である以上、
「薊」という表記は、最初から「計都」を表わすために用いた可能性が大きい。

#「あしび」を「馬酔木」と書く。「あせび」とも「あせみ」とも言う。
#「アシュヴィニー」は、例えば 舎頭諫経では「馬師」。そうしてみると、
#「馬酔木」と書く背景には、サンスクリット語(ないしイラン語)がある。

 

 

 

稲背入彦命の系譜

http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/inase1.htm

 

1 稲背入彦命の系譜の原型と思われるのは、

 

景行天皇の皇子ではなく応神天皇= 稚渟毛二俣命継体天皇の先祖、息長氏族の祖)等は 針間国造(번마국조)の祖ですが、讃岐国造稲背彦命の千摩大別命から 出て います。」

 

 

*稲背入彦命 =

 

稲背入彦命が 渡来人(新羅系)の末裔であれば、

 大和の穴師坐兵主神社を 創祀したのは 納得できます。

 
 以下は、姫路における渡来人の足跡です。
 
(1) 宮山古墳 姫路市四郷町(市川東岸
5世紀後半に築かれた首長級墳墓。石室が上下2段に造られており、その構造から朝鮮式(加耶系)古墳とされている。
副葬品についても特徴がみられ、土器(初期須恵器・陶質土器)は畿内において最も早い例になり、環頭大刀(かんとうたち)2本に至っては日本列島で最も早い例になります。
この地に有力な渡来人が移住してきたと思われます。
 
(2) 新羅神社 姫路市四郷町明田
  祭神 応神天皇、神功皇后を主神とする八幡三神。
神功皇后西征の凱旋を祝い、三韓の一つの国であった新羅の名を取り、新羅神社と呼ばれるようになったそうです。
白国神社は 既出故、割愛。

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1,さて、稲背入彦命については

 

古事記』垂仁段に 皇女 阿邪美都比売命(稚浅津姫命)について、稲瀬毘古王(いなせひこのみこ)に嫁したとありますが、稲瀬毘古王にせよ 稲背入彦命にせよ、同書には 景行天皇の皇子としては 記されません

『旧事本紀』天皇本紀にも 垂仁の皇子として あげられて いません)。

 
一方、『書紀』 垂仁紀 三四年には、薊瓊入媛(あざみいりひめ) 池速別命・浅津姫命を 生むとあり、後者が 阿邪美都比売に当たりそうですが、嫁ぎ先は 稲瀬毘古命

 

*阿邪美都比売= 稚浅津姫命

 

また、 景行紀 四年には、

妃の五十河媛神櫛皇子讃岐国造の始祖)の生母と見えますが

神櫛王景行記に 小碓命(倭建命祖父と見えて、記紀が 合致しません。

 

*五十目彦王命.[讚岐君等祖]

*五十河媛=

 

これらも含めて、垂仁天皇及び景行天皇 周辺の人物は、記・紀や『旧事本紀』で 一致しないことが多く、その皇子・皇女について 多くの矛盾する所伝が 記載されて います 。

 この矛盾が なぜ生じたのかというと、結論的にいえば、本来別系であった応神天皇とその祖先の系譜を 両天皇の周辺人物に 取り込んだからだと推されます。

 

稲背入彦命については、記と紀とでは、記のほうが 古伝であって、原型ではないかと考えられるところです。

 すなわち、稲瀬毘古命は 本来王族ではなく、垂仁皇女との婚姻(垂仁女婿となること)により 皇子として 皇室系譜に 取り込まれたと考えるものです。

 
 記紀では、皇室系譜はかなり整理された形になっていますが、

 『旧事本紀』の「天皇本紀」の景行段の諸皇子についての記事は、きわめて粗雑であって整理のない混乱した記事になっています。

逆に、だからこそ、これを記紀の他の記事と照合させ、うまく整理することにより、

応神天皇一族の系譜がかなり整理されることになるものと考えられます。

整理の手がかりをあげますと、

 

①同人が 多少とも異なる名前で 重複してあげられる

 

②同じ姓氏が 多少とも 異なる表記で 重複して あげられる

(例えば、武国皇別命を 祖とする 添御杖君と大稲背別命を 祖とする 御杖君は 同じなど)、

 

宇佐国造の祖となる 稚屋彦命が 景行天皇の皇子として あげられる、

 

④上記の諸点を踏まえて、景行の皇子とされる人々が 世代(時代)の古いものから 順に 配列されうる、などです。
ほかにも、考慮すべき要素はありますが、

 

結論的には、応神天皇の祖先は、宇佐国造一族の支流で、火(
)国造からでて四国に渡り、伊予・讃岐→播磨と遷って 畿内に 入ったことが 推されます。

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       この一族とみられる 大江王(彦人大兄)が 生んだ 大中比売命(大中姫)が 仲哀天皇に 嫁して 香坂王・忍熊王を 生んだことも 記紀に 記されて おります。

 

*大江王は 仲哀の「叔父」だと仲哀紀に 見えますが、

それが 父・倭建命の弟という位置づけだと、 景行紀に 景行の皇子とされる 稲背入彦命に 重なりあいます。

 

この者の別名を 息長彦人大兄水城命とも 咋俣長日子命(くいまたながひこ)ともいい、

 息長田別命(八綱田命)の子であって、息長君の祖稚渟毛二俣命の父に 位置づけられます。

 

*息長田別命(八綱田命)- 咋俣長日子命 - 稚渟毛二俣命

                               =息長彦人大兄水城命


  このように、皇室との重なる婚姻などにより 応神が 皇室系譜に 入り込んだと推測するのが 自然だとみられます。

 宇佐神宮で祀られる八幡神に 応神天皇が 当てられることが あるのも、

応神の実際の出自が 宇佐に 関係することを 強く 示唆します。

なお、応神の父や兄弟の系譜については、宝賀会長の著『巨大古墳と古代王統譜』所載の系譜(298~300頁)もご参考にして下さい。
 
3 讃岐国造の系譜も、上記の記事や考察点を踏まえて考える必要があり、

 

景行の皇子の中にあげる 神櫛別命、櫛角別命や、 綾県主の祖武卵王
たけかいこのみこ)は 同人です。(X)

 

景行記に、神櫛王宇陀 酒部等の祖とあることで、

宇陀御杖君につながります。

 

武卵王は 伝説上の讃留霊王
さるれいおう)にも当たる人物であり、

 

讃岐国造百家系図』巻9等に 系図が 見えますが、

神櫛命の子にあげる千摩大別命の子孫として記載されます。

また、五十河彦命は、神櫛王か 千摩大別命とに重複する者とみられます。

 

須売保礼命

 

*神櫛命 -- 千摩大別命 -- 須売保礼命

 

<계도강요> 70p의 계보는 다르다.

 

http://www1.atchs.jp/tokyoblog/k/?a=read&t_id=11&st=183&end=191

 

以上に記してきたことは、おそらく難解だと思われますが、記・紀・旧事本紀のほか、中田憲信編『皇胤志』や宝賀編著『古代氏族系譜集成』などを参考にしていただければ、推測の手がかりがえられるのではないかと思われます。

 

http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_topic_pr_3281.html

成務時代】
筑志国造(つくしのくにのみやつこ)(福岡県)
志賀高穴穂の帝の御世に 阿倍臣(あべのおみ)と同祖の大彦命(おおひこのみこと)の五世の孫の 田道(たみちのみこと)を 国造に 定められた。

竺志米多国造(ちくしめた の くに の みやつこ)(佐賀県 三養基郡・肥前国 三根郡 米多郷)
志賀高穴穂の帝の御世に 息長公(おきながのきみ)と同祖の稚沼毛二俣命わかぬけふたまたのみこと)の都紀女加(つきめか)を 国造に 定められた。

 

*稚沼毛二俣命= 응신.

