倭(왜)

津久足尼命(鴨県主祖)賀茂県主, 阿曽武命

라디오에요 2012. 4. 28. 19:29

 

 

 

大酢別命- 玉若酢命(たまわかす)

渟熨斗姫(ぬのしひめのみこと)=

武国凝別皇子= 国背別命[水間君の先祖]

 

http://www1.bbiq.jp/shinsisyuppan/sendaikujihongi43.htm

선대구사본기 경행

八坂入姫を召して妃とされた。七男六女の皇子を生んだ。

 

第一に 稚足彦

次に 五百城入彦、次に 忍足別

次に 稚倭根子、次に 大酢別

次に 五十狭城入彦、次に 吉備兄彦

次に 渟熨斗姫= 水歯郎媛、次に 渟名城姫、次に 五百城入姫、次に 籠依姫、次に 高城入姫、次に 弟姫である。

 

妃の三尾氏の 磐城別の 水歯郎媛は 五百野皇女を 生む。


妃の五十河媛は 神櫛皇子を生み、

次に 稲背入彦皇子を 。
妃の阿倍氏木事の娘の高田媛武国凝別皇子を 生んだ。

妃の髪長大田根は 日向襲津彦皇子を生んだ。

妃の襲武媛は 国乳別皇子と国凝別皇子を 生み、次に国背別皇子 またの名は 宮道別皇子、次に 豊戸別皇子を 生んだ。

妃の佳人を 御刀媛と言う。兄彦命を 生む。

 

 

日本武尊は 東夷を平らげて、帰ってこられるときに途中の尾張の国で 薨去された

祖別命, 初め 弟橘媛を 娶られ、稲依別王次に 布忍入姫命、次に 稚武王を 生まれた。

 

また、吉備武彦(祖別命)の妹の 吉備穴戸武媛を 妃とし、武卵王と十城別王を 生んだ。

また、穂積氏忍山宿禰の母弟橘媛稚武彦王を 生んだ。

 

 

武国凝別命[筑紫 水間君の先祖]

豊門別命[三島 水間君・奄智首・壮子首・粟首・筑紫 火別君の先祖]

日向襲津彦命[奄智君の先祖]

息前彦人大兄水城[奄智白幣造の先祖]

国背別命[水間君の先祖]

熊忍津彦命[日向 穴穂別の先祖]

熊津彦命

草木命[日向君の先祖]

武国皇別命[伊與 御城別・添御枝君の先祖]

国乳別命[伊與 宇和別の先祖]

大稲背別命[御杖君の先祖]

 

神櫛別命[讃岐国造の先祖]

五十河彦命[讃岐値・五十河別の先祖]

櫛見皇命[讃岐国造の先祖]

 

稲背入彦命[播磨別の先祖]

豊国別命[吉備別の先祖]

 

弟別命[牟宜都君の先祖]

忍足別命

豊門入彦命[太田別の先祖]

五十狭城入彦命[三河 長谷部値の先祖]

倭宿禰命[三川 大伴部値の先祖]

五十功彦命[伊勢 刑部君・三川 三保君の先祖]

稚屋彦命

彦人大兄命

天帯根命[目鯉部君の先祖]

大曾色別命

石社別命

武押別命

不知来入彦命

曾能目別命

十市入彦命

襲小橋別命[宇陀小橋別の先祖]

色己焦別命

武弟別命[立知備別の先祖]

稚倭根子命

稚根子皇子命

大酢別命

吉備兄彦命

宮道別命

手事別命

大我門別命

豊日別命

三川宿禰命

豊手別命

豊津彦

五百木根命

大焦別命

櫛角別命[茨田連の先祖]

 

皇子に定めた六人の中、男五人、女一人。

大碓命[守君等の先祖]
次に 小碓命[日本武尊と追贈する]
次に 豊国別命[日向の諸縣君等の先祖]
次に 稚足彦尊
次に 五十城入彦命
次に 五十野姫命[伊勢の天照大神を斎祠]

 

武国凝別皇子。

景行天皇の第12皇子。母は 阿倍氏木事の女・高田媛

伊予国 平定の ために 派遣され、

神野郡(後の新居郡、現在の愛媛県 新居浜市・西条市他)に拠点を 置いたと伝える。

昔、第14代 仲哀天皇が そこに 舟を着け、櫟を 折って笏にしたという伝承 ...

