倭(왜)

比古布都押信命

라디오에요 2012. 1. 6. 02:29

http://menorah.seesaa.net/article/238963932.html

 

孝昭天皇─天足彦国押人命─押媛命、弟和邇日子押人彦命─彦姥津命(妹彦祁都比売命)─伊富都久命(丈部丸部祖)、妹袁祁都依比売命、弟彦国葺命(弟小篠命、弟乙国葦命)─建耶須禰命(子に八千宿禰命[吉備穴国造。安那祖)、弟大口納命(弟彦忍人命[丈部祖])─難波根子建振熊命(彦汝命、弟真侶古命)─米餅搗大臣命(弟日触使主命、弟大矢田宿禰命、弟石持宿禰命)─八腹木事(弟春日和邇深目、弟春日市河、弟春

 

http://www.dai3gen.net/bbs0103.htm

比古布都押信命

投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月9日 16時28分

建内宿禰の親ですが、

彦太忍信命という書き方になると、
「太」「忍」、、なんと大三元さんの世界じゃありませんか!

彦太忍信命には二人しか子供が、出ていませんが、
実は子沢山だったりして。
でも この子孫が、のち一大勢力になっていることを 指しているのか?

が単純に布都=物部になってしまうのか?


[319] Re: 比古布都押信命
投稿者名: 大三元 (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月9日 18時47分

> 「太」「忍」、、なんと大三元さんの世界じゃありませんか!
> 彦太忍信命には二人しか子供が、出ていませんが、
> 実は子沢山だったりして。

忍、押、を アイヌ語の uos 次々と、と解いたのは、次々と
生まれてきたものに対して、で、次々と生んだ方では、ない
(とりあえず、、、ね)。だから、彦太忍信命に兄弟姉妹が
多かったか、って話が取り敢えずポイントでしょう。父親を
同じとするものなら、一応5人ですね。母親から見ると、
この人は一人っ子ですね。

今まで積極的な例としては、

忍/押 の後に
kor (持つ) kur(男)(kor の誤伝か) ka のようにk音があるものと
po (子)を上げました。「」は「マコト」としか読んでいないようなので
イイガカリがつきません、

しかし、マコト、なんて語の語感って
もっと新しいような気もしますが。。。んなこと言っててもしょうがないけど。

ところで葛城高千那毘売(ウマシウチの宿禰の母)が建内宿禰の母だと
面白いんですがねぇ。

 

何故、って「タカチ」ですから。(ナビメ、を
分けるのが不自然ですか? この姫さんの兄さんは「意富那毘」だから
「那毘女」もありかもよ。)


[320] Re: 比古布都押信命
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年7月10日 23時57分
> ところで葛城高千那毘売(ウマシウチの宿禰の母)が建内宿禰の母だと
> 面白いんですがねぇ。何故、って「タカチ」ですから。(ナビメ、を
> 分けるのが不自然ですか? この姫さんの兄さんは「意富那毘」だから
> 「那毘女」もありかもよ。)

ということは
建内宿禰は尾張氏の出自となってしまいますね
それはそれで面白いんですが
母の出自が 紀氏であるということは
十分面白いと思うのですが



 


[322] Re: 比古布都押信命
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月11日 13時31分

ところで、この意富那毘さんって誰ですか?
尾張の系譜には見えないんですが?

この葛城高千那毘売ってのも誰?


旧事紀に
タケモロクマの妹 オオアマヒメ(大海媛)の亦の名で 葛木高名姫がありますが、
時代が 孝元と崇神で、違います。

そしてこの孝元記の記述と旧事紀の系譜と微妙に違います。
孝元の子のスクナヒコタケイゴコロなんて
饒速日 七世孫 タケイココロオオネみたい?