*都紀女加(つきめか)=

豊国造(とよくにのみやつこ)(大分県)
志賀高穴穂の帝の御世に 伊甚国造(いじみのくにのみやつこ)と同祖の宇那足尼(うなのすくね)を 国造に 定められた。

 

*宇那足尼(うなのすくね)= 豊国別命


国前国造(くにさきのくにのみやつこ)(大分県)
志賀高穴穂の帝の御世に 吉備臣(きびのおみ)と同祖の吉備都命(きびつのみこと)の六世の孫の午佐自命(うまさじのみこと)を国造に定められた。

 

*午佐自命= 乎佐自命= 兄彦命


比多国造(ひたのくにのみやつこ)(大分県)
志賀高穴穂の帝の御世に 葛城国造 と同祖の 止波足尼(とはのすくね)を国造に定められた。

末羅国造(まつらのくにのみやつこ)(佐賀県市)
志賀高穴穂の帝の御世に 穂積臣(ほずみのおみ)と同祖の大水口足尼(おおみなくちのすくね)の孫矢田稲吉(やたのいねき)を 国造に定められた。

葛津立国造(ふぢつたちのくにのみやつこ)(佐賀県鹿島市)
志賀高穴穂の帝の御世に 紀直(きのあたい)と同祖 の大名草彦命(おおなくさひこのみこと)の子 の 彦命(わかひこのみこと)を 国造に定められた。
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御諸別命(多の武諸木命)

http://blog.zaq.ne.jp/kusunoki/article/355/

 

御諸別命を 宇佐家古伝では、神武帝の御子とする。

*神武帝 ---------------------- 御諸別命

宇佐公康氏によると、この御諸別王豊城入彦命の孫, 彦狭嶋王の子, 御諸別命と同人とする。

*崇神 ─ 八綱田命 ─ 彦狭嶋王 ─ 御諸別王 ─ 兄彦命 ─ 荒田別命 ─ 竹葉瀬


しかし、この御諸別王は、どちらかというと稲背入彦命の子, 御諸別王の方ではないかと思う。

この御諸別王は、播磨国造祖、佐伯直祖である。

宇佐の御諸別王は、安芸から吉備へ進出し、大和を伺う。

これを考えると、御諸別王の方が 相応しい
但し、宇佐家の古伝による 系譜上の位置づけでは、景行帝のであり、孫ではない

ただ、豊城入彦命の子孫説でも面白い

三つの御諸別王を対比すると

穂穂手見命= 神武帝 - - - - - -  御諸別王

                                                    

     ─ 八綱田命 ─ 彦狭嶋王 ─ 御諸別王 ─ 兄彦命  ─ 荒田別命 ─ 竹葉瀬
                         稲背入彦命 ─ 御諸別王

     ─弟:千摩大別命


八綱田命  -  彦狭嶋王(日子サメ間命) - 御諸別王

                  稚武彦命 -─────── 御友別命

記によると、

この 彦狭嶋王は、日子サメ間命播磨牛鹿臣の祖
一方、御諸別王は、播磨国造

両方とも播磨である。


さらに豊城入彦王の系統も無視できない。

確かに、宇佐公康氏が 同人とする 根拠は わからないでもない


両者を比較するとによると彦狭嶋王は、仲哀帝の命で、東国へ向かうことになる。

しかし、東国に 向かう 前に 薨去する。

 

一方、宇佐家古伝では

神武帝は、東征の途中で 崩御し、

景行帝が 即位する。

 

共通項として神武帝と彦狭嶋王は、共に東国に向かい、途中で亡くなる。

 

 次に 紀によると、

 

彦狭嶋王の御子 御諸別王が 仲哀帝の命で 東国へ派遣される。

 

一方、宇佐家古伝では、

御諸別王が 仲哀帝の命で 東国征伐へ。


ここでも両者は、共に東国へ派遣される。類似性は明らかである。
とすると 豊城入彦命が ホホデミ? 豊に入った 皇子で、豊城入彦なのか?

 

*豊城入彦命.

 

http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/info/tango.html

●丹波道主命とは
丹波道主命は、いわゆる四道将軍の一人で、日子坐王と息長水依比売との間に生まれた子というのが通説だが、「古事記」では丹波に派遣されたのは日子坐王となっている。
書紀では 道主は「開化天皇の子孫で 彦坐王子である」

他の説では「彦湯産隅王の子である」ともあり、

記紀それぞれ違った書き方をしていて不明だが、同一人物かもしれない。

 

http://gejirin.com/src/Hi/hikosasima.html

日子刺肩別命= 팔강전명.

日子寤間命= 彦狭嶋命。 


オオヤマトフトニ
(7代孝霊天皇)内侍ハエ姫から生まれた三つ子の一人。 紀のウナデの父。 
孝霊天皇の53年に西国政情不穏のため、イササワケに派遣され越の国を治める。

 

http://gejirin.com/src/U/unade.html

 

ウナデ

→ 語義

菟名手。 
紀国造と思われる。日子刺肩別命 の子。 
景行天皇
の熊襲討伐で オホノタケモロモノベナツハナと共に 敵情偵察に 当たる。

 

*日子刺肩別命 - 菟名手(ウナデ)

 

ヤマトタリヒコクニ
    (孝安天皇)├────オオヤマトフトニ(孝霊天皇)
オシ姫──────┘      ┃
                ┃
シギ県主オオメ───────ホソ姫[内宮]───────(7)ヤマトクニクル
                ┃           (孝元天皇)
カスガ県主チチハヤ─────ヤマカ姫[スケ]
                ┃
トイチ県主マソヲ──────マシタ姫[ココタエ]
                ┃
   ??   ───┬───ヤマトクニカ姫[内侍]──┬(1)ヤマトモモソ姫
          │   (ヤマト大宮女)     │
          │     ┃      三つ子├(2)ヤマトヰサセリヒコ
          │     ┃         │
          │     ┃         └(3)ヤマトワカヤ姫
          │     ┃
          └───ハヘ姫[内侍]──────┬(4)兄ワカタケヒコ
              (若大宮女)       │
                       三つ子├(5)ヒコサシマ───ウナデ
                          │
                          └(6)弟ワカタケヒコ

★『書紀』 国前(クニサキ)臣の祖。 
★『 豊後国風土記 』菟名手は 景行天皇より 豊国直(とよくにのあたい) の 姓(かばね)を 賜わったとみえる。
日子刺肩別命は『古事記』のみに 出てくる 名前で、= ヒコサシマ(彦狭嶋命)と思われる。

オホのタケモロ 紀のウナデ モノベナツハナ この三人 遣りて形を 見せしむる』38文

 

*国前臣祖= 豊国直

 

http://gejirin.com/src/O/oonotakemoro.html

オホノタケモロ

→ 語義

多の武諸木。 
カンヤヰミミ
の後裔。 景行天皇熊襲討伐でウナデモノベナツハナと共に敵情偵察に当たる。 一計を案じてハナタレミミタレアサハギツチオリヰオリを一網打尽に討ち取る。

奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内多坐弥志理都比古(オオニマスミシリツヒコ)神社

 

■「オホ(多・大・太・意富)」は「イホの臣」の「イホ」であり、「斎む・敬う・祝う・祭る」などの意で 神八井耳命を 指す。 それが そのまま 地名・姓にも なる。


★神武天皇の皇子神八井耳命の後裔とされ、神武の筑紫巡幸に従軍して活躍した火君・大分君・阿蘇君・筑紫三宅連などの集合体が 多臣であるとされる。 

日本書紀に名のある蒋敷は 宇吉子に 擬せられるが、その妹は 百済の 豊璋王子の妻となったとされる。 太、意富などとも書かれる。

 