 

http://www.geocities.jp/shirakunii/sub1.html

景行天皇 ┳ 大碓命
     ┃
     ┣━ 日本武尊 ┳━ 具倉王 ━━ 武国王 ━━
     ┃       ┃
     ┃       ┣━ 武卵王 ━━ 爾弥摩命 ━━ 奈鬼爾麻命 
     ┃       
     ┃       
     ┃
     ┣━ 成務天皇 ━━━ 和謌奴気王
     ┃
     ┣━ 五百城入彦命 ━━━ 品陀真若王
     ┃
     ┣━ 草木命[日向君祖]
     ┃
     ┣━ 稲背入彦命 ━━ 御諸別命 ━━ 阿曽武命
     ┃ [針間国造祖]                   阿良都命(伊許自別)
     ┣━ 神櫛命 ━━ 千摩大別命 ━━ 須売保礼命
     ┃                  [讃岐国造祖]
     ┣━ 武国凝別命 ━━
     ┃
     ┗━ 豊国別彦命 ━━ 久邇止美彦命

 

http://1st.geocities.jp/tugami555syou/syouichi74.htm

 

倭志理都彦 (*)海部。建稲種命の息。息に川上眞稚命。

 

*建稲種命 --- 倭志理都彦 --- 川上眞稚命

 

http://tokyo.atso-net.jp/index.php?UID=1267950348

稲背入彦皇子(いなせいりびこのみこ) - 佐伯直・播磨直(播磨国造)祖である。

姓氏録では、右京皇別、佐伯直

 

稲背入彦命の後、

 

御諸別命。

御諸別命が 針間別 その男 阿良都命(一名 伊許自別)が 針間別 佐伯直

*崇神天皇--稲背入彦皇子--御諸別命--阿良都命(伊許自別)

稲背入彦皇子は 五十河媛の子であり、神櫛皇子と兄弟である。

空海は 佐伯直の後裔である。

彦狭嶋王は、記によると、この彦狭嶋王は、日子サメ間命で 播磨の牛鹿臣の祖である。 

一方、御諸別王は、播磨国造であり、両方とも播磨である
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若建王が、飯野の真黒比売と結婚して 生まれたのが、須売伊呂大中つ日子王で、

 

この王が 近江の柴野入杵の娘の柴野比売と結婚して 生まれたのが、

 迦具濾比売命(かぐろひめのみこと)です。


大帯日子の天皇が この迦具濾比売命と結婚して 生まれたのが、大江王です。

 

この王が 庶妹銀王と結婚して 生まれたのが、大名方王と大中比売です。

 

そして、この大中比売命は、香坂の王・忍熊王の母になります。  

 

http://neo-paradigm.littlestar.jp/nihonkodaishi/08_kamoshihadonnashizokuka/index.htm

 

 

賀茂氏はどんな氏族か

 

「カモシ」と呼ばれる氏族には三系統の流れがあるというのが一般的な見方です。

 

『新撰姓氏録』から、賀茂について調べると,

鴨君(かものきみ)。
日下部宿禰同祖。開化天皇の皇子の彦坐命の後。

 『古事記』では彦坐命の御子に沙本毘古の王がいて,妹が垂仁天皇の妃となりますが叛乱を企てます。これは失敗に終わるのですが、皇子の本牟智和気命は火中に生まれ,助け出されます。

『日本書紀』懿徳天皇の母は事代主神の孫、鴨王の女なり。とあります。

 

 

