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(2) 新出の系譜史料五点
田中博士が掲げた五点、すなわち①和邇部氏系図、②伊福部氏系図、③田島氏系図、④阿蘇氏系図、⑤金刺氏系図、のうち阿蘇氏に関係のない最初の三点について具体的に見ていく。
①和邇部氏系図 太田亮博士の『姓氏家系大辞典』に記載されるが、静岡の浅間大社の系譜であるものの現在時点ではその出典は不明であり、田中博士は原本を求めて同社を訪れ八方手を尽くして系図を探してもらったが、見当たらなかったと報告される。ただ、これほど詳細ではないが、同社には別の形で伝わる「富士大宮司系図」があり(『浅間文書纂』所収)、世代や名前など基本的な点は相通じるものなので、原本が見つからないとはいえ、その史料性を否定できるものではない。ここで、「評」が見えるのは、傍系の久米臣の系譜記事であって、本体とはまったく関係がない個所であるし、その子孫も示されない。
太田博士は、この和邇部系図については、「真偽詳かならざれど、参考のために引用」「上古の分は偽作なり」として。記事内容的に疑問を呈しているが、これは古代の諸天皇の世代との対応関係が少ないという理由のようである。それならば、古代諸天皇の世代のほうが応神以前ではおかしい(応神天皇以前の天皇家系譜には疑問が大きい)ので、却って和邇部系図のほうの信頼性を高めることにつながるものである。ただし、総じて言えば、系図は初期段階(ないし出自段階)の部分はいつも要注意であり、和邇部臣の本宗たる和珥臣一族が孝昭天皇の子孫であることは、後世の系譜仮冒であり(実際には三輪君などと同祖の海神族の出)、また駿河の浅間大社神主家の姓氏が和邇部臣であったことが認められるとしても、近江の和邇部臣氏から駿河への分岐が奈良朝前期という遅い時期であったかどうかについては疑問が残る。
駿河の浅間大社神主家一族から出た華族・新華族はないが、これには若干のコメントを要する。まず、大名家では米津氏が実質的にこの一族から出ているが、養猶子関係により同じ駿河の大森一族の血も引いていて藤原姓を名乗り、幕府へも明治政府への提譜もこちらの形になっている。
また、新華族となった幕臣系の大久保春野の家は、
駿河ではなく遠江の遠淡海国魂神社の祠官家の出であるが、宮内省への提譜や中田憲信が編纂した『各家系譜』第四冊に掲載のその家譜は、まさに『姓氏家系大辞典』所載のものとほとんど類似する。とはいえ、大久保春野が陸軍大将となって華族に列したのが明治四〇年のことであり、阿蘇氏の提譜から大幅に遅れていて、相互に関係のない事情にもある。憲信の死去が明治四三年のことであるから、大久保家が華族に列し提譜を意識して、憲信に系譜作成を依頼したとは考え難い。むしろ、大久保家に伝わる系譜をそのまま自己の編纂する系図集に取り入れたとみるほうが自然であろう。
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