神武天皇━神八井耳命━武宇都彦命━武速前命━敷衍彦命 ┳ 武恵賀前命 ━ 武諸木[多臣祖  
                                                     ┗ 健磐龍命
オホのタケモロ 紀のウナデ モノベナツハナ この三人 遣りて形を 見せしむる』38文
『時にタケモロ 謀らひて  赤衣 袴 引出物  引きてアサハギ 召し寄せて これに引かせて 諸 来れば 悉く殺しつ』38文

 

http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya343.htm

                      

━ 豊城入彦命(= 八綱田命) ━ 彦狭嶋王 ━ 御諸別王 ━ (吉備兄彦命) ━ 荒田別命 ━ 竹葉瀬

 

*大荒田別命

*豊城入彦命= 豊門別命= 豊戶別命= 豊韓別命=

 

http://blog.goo.ne.jp/kunikuzushi/e/57adb72935f49af11a2c55fa1ab09765

 

神武天皇─當芸志美美、弟神八井耳命(母伊須気余理比売。天皇の位を神沼河耳命に譲り神々を祀る仕事に就く)、弟神沼河耳命(弟日子八井命…社家の春木家)。

神八井耳命(神武天皇第二皇子)─健磐龍命(科野国造。下向し阿蘇に入る。弟健稲背命)─速瓶玉命(母阿蘇都媛命。阿蘇国造)─健淳美命(弟志貴多奈彦命)。

志貴多奈彦命(健磐龍命二男)─ 速後上命(伊余国造。弟建緒組命[健緒組命。火国造])。

弟:建緒組命(健緒組命。火国造。130年ころ景行天皇に益城郡の朝来那山の賊の征伐を命じられた)─彦恵賀前命(弟建弥阿久良命[大分国造])─武恵賀前命武弥依米命(弟建借馬命[仲国造]、弟建黒坂命[石城国造])─子上命─伊都許利命(弟◇[島田祖])─◇─◇─多或歎。


建弥阿久良命(建緒組命二男。大分国造)─豊門別命(筑紫大分国造)─稲見命(弟清石命阿佐美公[鶴見祖])─広川公(弟五十手公─大月公─恵久麻[奴留島、漆島の祖])─田守公(大分祖)。


〔火国造〕建緒組命(志貴多奈彦命二男。健緒組命)─…─◇(弟◇、弟◇)─肥君猪手(庶母怡土郡渡来豪族宅蘇吉士須彌豆売。祖先は6世紀前半には嶋郡に来て国造の地位を得ていた。650~飛鳥~奈良時代の官吏。白雉元年生。妻も宅蘇吉志から娶る。大宝二年、五十三才の時に筑前国嶋郡の長官となる。戸主となり、やがて張王に呼ばれて、正八位上勲十等を受ける)─…─肥君五百麿(承和七年に至っても大領)。

宅蘇とは応神記の手人韓鍛(鍛冶職人。名は卓素)。手人韓鍛(鍛冶職人。名は卓素)は百済の近肖古王のとき百済から渡来し今の糸島市高祖に本地をおく氏族なり。

肥君猪手とその子の泥麿などが702年の隼人の反乱鎮圧に従軍。

肥君猪手は「正妻、妾3人」をもち、子孫など直系親族31人。

 

http://www.k2.dion.ne.jp/~tokiwa/keifu/hikosashima.html

 

彦狭嶋命Hikosashima の 三子, 小千御子


譜云「彦狭嶋命。御母者,大皇后細媛命、是磯城縣主大目命娘也。命蒙勅而、下伊豫國、居伊豫郡神崎之庄。三嶋明神仕奉、兼西南鎮護。有大勲依之、西南鎮護藩屏称。于時、命娶和気媛。於同胞生三子。奇也思召而、被 造無相扁舟而棄之。放流風隨漂泊而着三所。一子者、着伊豆國三嶋。是大三宅祖也。二子者、着吉備國兒嶋。是三宅氏之祖也。三子者、着伊豫國三津之濱。是則小千祖也。謂小千御子。此御子、天性敬剛而深智人也。故、命此御子爲愛育而、人皇九代開化天皇御宇、譲祭祀及西南鎮護藩屏職而后、命帰京師。遥經年月而、人皇十二代 景行天皇五十五年 乙丑年、神去給。奉建神廟、於伊豫國伊豫郡神崎庄。而齋祭霊宮。大明神爲奉崇也」

 

彦狭嶋命は、伊豫皇子と云ふ。御母は、大皇后細媛命(磯城縣主 大目命の女なり)。

 

ある時、彦狭嶋命は勅命を蒙りて伊豫國に下り、伊豫郡神崎之庄に住して、三嶋明神に仕へ奉り、西南鎮護を兼ねる。而して大ひに勲功有りて、「西南鎮護の藩屏」と称せられ「和気媛」を恩賞に賜ふ。

媛はのちに同胞より三子を産む。彦狭嶋命は、これを奇異に思ひて三つの方舟を造りて、之を棄つ。方舟は流れて風に隨ひ、漂泊ふて其々三ヶ所に流れ着くと。一子は、伊豆國三嶋に着く。これ大三宅氏の祖なり。二子は吉備國兒嶋に漂着す。これ三宅氏の祖なり。三子は、伊豫國三津之濱に着く。則ち小千氏の祖なり。これを「小千御子」と謂ふ。
この御子、天性敬剛にして人智に深し。故に「この御子を宜しく育てよ」との命あり。のち人皇九代開化天皇の御代に「祭祀」と「西南鎮護藩屏職」を譲る。のち命せられて京師に帰り、遥かに年月を經て、人皇十二代景行天皇の御代の五十五年乙丑年に神去給ふ。伊豫國伊豫郡神崎庄に神廟を建て奉り、霊宮として齋祭り「大明神」と奉崇された。

 

*武敷美命=

 

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/7002/sinwa4.htm

健磐竜命(タケイワタツノミコト)의 전설.

 

http://enjoy.pial.jp/~kokigi/kodaisi/joukosi-nagare.htm
応神天皇の皇位簒奪   

仲哀天皇の遺子である 忍熊王 兄弟等を 滅ぼし、

品遅別命ホムチワケ応神仲哀の皇后, 大中津比売の兄弟)が 皇位を したのが 335年であり(その即位 太歳 自体は 335年か。在位は 374年まで)、

 

すなわち、応神の系譜は、遠祖を 同じくするものの、神武以来の王統とは 別系(いわば 息長王統)であり、

宇佐国造 支流稲瀬毘古命(稲背入彦命)の子御諸別王だとみられる※。
 

息長氏の系統は、崇神朝頃に 活動した 火国造祖・ 建緒組命の子孫であり、

その子の武貝児命讃留霊王), 息長氏の始祖でもあり、

その稲瀬毘古命が おかれる。

 

*稲瀬毘古命(도뢰비고명)

 

---------------------------------------------------------

この一族とみられる

大江王の妹, 大中比売命(大中姫).............に 嫁して 香坂王・忍熊王を 生んだことも 記紀に 記されて おります。

 

*大江王は 仲哀の「叔父」だと仲哀紀に 見えますが、

それが 倭建命の父という位置づけだと、  

 

大江王の別名を 息長彦人大兄水城命とも いい、

息長田別命の子であって、息長君の祖稚渟毛二俣命の父に 位置づけられます。

 

*息長田別命- 彦狭嶋王- (咋俣長日子命, 杙俣長日子命)- 稚渟毛二俣命

 

*息長人大兄水城命= 大江王.

 

*息前彦(※ 纂輯御系図 作 息前彦人大兄城命。一云 息長彦人大兄城命

 

*咋俣

咋= 사.

呉音 : シャシャク

漢音 : サク

*瑞(서)음독 훈독

상서 서(총획수 13획) 부수:(4획)

훈독 -[] 《「~」의 꼴로도 씀》 생기가 있고 신선한 모양. 싱싱한 모양.