山城国神別 天神

賀茂県主(かものあがたぬし)。
神魂命の孫、武津之身命(たけつのみのみこと)の後なり。

鴨県主(かもあがたぬし)。
賀茂県主と同じ祖。神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)[諡は神武]中洲(うちつくに)に向(いでま)さんとする時に、山の中、嶮絶(さが)しくして、跋(ふ)みゆかむに路を失ふ。ここに、神魂命の孫、鴨建津之身命、大きなる烏(からす)となりて、翔(と)び飛(かけ)り導き奉りて、遂に中洲に達(とほりいた)る。天皇その功あるを嘉したまひて、特に厚く褒め賞(たま)ふ。天八咫烏(あまのやたからす)の号(な)は、これより始りき。
『新撰姓氏録逸文』に、若帯彦天皇(成務)御世。鴨縣主を賜る。とある。

 

大和国神別 地祇

大神朝臣(おほみわのあそみ)。
素佐能雄命(すさのをのみこと)の六世孫、大国主の後なり。初め大国主神、三島溝杭耳(みしまのみぞくひみみ)の女、玉櫛姫(たまくしひめ)に娶(みあ)ひたまひき。夜の曙(あけ)ぬほどに去りまして、来すにさらに昼到まさざりき。ここに、玉櫛姫、苧(を)を績(う)み、衣に係けて、明くるに至りて、苧のまにまに、まぎゆきければ、茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すゑのむら)を経て、直に大和国の真穂(まほ)の御諸山(みもろやま)にいたれり。還りて、苧の遺(のこり)をみれば、ただ、三輪(みわ)のみありき。これによりて、姓(うぢ)を大三輪と号けり。

賀茂朝臣(かものあそみ)。
大神朝臣と同じき祖。大国主神の後なり。

大田田禰古命(おほたたねこみこと)の孫、大賀茂都美命(おほかもつみのみこと)[一名は 大賀茂足尼]賀茂神社を斎き祭りき。

 

 

まとめると次のようになります。

 

A)鴨県主  彦坐命(ひこいますのみこと)の後なり。(左京皇別)

   鴨君   同じき祖,彦坐命(ひこいますのみこと)の後なり。(摂津国皇別)

B)賀茂県主 神魂命の孫,武津之身命の後なり。(山城国神別天神)

   鴨県主  賀茂県主と同じき祖。(上同)

C)賀茂朝臣 大神朝臣と同じき祖,大国主の後なり。大田田禰古命の孫,大賀茂都美命

賀茂神社を斎き奉りき。(大和国神別地祇)

  鴨部祝  賀茂朝臣と同じき祖,大国主の後なり。(摂津国神別地祇)

 

 

神武天皇を案内したという八咫烏の子孫が葛野の主殿県主であるとみえます。この葛野は山城国の葛野郡・愛宕郡の一帯をさし,そこに住んでいた鴨県主のことです。『新撰姓氏録』山城国の鴨県主の城に,それを傍証する記事がみえます。

 

神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこ)中洲(なかつくに)にいでまさんと欲(おぼ)ししとき,山中嶮絶(さが)しくて,まよいたまいき。ここに神魂命(かみむすびめ)の孫,鴨建津身命,大いなる烏と化如りて,翔飛り導き奉りて,ついに中洲にいたりたまいき。時に天皇,その有功を喜でたまいて,特に厚く褒賞めたまいき。八咫烏の号これより始まれり。

 

山城国へ移住した鴨族の一派もその出自を八咫烏にみとめ,上賀茂神社では今でも烏神事を伝えています。『古語拾遺』も鴨氏の出自を八咫烏だとし,「加茂県主の遠祖,八咫烏は,いでましを導き奉りて,瑞を莵田の径に顕しき」と記しています。また平安朝以来朝廷からあつく尊崇をうけた賀茂社の縁起について,『山城国風土記』逸文によると,賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の子孫であると伝えているのですが,『新撰姓氏録』によると,必ずしもそうではなく3種類に分かれるとしています。

 

「古代豪族系図集覧」 東京堂出版よりそれぞれにあてはまる系図を抜粋します。

 

 

A)鴨県主  開化天皇の皇子,彦坐命(ひこいますのみこと)の後なり。(左京皇別)

   鴨君   同じき祖,彦坐命(ひこいますのみこと)の後なり。(摂津国皇別)