[]
*杙= 익. 말뚝. くい [ · 杙]

 

http://www.ten-f.com/hinokuni-to-yasu.html

 

稲背入彦は 景行帝の「御杖」となって 兵主神を 祀った

 

息前彦人大兄水城命という名前を見て、

 

はて、どこかで 何度も 見たような名前だと思われる 方も 多いことでしょう。

 

先ず「息前」は「息長」の誤植ではなく,「おきさき」と読ませるのだそうです。

 

ただ、息長一族の多くを知る者にとって、

この「命名」は如何にも「取ってつけた」様な不自然さ、作為の跡を強く感じさせます。

 

そんな疑惑を 持たれても 仕方が ない息前命が「奄智白幣造」の祖先の役柄を 振り分けられて いる 訳ですが、珍しい「奄智(あんち)」という名前も 筑紫に 関連が あるとも考えられます。

 

それは、日本書紀 雄略 二十三年 是年条に、

百済の調賦、常の例よりまされり。

筑紫の安致(あち、あんち)臣・馬飼臣ら、船師を率いて高麗をうつ。

 

とあって「先代旧事本紀」天孫本紀が『ニギハヤヒ 九世孫、物部竺志連公、奄智蘰連らの祖』と伝え、この物部 十市根命の孫に 位置付けられて いる 竺志連の異母妹・五十琴姫が 景行帝の妃となって 輿入れしている 状況証拠が 存在して いるからです。

 

ただ 九州 北部に「安致」という地名が 在ったという事実は 確かめることが 出来ず、

逆に 大和国 十市郡内に「庵知村」が 存在して いた事が 分かって います。

 

それは「日本霊異記」第二冊が『聖武天皇の御代、鬼魅(オニ)に 食われた 女人』が

大和国 十市郡 庵知村に 住む大きに 富める「鏡作造」の娘であったと書き残して いるからなのですが

 

└ 鐸石命── 磐坂── 加都麻── 許登【境部氏
  清石命阿佐美公[鶴見祖]─加都麻─許登[境部祖]

   [和気氏]

   [竹田臣祖]

   [境部祖]

 

「十市郡」は 取りも 直さず 竺志連の祖父「十市根命」の本拠地ですから、

むしろ「あんち」は 大和の地名を 姓に 代えたと考えた方が 良いのかも知れません。

 

三つ目の手掛かりが「御杖(みつえ)」の二文字です。

 

稲背入彦と酷似した「大稲背別」が「御杖」の祖だというのですから、

この二人は 同一人物だと思います。

 

「御杖」を 字義通りに「神や大王」を 補佐して 祀り事を 執り行う「代理人」と解釈すれば、

兵主大神を 祀 って 景行帝の権威を 高めた 稲背入彦は 正に「御杖」そのものです。

だとすれば 孫の「阿曽武命」が 白幣山で 白幣を 立てて 神々に 祈願した「実績」を 重く 見て、

息前彦人大兄も また 稲背入彦の別名??と判断できるでしょう。

更に想像を逞しくすれば「奄智」つながりの線から、

 

豊門別命も 稲背入彦・別名グループの一員に加えることが出来るかも知れません。

最後に引用した 茨田連は、前回 登場した 屯倉の管理者で、かつ 継体帝との姻戚関係にある小豪族の名字だったことを覚えていますか?

古事記は、この一族が 神武の子供・日子八井命の後裔だと 記して いましたが、

 

ここでは直接、景行帝に結び付けられています。

いずれにせよ、記紀編集時においても尚、茨田氏と帝室の紐帯は 健在だったという証と見るべきなのかも…。

 

(「息前彦人大兄」については、

古事記 景行段に ある 伊那毘能若郎女(= 弟橘媛)が 産んだ 日子人之大兄王と同一人ではないかという指摘が あります。

 

息前彦人大兄= 日子人之大兄王」という等式が 成り立つのであれば、

 

彼が 仲哀の叔父大中姫.

 

つまり「神功皇后」たちに反乱を起こしたとされる 香坂王、忍熊王の叔父に 当たることに なります。

 

「新撰姓氏録」山城国 皇別には

茨田(すぐり)、息長彦人大兄城の後なり」とあって、

ここでも 茨田氏が 景行子孫となっています。

 

*茨田勝 ==> 次、櫛角別王者、〈 茨田下連等之祖。 〉*

*息長彦人大兄城= 櫛角別王

 

」の姓は 渡来系の氏族 特有のものだと云うことです)

 

http://www.platz.or.jp/~hvhy/minibbs.cgi?ff=17483

「名」は「ナ」ではなく「メィ」「ミョー」の可能性も。


その「名」の読みは、一般に「ナ」としているが、
「メィ」(漢音)とか「ミョー」(呉音)とかも考えられる。

「名」を「メ」あるいは「ミ」と読む可能性もある。

 

「多理岐志麻流美」という名前において、もし、
「比」と「志」が交替すれば、「多理岐比麻流美」。


「タリキヒマルミ」「足力日名照美」「後木夷鳥耳」。

 

古事記の「神大根」を日本書紀は「神骨」と書く。
また書記一書は「天忍穂耳」を「天忍」と書く。
頭につく「神」とか「天忍」とかは美称であろう。

ところが新撰姓氏録によれば、「明立天御影」は、
「天津彦根」の子供。「熊野久須毘」(古事記)を、
書紀一書は「熊野忍踏」と書く。「踏」(フミ)だ。
ならば「志夫美宿禰」の「志夫美」は「忍踏」だ

 

http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/okym/harima.htm

応神天皇の播磨巡行

 

http://www.age.jp/~kodaiy2k/cgibin/bbs.pl?page=2&ope=v&num=300

 

女狭穂塚・男狭穂塚、生目古墳群の謎解き
垂仁即位は 265年、場所は奈良盆地です。

そして、垂仁紀5年(269年)
后の狭穂姫兄狭穂彦の反乱に巻き込まれて没した。

反乱の舞台は奈良盆地で、宮堂古墳(形跡)の所ではないだろうか。

 

狭穂彦の墓九僧塚古墳川合大塚山古墳の陪塚の方墳)、

狭穂姫の墓は 佐紀古墳群西群にある 丸塚古墳(別名 丸山古墳)、

この2者の比定はまちがいない。この事件は 当時の人々にとってたいへんな悲話と
して伝わったはずです。

将軍八綱田は 敵陣に 火を 放ち、戦功を 大いにほめられて「倭日向武日向彦八綱田」の名を賜った。(紀)

日向日向彦八綱田」という名の「倭日向武日向彦」を詳しく調べます。

 

垂仁天皇から賜ったのは「タケヒムケヒコ」で(ホツマ伝)、

意味は「武火向彦」にちが いありません。

書紀編纂時に 別伝によって「倭日向」が 冠せられたと考えられます。

結局、「倭日向武日向彦」は、「倭と日向の武火向彦」となります。

おそらく、八綱田が 垂仁天皇の命により、日向(宮崎県)に出向くことになったのだと思います。

そして八綱田とその子孫により、生目古墳群が 形成されたのでは ないでしょうか。

一方、生目古墳群からさほど遠くない西都原古墳群は、女狭穂塚・男狭穂塚の2基
が傑出した規模です。

女狭穂塚・男狭穂塚は、景行天皇の九州巡行(4世紀前半)で 詔により、

狭穂姫・狭穂彦のモニュメントとして造られた可能性が高いと思われます。 

 

 

http://tokyo.atso-net.jp/index.php?UID=1266201170

 

讃岐の武皷王
四国一円を 荒らしまわる悪魚が いて、日本武尊に 退治を 命じられました。

父に代わって 武殻王が 讃岐の綾川 近くに 陣を 構えて、悪魚退治を 行ったという伝承が 残って いる。

記紀の 景行天皇51年の条には 次の様に 書かれて いる。

古事記に 建貝児王、書記に 武卵王、武鼓王ともいう。

 

*建貝児王= 武卵王= 武鼓王



「日本武尊妃、吉備武彦之吉備穴戸媛武皷王十城別王 其兄武皷王、是讃岐綾君始祖也」

==> 石衝別命が 吉備武彦の吉備穴戸媛を娶って 生んだ 子供が、武皷王である。

 

古事記には 建貝兒王(タケカイゴノミコ)が「宮首(道首)之別等之祖」と記されて いる。

 

 

先代旧事本紀では、

日本武尊??

 

1, 吉備武彦吉備穴戸武媛を 娶り、武卵王[讃岐の綾君等の先祖]と十城別王伊豫別君等の先祖]を 生んだとあります。

 

*五十目彦王命[讚岐君等祖]

*十城別王伊豫別君等]


 

2, 両道入姫皇女を娶られ、稲依別王犬上君・武部君の先祖]、稚武王[近江の建部宮道君の先祖]など 3男1女を 生んだとある。

 

*稲依別王= 稚武王는 일본무존 자신.

 

3, 穂積氏の忍山宿禰の母の 弟橘媛を 娶り、武田王[尾張の国の丹羽 建部君の先祖]、佐伯命[三川御使連等の先祖]などの子を 産んだとあります。

 

*五田王[尾張國 丹羽 建部君等祖]
*佐伯命[三(參)川 御史連等祖]

 

*弟橘媛--忍山宿禰

*両道入姫 - 稲依別王

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日本武尊の東征とその後
神社伝承を探ると、景行天皇の命令により、大和武尊は、大伴武日と吉備武彦を将軍として同行させています。

また、忍山宿禰と弟橘媛も 同行しているようです。
記紀によれば、蝦夷を偵察したのが武内宿禰、討伐したのが日本武尊、それに大足彦忍代別天皇(景行天皇)が従はせたのが、吉備武彦と大伴武日連であった。日本武尊亡き後、蝦夷の騒乱を鎮めたのが御諸別王、毛野氏が東国で根を張ることとなったという。

尾張の一族も東征に参加している。

近江の一宮の建部神社は、稲依別王(日本武尊)が 勅を奉じて、神崎郡建部郷千草嶽に、日本武尊を奉斎し、

天武天皇 白鳳4年、勢田郷へ遷座したという。

 

*稲依別王=

*稲依別王は、

古事記では、日本武尊と 安国造の祖, 意富多牟和気(大多牟和気)の母,  布多遅比売との間に 子。

日本書紀では、両道入姫皇女との子である。

 

*大多陀牟

*意富多牟和気= 大多牟和気= 大多牟坂王= .

 

*坂=

 

*息長宿禰王が 河俣稲依毘売(かはまたのいなよりびめ)を 娶って 生んだ 子は 大多牟坂王(おほたむさかのみこ)。これは 多遅麻国造(たぢまのくにのみやつこ)の祖である 。

宮簀媛(みやすひめ) 

古事記では 尾張国造 乎止与命の子 の稲種公の妹)は、


日本武尊は 東征の帰路尾張において、宮簀媛を 娶りました。

五十葺(伊吹)山に荒ぶる神がいると聞き、草薙剣を媛の家に置いたまま退治に向かったが、

神の怒りに触れて病となり、媛の家には向かわず、伊勢にて没した。

媛は尊の死後、草薙剣を斎き祭ったという。(熱田神宮の起源説)

建稲種命(宮簀媛の兄

景行天皇と成務天皇の二代の間、朝廷に仕え、ヤマトタケル東征の際、

軍を従え、軍功を挙げたとされる。熱田神宮、羽豆神社、鳴海神社、尾張戸神社などに祭られている。

 

http://www.geocities.jp/okugesan_com/abe.htm

 

安倍氏系図
〔土御門家譜・陰陽道関係史料所収医陰系図・知譜拙記は倉梯麻呂から、尊卑分脈は御主人から、続群書類従所収安倍氏系図は兄雄から記載されている。
倉梯麻呂までの系図は、系図纂要を基本としたが、諸本で違いがある。〕

 

孝元天皇

┳ 大彦命 ┳ 建沼河別命 ┳ 豊韓別命 ┳ 大鳥臣
  ┃   ┃   ┃   ┗ 大臣命[那須國]
  ┃   ┃   ┣ 意布比命     (-- 大臣命 [那須国造])
  ┃   ┃   ┗ 磐鹿六雁命
  ┃   ┣ 彦背立大稲腰命 ┳ 彦屋主田心命 ━ 市入命
  ┃   ┃   ┗ 佐白米命

------

荒礪命(황려명)[若狭国造]
  ┃   ┣ 組結命(조결명)
  ┃   ┣ 得彦宿祢 ━ 波多武彦
  ┃   ┗ 御間城姫(御間城入姫命。崇神天皇皇后)
  ┣ 開化天皇
  ┣ 彦太忍信命〔⇒巨勢・蘇我・平群・紀・葛城〕
  ┣ 武埴安彦命
  ┗ 倭迹迹姫命

 

阿部家譜(備後福山)による系図。

 

*組結命= 紐結命= 比毛由比命

 

http://neo-paradigm.littlestar.jp/nihonkodaishi/08_kamoshihadonnashizokuka/index.htm

 

神皇産霊尊-天神玉命-天櫛玉命-鴨建角身命 ┬ 鴨建玉依彦命-五十手美命-麻都躬之命
                (八咫烏) |
                      └ 玉依姫命-賀茂別雷命

→ 看香名男命-津久足尼命-猿弟人命-佐佐乃彦命菅牽命稚可土乃命-馬岐乃耳命-大伊乃伎命

              (鴨県主祖)

 

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01208.htm

http://tokyo.atso-net.jp/index.php?UID=1266201170 

 

《孝元帝裔氏族綱要》 
  
                    ┌豊韓別命─┬ 雷別命── 阿加古【阿倍】(安倍氏へ)
                    │       │
                    │       └ 鐸石命── 磐坂── 加都麻── 許登【境部氏
                    │                   清石命─阿佐美公[鶴見祖]─加都麻─許登[境部祖]

孝元天皇 ─┬大彦命──┬建沼河別命 ─┼意布比命── 大臣命 [那須国造](那須国造へ)
孝靈天皇  │=孝元天皇 │       │
      │     │       ├木事命──高田姫
      │     │       │
      ├開化天皇 │       └大屋田子命─┬田道命……筑紫氏】【日下部氏
      │     │                │
      │     │              └小狭田命……【香月氏】
      │     │
      │     ├組結命……【日下氏】【大戸氏】
      │     │
      │     ├大稲輿命(膳氏/佐々貴山氏へ)
      │     │
      │     ├御間城姫命
      │     │
      │     └波多武彦命……【難波氏】【三宅氏】
      │
      ├彦太忍信命──屋主忍男武雄心命─┬武内宿禰(武内宿禰氏族綱要へ)
      │                  │
      └武埴安彦命             └甘美内宿禰……【山代氏】                   
            

 

http://tokyo.atso-net.jp/index.php?UID=1266201170   

建御名方命 ─ 豊城入彦命(妹豊鍬入姫命[豊与。斎宮初代])─ 八綱田命─ 彦狭島命─ 御諸別命─(.......)─大荒田別命(弟市入別命[播磨鴨国造]、弟鹿我別命[浮田国造])─ 韓矢田部現古(弟上毛野竹葉瀬、弟下毛野氏田道)─ 武額─ 布禰古─ 射狭(車持氏)。

*倭建尊 世孫 大荒田別命

 

*大屋田子命= 성무천황.