 

 

B)賀茂県主 神魂命の孫,武津之身命の後なり。(山城国神別天神)

   鴨県主  賀茂県主と同じき祖。(上同)

 

http://homepage1.nifty.com/moritaya/kamokeifu.html

 

神皇産霊尊-天神玉命-天櫛玉命-鴨建角身命┬鴨建玉依彦命-五十手美命-麻都躬之命
                (八咫烏)|
                     └玉依姫命-賀茂別雷命

→-看香名男命-津久足尼命-猿弟人命-佐佐乃彦命-菅牽命-稚可土乃命-馬岐乃耳命-大伊乃伎命

               (鴨県主祖)

  

C)賀茂朝臣 大神朝臣と同じき祖,大国主の後なり。

大田田禰古命の孫大賀茂都美命

賀茂神社を斎き奉りき。(大和国神別地祇)

鴨部祝  賀茂朝臣と同じき祖,大国主の後なり。(摂津国神別地祇)

 

 

①建速素盞鳴命大国主命味鋤高日子根命-都美波八重事代主-天事代主籖入彦命-奇日方天日方命
                   
-飯肩巣見命-建甕尻命-豊御気主命-大御気主命
┬阿田賀田須命
                                                                       |(宗形朝臣等祖)                (三輪君・大神朝臣等祖)                                     -建飯賀田須命-大田々根子命--大御気持命-大部主命-大友主命-大鴨積命
                 (大直禰古命)        (賀茂朝臣・鴨部祝等祖) 

 

 

素戔鳴尊-八島士奴美神-天之冬衣命大国主味鋤高彦根命天日方奇日方命-健飯勝命(三輪君祖)   |          (天葺根命)           |                                      └大年神-大山咋神                                                └天八現津彦命
                                                 (長国造、都佐国造祖)
                  

 

③素佐乃乎命-蘇我能由夜麻奴斯-布波能母知汗那須奴意禰都奴天布由伎奴-大国主命
 (素戔鳴尊)(清湯山主・八島士奴美命)           (天之冬衣命)

久斯比賀多命-阿麻能比賀大命・・略・・太田々禰古命

              -櫛○戸忍速栖浦浦稚日命

              -櫛○戸忍勝速日命

 

大国主-味鋤高彦根命-天八現津彦命-観松彦伊呂止命-大日腹富命-建美奈命-甕男立命

-麻斯命-多米津古命-忌寸宿禰 ┬ 萬杯足尼依網男垂見 狭毘古
                       │                                   

               ├ 韓背足尼        └ 十挨彦

               │(長国造)        (意岐国造)         

               └ 小立宿禰
                 (都佐国造)

 

大国主命事代主命┬天八現津彦命-観松比古命-建日別命-伊侶止乃命-八上乃命
          │
          └天日方奇日方命(三輪君祖)

┬押古呂命-赤目彦命-若津根命-石古別命-兄人命-韓背宿禰(長国造)

└振根命-百襲彦命-川尻彦命-諸手足尼-小立宿禰
 (都佐国造)

 

*(先代旧事本紀)

大国主命-都味歯八重事代主神-天日方奇日方命-健飯勝命-健甕尻命-豊御気主命-大御気主命-
        |          (阿田都久志尼命
    -味鋤高彦根神

   -阿田賀田須命
   |(和邇君等祖)

 -健飯賀田須命-大田々禰古命-大御気持命-大鴨積命
                       |(賀茂君祖)
                       -大友主命
                       |(大神君祖)
                       -田々彦命
                     (神部直・大神部祖)

私は『古語拾遺』が 鴨氏の出自を八咫烏だとし

「加茂県主の遠祖,八咫烏は,いでましを導き奉りて,瑞を莵田の径に顕しき」と記しており,

また平安朝以来朝廷からあつく尊崇をうけた賀茂社の縁起について,

『山城国風土記』逸文によると,賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の子孫であると伝えているとおり,大和の賀茂氏と山城の賀茂氏は同系統であると思っています。