 

http://blog.goo.ne.jp/kunikuzushi/e/57adb72935f49af11a2c55fa1ab09765

 

神武天皇─當芸志美美、弟神八井耳命(母伊須気余理比売。天皇の位を神沼河耳命に譲り神々を祀る仕事に就く)、弟神沼河耳命(弟日子八井命…社家の春木家)。

神八井耳命(神武天皇第二皇子)─健磐龍命科野国造。下向し阿蘇に入る健稲背命)─速瓶玉命(母阿蘇都媛命。阿蘇国造)─健淳美命(弟志貴多奈彦命)。

 

*速瓶玉命= 速甕玉命.


志貴多奈彦命(健磐龍命二男??)─ 速後上命(伊余国造。弟建緒組命[健緒組命。火国造])。

弟:建緒組命(健緒組命。火国造。130年ころ景行天皇に益城郡の朝来那山の賊の征伐を命じられた)─彦恵賀前命(弟建弥阿久良命[大分国造])─武恵賀前命武弥依米命(弟建借馬命[仲国造]、弟建黒坂命[石城国造])─子上命─伊都許利命(弟◇[島田祖])─◇─◇─多或歎。

 

http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/8640/tennou/koushitsu_tennou1.htm

 神武天皇━┳ 手碩耳命
      ┣ 神八井耳命 ━━ 武宇都彦命 ━━ 武速前命 ━━┓

      ┃        ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
      ┃        ┗ 敷衍彦命 ━━┳ 武恵賀前命 ━━┓
      ┃                 ┗ 健磐龍命━━┓  ┃
      ┃        ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┛  ┃
      ┃        ┣ 速甕玉阿蘇国造祖]      ┃
      ┃        ┗ 建稲背[科野国造祖]      ┃
      ┃        ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
      ┃        ┣ 武諸木多臣祖
      ┃        ┣ 建借馬[仲国造祖]
      ┃        ┗ 建黒坂[石城国造祖]

 

http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/8640/tennou/koushitsu_tennou1.htm

 

  神武天皇 ┳ 手碩耳命
       ┣ 神八井耳命 ━ 武宇都彦命 ━ 武速前命 ━ 敷衍彦命 ┳ 武恵賀前命 ┳ 武諸木多臣祖

       ┃                                     ┃           ┣ 建借馬命[仲国造祖]

          ┃                                           ┃           建黒坂[石城国造祖]           

          ┃                                           ┃

          ┃                                           ┗ 健龍命 ┳ 速甕玉命[阿蘇国造
       ┃                                                ┗ 建稲背命[科野国造祖]  

       ┃  

 

http://blog.goo.ne.jp/kunikuzushi/e/0bac1bdaee4f5395ce52264da01e6414

神武天皇─神八井耳命─武宇都彦命─武速前命(弟武稲富命─建河上命)─敷桁彦命─武恵賀前命(弟◇[子に某─某─某─伊都許利命〔印波国造〕]、弟建磐達命、弟速後上命[伊余国造]、弟建緒組命〔健磐龍命。火国造。阿蘇大宮司などの祖〕─建弥阿久良命〔大分国造〕─豊門別命〔筑紫大分国造〕)─武諸木命(弟建借馬命[仲国造。子に◇─島田子上]、弟建黒坂命[石城国造]、弟◇[小子部、岡橋の祖])─武敷美命─武忍凝命─武裳見宿禰(弟生葉宿禰─甕男─多知古─小泊瀬阿具礼─樟麻呂─室古─粟麻呂)─多稲目─毛建(弟川成[子に開咋、溝喰])─石持─豊忍(弟太田)─蒋敷(妹◇[豊璋王室])─品治(弟真椋、弟和母古)─太朝臣安萬侶(朝臣。慶雲元年正月七日従五位下、和銅四年四月七日正五位上。翌霊亀二年九月二十三日、氏長となる。子孫に多人長などがいる。養老七年七月七日、民部卿・従四位下で歿す。「日本書紀」の編纂にも加わり、暗号で真実を伝えようとしたが、暗殺された。養老七年七月六日歿。この日に大友皇子〔伊賀皇子、弘文天皇〕も暗殺された。「万葉集」の作者不詳の歌を太安萬侶による暗号歌。弟道麻呂、弟宅成、弟遠建治)─多飲鹿─入鹿(蘇我馬子の時代に暗殺された)─藤野麿─自然麿─春野(弟右野)─良常─脩文─脩正─公用(弟公高、弟武文)─好用(弟好実、弟武好)─政方─政資(弟説資、弟資国)─資忠(弟資方)─節方(弟節茂、弟忠有、弟近方)─重方─盛方。
            
     
            

神武天皇 ┬ 當芸志美美命

              ├ 神八井耳命 ┬ 健磐龍命[科野国造] ─ 速瓶玉命[阿蘇国造] ┬ 健淳美命 ─ 
              └ 神沼河耳命 └ 健稲背命                                                   

                                                                                                        │

                                                                                                        └ 志貴多奈彦命 速後上命[伊余国造]

                                                                                                            = 敷衍彦命    │

                                                                                                            =                   └ 建緒組命

                                                                                                                                      [火国造] 

                                                                                                                                                   │

                                                                                                                                                   └

 

 

─>建緒組命 ┬ 彦恵賀前命 ─ 武恵賀前命 武弥依米命 子上命 ┬ 伊都許利命 ─ ◇ ─ ◇ ─ 多或歎

     [火国造] │                                     ├ 建借馬命[仲国造]      └ ◇ [島田祖]

                  │                                     └ 建黒坂命[石城国造]

                  │     

                  └ 建弥阿久良命[大分国造] ─ 豊門別命[筑紫大分国造] ┬ 稲見命 広川公 ─ 田守公[大分祖]

                                                                                              │           │ 

                                                                                              │           └ 五十手公 ─ 大月公 ─ 恵久麻[奴留島][漆島祖]

                                                                                              │ 

                                                                                              └ 清石命─ 阿佐美公[鶴見祖]
                                                                                                [和気氏]

                                                                                                [竹田臣祖]

[境部祖]

 

 

〔火国造〕建緒組命(志貴多奈彦命二男。健緒組命)─…─◇(弟◇、弟◇)─肥君猪手(庶母怡土郡渡来豪族宅蘇吉士須彌豆売。祖先は6世紀前半には嶋郡に来て国造の地位を得ていた。650~飛鳥~奈良時代の官吏。白雉元年生。妻も宅蘇吉志から娶る。大宝二年、五十三才の時に筑前国嶋郡の長官となる。戸主となり、やがて張王に呼ばれて、正八位上勲十等を受ける)─…─肥君五百麿(承和七年に至っても大領)。

 

http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/8640/tennou/koushitsu_tennou1.htm

 

  神武天皇 ┳ 手碩耳命
       ┣ 神八井耳命 ━ 武宇都彦命 ━ 武速前命 ━ 敷衍彦命 ┳ 武恵賀前命 ┳ 武諸木多臣祖

       ┃                                     ┃           ┣ 建借馬命[仲国造祖]

          ┃                                           ┃           建黒坂[石城国造祖]           

          ┃                                           ┃

          ┃                                           ┗ 健龍命 ┳ 速甕玉命[阿蘇国造
       ┃                                                ┗ 建稲背命[科野国造祖]  

       ┃  


http://members2.jcom.home.ne.jp/sengokubusyou/jinmutennou.htm

 

神武天皇 ─  神八井耳命 ┬ 健磐龍命 ─

                                  │

                                  │

                                  └ 健甕富命 ─

 

┬ 健磐龍命  ─ 速瓶玉命  ┬ 健淳美命 ─ 美穂主命 ─宇治部武擬人乃君─宇治部石金乃君─宇治部小国乃君─宇治部赤日子─宇治部鳥見  

│                                 │ =                                                                                                                 ─ 宇治部小杖 

│                                 │ 

│                                 │                                                             

│                                 └ 志貴多奈彦命 建緒組命 ┬ 彦恵賀前命 ─ 武恵賀前命 ┬ 武弥依米命 ─ 子上命 ┬ 伊都許利命 - + + - 多或歎

│                                    = 敷衍彦命      │              │  = 孝昭                          ├ 建借馬命      = 彦坐王└ ◇ [島田祖]

│                                    =                   └ 速後上命 │                                     └ 建黒坂命            

│                                                                          │      

│                                                                          │       健磐龍命  ─ 速瓶玉命  ┬ 健淳美命 ─ 美穂主命 ─ 武擬人乃君
│                                                                          └ 建弥阿久良命 ┬  豊門別命   ┬  稲見命  ┬ 広川公 ─ 田守公【阿倍】[大分祖]

                                                                             = 建御名方命  豊城入彦命│=            

│                                                                                                 │= 崇神天皇   │             │

                                                                                                 │                 │              └ 五十手公─大月公─恵久麻[漆島祖]

│                                                                                                 │                 │                  =仲哀天皇                    [奴留島]

                                                                                                 └ 出早雄命    │                

│                                                                                                    [早出氏]     └清石命─阿佐美公[鶴見祖]─加都麻─許登[境部]
│                                                                                                                   
                                                                                                        

└ 健甕富命 ─ 諸日子命 ─

 

*石上の多伎都比古

*志貴多奈彦命= 敷衍彦命= 建敷桁波命

*建緒組命=

*建弥阿久良命(大分国造)= 建御名方命

*豊門別命= 豊韓別命= 伊豆早雄命= 豊城入彦命= 崇神天皇(筑紫大分国造)

*稲見命= 

*雷別命= 八綱田命

*彦狭島命= 倭建命= 日本武尊

*水隈命= 御諸別王= 御友別命= 成務天皇

*盛麻呂= 大荒田別命

*清石命=

*建沼河別命= 武渟川別命

 

http://1st.geocities.jp/tugami555syou/syouichi74.htm

 

倭志理都彦 (*)海部。建稲種命の息。息に 川上眞稚命。

 

*建稲種命 --- 倭志理都彦 --- 川上眞稚命

 

http://red.ribbon.to/~menorah/tennou.html

 

建御名方神(長髄彦の子。母奴奈宜波比売命)─ 伊豆早雄命(弟:出早雄命早出氏)─片倉辺命─恵奈武耳命─水隈命─盛麻呂─豊麻呂。

 

http://homepage2.nifty.com/amanokuni/abe.htm 阿倍氏

http://neo-paradigm.littlestar.jp/nihonkodaishi/08_kamoshihadonnashizokuka/index.htm

 

神皇産霊尊-天神玉命-天櫛玉命-鴨建角身命 ┬ 鴨建玉依彦命-五十手美命-麻都躬之命
                (八咫烏) |
                      └ 玉依姫命-賀茂別雷命

→ 看香名男命-津久足尼命-猿弟人命-佐佐乃彦命-菅牽命稚可土乃命-馬岐乃耳命-大伊乃伎命

              (鴨県主祖)           = 孝元              = 垂仁

 

 

http://red.ribbon.to/~menorah/abe.html

孝元天皇(母クワシヒメノミコト)─大彦命(泰一皇子。母皇后内色許売命〔父大水口宿禰命。母坂戸由良都姫。欝色謎命〕。大毘古命〔『古事記』〕。崇神天皇朝の四道将軍の一人〔北陸〕。崇神天皇十年九月九日、北陸将軍。崇神天皇十年九月二十七日、武埴安彦命討伐。弟少彦男心命[母同。『古事記』では少名日子建猪心命の名で二男]、弟開化天皇[母同]、妹倭迹迹姫命[母同。卑弥呼]、弟彦太忍信命[母妃伊香色謎命]、弟武埴安彦命[母妃埴安媛〔河内青玉繋女〕。狗奴国の卑弥弓呼という説もある])─武渟川別命(武渟川別『〔『日本書紀』〕、建沼河別命〔『古事記』〕。崇神天皇朝の四道将軍の一人〔東海〕。弟組結命[日下、大戸の祖]、弟彦背立大稲輿命、弟波多武彦命[難波、三宅の祖])─豊韓別命(弟意布比命、弟木事命、弟大屋田子命[子に日道命〔筑紫、日下部の祖〕、小狭田命〔香月祖〕])─雷別命(弟鐸石命─磐坂─加都麻─許登〔境部祖〕)─阿倍阿加古─大籠─忍国─大麻呂(弟歌麻呂)─目(弟摩侶─身─徳足─黒上─布勢色夫智)─枚吹、弟許曽部黒古、弟人臣、弟鳥子─内麻呂(~大化五年三月十七日。姓は臣。阿倍麻呂〔『日本書紀』〕、阿倍倉梯麻呂〔『日本書紀』〕。舒明二年〔六三九〕、百済大寺の建立が始まり、百済大寺の造寺司となる。大化改新年〔六四五〕、孝徳天皇朝に於いて初代左大臣となる。またこの年に、氏寺、安倍寺を建立す。大化四年〔六四八〕には、仏像四躯を四天王寺塔に安置している。弟布勢耳麻呂)─御主人(六三五年~七〇三年。天武天皇朝に阿倍朝臣の姓を賜る。文武天皇朝の従二位右大臣。姉妹に小足媛[年代的に姉か。孝徳天皇妃〔有馬皇子母〕のち藤原鎌足夫人〔一説定慧母〕]、橘媛[小足媛の妹。~天武天皇十年二月二十九日〔六八一年〕。阿倍夫人。天智天皇嬪。明日香皇女〔忍壁皇子妃〕、新田部皇女〔文武天皇三年九月二十五日。天武天皇妃。舎人親王母〕の母])─広庭─毛人(弟沙彌麻呂、弟嶋麻呂、弟粳虫)。

 

孝霊天皇(母オシヒメ)─ 孝元天皇(母クワシヒメノミコト)

 

─大彦命(孝元天皇= 泰一皇子。母皇后伊香色謎命〔父大水口宿禰命。母坂戸由良都姫〕。大毘古命〔『古事記』〕。崇神天皇朝の四道将軍の一人〔北陸〕。崇神天皇十年九月九日、北陸将軍。崇神天皇十年九月二十七日、武埴安彦命討伐。弟少彦男心命[母同。『古事記』では少名日子建猪心命の名で二男]、

弟:開化天皇[母同]、

妹:倭迹迹姫命[母同。卑弥呼]、

弟:彦太忍信命[母妃 伊香色謎命]、

弟:武埴安彦命[母妃 埴安媛〔河内青玉繋女〕。狗奴国の卑弥弓呼という説もある])

 

武渟川別命(武渟川別『〔『日本書紀』〕、建沼河別命〔『古事記』〕。崇神天皇朝の四道将軍の一人〔東海〕。

  弟組結命[日下大戸の祖]、

  弟彦背立大稲輿命

  弟波多武彦命[難波、三宅の祖])

 

─ 豊韓別命

(弟意布比命、

  弟木事命、

  弟大屋田子命[子に 日道命〔筑紫、日下部の祖〕、小狭田〔香月祖〕])

 

─雷別命(弟鐸石命─磐坂─加都麻─許登〔境部祖〕)─ 阿倍阿加古 ─ 大籠 ─ 忍国 ─ 大麻呂(弟歌麻呂)─ 目(弟摩侶─身─徳足─黒上─布勢色夫智)

 

 

彦背立大稲輿命(大彦命三男)─磐鹿六雁命(景行天皇の侍臣。「料理」の祖神。子孫の高橋氏は代々宮中の大膳職を継いだ。弟彦屋主田心

命)─宇遊命─佐白米命─膳羽室(弟謄余磯[若桜国造。稚桜部、若桜、高橋の祖])─長野(弟斑鳩)

 

─久和─大麻呂(六世紀前半の官吏)─傾子(加多夫子。六世紀から七世紀に伴造として活躍。膳職として、欽明天皇三十一年年夏四月二日に北陸に漂着した高句麗の使人を、天皇の勅により接待した。弟巴提便)─大伴(妹菩岐岐美郎女[膳比里古郎女。厩戸皇子妃。推古天皇三十年二月二十一日〔六二二年四月七日〕歿。厩戸皇子の墓所である磯長陵に合葬]、妹比里古郎女[厩戸皇子同母弟来目皇子〔久米王〕夫人。少なくとも高椅王の母])─摩漏(天武天皇十一年七月十八日〔六八二年八月二六日〕歿。小錦中、贈大紫。壬申の乱の功臣)─高橋国益─笠間(弟乎具須比)─安麻呂。

 

彦屋主田心命(大稲輿命二男。道、当道は 彦屋主田心命裔)─ 伊賀彦宿禰 稚子(阿閉祖。弟甘美古、弟稚山守)。

 

稚山守(伊賀彦宿禰 三男)─ 猪子宿禰 ─ 韓幣宿禰(弟倭幣宿禰[佐々貴山祖])。

------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

─彦背立大稲輿命磐鹿六雁命(景行天皇の侍臣。「料理」の祖神。子孫の 高橋氏は 代々宮中の 大膳職を 継いだ。弟彦屋主田心)─宇遊命佐白米命─膳羽室(弟謄余磯[若桜国造。稚桜部、若桜、高橋の祖])─長野(弟斑鳩)

 

               

彦太忍信命 ─ 彦背立大稲輿命 磐鹿六雁命 宇遊命 佐白米命 ┬ 膳羽室 長野

                             │                                  └ 謄余磯 └ 斑鳩

                              彦屋主田心命 大伊賀彦命 稚子[阿閉祖]猪子宿禰 ┬ 韓幣宿禰

                                              = 伊賀彦宿禰 │= 武内宿禰               └ 倭幣宿禰(佐佐貴山君)[佐佐貴山祖]

                                                           ├ 甘美  

                                                           

                                                           └ 稚山守 

                                   

───彦太忍信命──屋主忍命──武雄心命──武内宿禰──

 

<安倍氏の系図、P―82・83より>

(系図集): 

 

──彦背立大稲輿命──屋主田心命──大伊賀彦命──稚山守──猪子──佐佐貴山君

    ──彦太忍信命────屋主忍命───武雄心命──武内宿禰──

 

<三野(みぬ)氏、P―383より>

             

──若建吉備津彦命──御鉏友耳建彦命(御友別命)──

 

 

*恵那= 胞衣(えな).

*息長田別命=

*武貝児命= 建具児王= 讃留霊王= 

*稲背入彦命= 稲瀬毘古命=

*彦狭嶋王= 倭建命

*建沼河別命=

*彦五十狭芹彦命= 大吉備津彦命

 

 

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm

《出雲国造族綱要》

【出雲氏】                  

 

 

                               =意富伊我都命

                        ┌櫛瓊命─┬津狭命──櫛瓺前命──櫛月命──櫛瓺鳥海命──櫛田命──知理命─┐

                       │      │=建美奈命                            │
     │    │    ┌───────────────────────────┘
     │    │    │
     │    │    │          ┌出雲振根命……【朝原氏】
     │    │    │          │                                           

   天穂日命──武夷鳥命─┤    │    └毛呂須命──阿多命─┼飯入根命─┬鵜濡渟命(出雲国造家へ)
     │    │               │=武内宿禰
     │    ├建弥己呂命……〔津島県造〕  │     ├伊賀曽熊命……【神門氏】
     │    │               │     │
     │    └美志卯命……〔素賀国造〕   │     └宇乃遅命……【置部氏】
     │                    │
     │                    └甘美狭命──野見宿禰……(土師氏へ)
     │
     └出雲建子命──神狭命──見狭耳命 ─┬ 五十根彦命

                                        =崇神天皇 =石衝別命   │ =五十足彦命  

                        ┌──────────────────┘ =仲哀天皇
    │
    │      ┌比古曽乃凝命─┬建御狭日命……〔多珂国造〕〔伊甚国造〕〔安房国造
    │      │=浦凝別命    │=曾乃熊男命
    │      │       └大中伊志治命……【針間山氏】【山氏】
    │      │
    └美都呂岐命─┼忍立化多比命─┬兄多毛比命(武藏氏〔武藏国造〕へ)
       =水齒郞媛   │=御友別命    │=兄彦命
      =水穗郞媛   │       │               ┌長止古〔上海上国造〕
           │       │               │
           │       │               ├久都伎〔下海上国造〕
           │       │               │
           │       │               ├武多〔千葉国造〕
           │       │                   │
           │       ├ 忍立毛比命──五十狭茅宿禰─┴彦狭知──阿米──比良弖─┐

                     │             │ =仲彦命      =豊國別命     =吉備眞吉備 =泉長媛         │

                                      │              │               =             =                           │

                                      │              │                                                         │
           │       │ ┌─────────────-─────────────┘
           │       │ │         ┌【飛鳥部】野麻呂
           │       │ │         │
           │       │ └櫛足──玉緒麻呂─┴【飛鳥部】牛甘─┬山主──入右【三宅氏】
           │       │                    │
           │       └弟武彦命……〔相武国造〕【相模氏】   └葛麻呂【壬生氏】
           │                =弟彦命        

                                   └比奈良珠命……〔新治国造〕

 

 

*[武藏国造]는 伊香色迷命= 彦忍人命과 연결됨.

 

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01228.htm

《崇神帝裔氏族綱要》 
 
崇神天皇─┬豊城入彦命 ───────┬八綱田命─┬彦狭島命─┬御諸別命 ─┬大荒田別命───────┐
     │                   │     │     │       │            │
     ├                    │     │     │      ├市入別命[播磨鴨国造]  │
      │                     │     │     │      │            │
     ├豊鍬入姫命(斎宮初代)   │     │     │      ├鹿我別命[浮田国造]   │
     │             │     │     │      │            │
     ├ 垂仁天皇            │      │     │      ├ ◇ ──現古      │
     │= 彦五十狭茅命의子    │     │     │      │            │
     ├大入杵命【能登氏】    │     │     │      └……【珍氏】【葛原氏】  │
     │= 彦坐王         │     │     │                    │
     ├八坂入彦命 ─┬八坂入姫命│     │     └賀表真稚命── ◇ ──阿利真【垂水氏】│
     │=           │     │     │                         │
     ├渟名城入姫命 └茅姫命  │     └……【登美氏】【軽部氏】              │
     │             │                               │
     ├十市瓊入姫命       ├………………赤麻呂【広来津氏】                 │
     │             │                               │
     ├伊邪之真若命       ├………………奈良弟真若命【大綱氏】               │
     │=수인의 父        │                                │
     ├国方姫命         ├………………佐太【坂本氏】【池田氏】              │
     │             │                                │
     ├千々衡倭姫命       └………………【村挙氏】【茨木氏】【丹比部氏】           │
     │                                             │
     ├倭彦命                ┌─────────────────────────┘
     │                   │
     └五十日鶴彦命             ├【韓矢田部】現古──武額──布禰古──射狭【車持氏】
                         │
                         ├【上毛野】竹葉瀬(上毛野氏へ)
                         │
                         ├【下毛野】田道(下毛野氏へ)
                         │
                         └……………………【佐自努氏】【広来津氏】【聟木氏】

 

           

                ┌【韓矢田部】現古──武額──布禰古──射狭【車持氏】

                ├【上毛野】竹葉瀬─┬島名──腹赤

大荒田別命─

                └【下毛野】田道──奈良別── ◇ ── ◇ ── ◇

 

 

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