城高千那毘売は
先代旧事本紀には載っていませんが
海部氏系譜には9世孫として記されています。
但し年代は一致しません。
葛城高千那毘売の祖父である建諸隅命の妹が大海姫命ですからね
但し海部氏系譜では
大海姫命は、倭得玉彦命の妹とされています。
つまり葛城高千那毘売の叔母が大海姫命です。
また建諸隅命は、崇神紀に出てきますから
多分崇神と同時期の人物なんでしょう。
すると一見世代逆転が起こっているような気がしますが
崇神の孫の景行の時代に竹内宿禰は出てきます。
このように崇神朝を中心に見ると系譜的に齟齬はありません。

だとすると孝元と崇神朝は別系という可能性が出てくるんです。



 


[328] Re: 比古布都押信命
投稿者名: ペギラ (ホームページ)
投稿日時: 2001年7月11日 18時50分
 
> それって
> 海部氏系譜ですか?

今までそうだと信じていましたが(爆)
最終が海部直稲雄になっています。

また別件ですが、建諸隅と宇摩志麻治系の矢田部造の遠祖の武諸隅は、
別人なんでしょうか?

尾張系の建諸隅は孝昭の時で、妹が崇神の皇妃とは???
宇摩志麻治系の武諸隅は、崇神の時代です。

尾張系の建諸隅は孝昭の時で、2代あとが意富那毘の孝元で
男系は合ってる。

すると大海姫が、整合していないんだ!!



[332] Re: 比古布都押信命
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年7月15日 15時12分
> 今までそうだと信じていましたが(爆)
> 最終が海部直稲雄になっています。

多分
それは
修正系譜じゃないでしょうか
海部氏系譜には
異伝や伝えが多く記されいます。
いちおう
基軸とする系譜はあるのですが
異伝系譜も多く併記されていまして
大変
混乱していて繋がりがよくわかりません。

> また別件ですが、建諸隅と宇摩志麻治系の矢田部造の遠祖の武諸隅は、
> 別人なんでしょうか?

先代旧事本紀の系譜を読むと
2人ともいますね
これを見る限り別人ですね
でも
同一人物のような気がするんですけどね

> 尾張系の建諸隅は孝昭の時で、妹が崇神の皇妃とは???
> 宇摩志麻治系の武諸隅は、崇神の時代です。
> 尾張系の建諸隅は孝昭の時で、2代あとが意富那毘の孝元で
> 男系は合ってる。
> すると大海姫が、整合していないんだ!!

個別で見れば整合してるんですよね
というより
狭い世代間ごとでは整合する。
しかし
全体で見ると
広い世代間にすると整合しなくなるんですよね





私の持っているのもペギラさんのものと同様
(大海姫命は建諸隅命{和多津見命}の妹、最後は海部直稲雄)
これは、金久与市著『古代海部氏の系図』(学生社)の巻末に
あるもので、その出典は籠神社に伝わる「丹波国造本記」の由です。

ここらは(も!)何回見ても頭が混乱して終わりになってしまう
とこです。


[334] Re: 比古布都押信命
投稿者名: あきんど
投稿日時: 2001年7月15日 18時17分

海部氏系譜 海部氏勘注系譜はあまりに量があるので
一部しかコピーしてないんです。

 

海部直等氏之本紀よると

彦火明命、その子として

天香語山命と穂屋姫命、可美眞手命の3児


天香語山命の子として 天村雲命、熊野高倉下の2児


また、天村雲命の亦名が 五十楯天香語山命となって います。

 

天村山命の子として
天忍人命、天忍男命、日女命、倭宿禰命、葛城出石姫命の5児

これが彦火明命の孫の世代です。

ちなみに、倭宿禰命の亦名が 天御蔭命となっています。

 

四世の孫
天忍人命の子として、天登目命。
天忍男命の子として、武額赤命
倭宿禰命の子として、笠水彦命

五世の孫
天登目命の子として、建登米命
武額赤命の子として、竹筒草命
笠水彦命の子として、笠津彦命

 

*倭宿禰命 ---- 笠水彦命 ---- 笠津彦命 ---- 建田勢命 ---- 建諸隅命

六世の孫
笠津彦命の子として、建田勢命

建登米命の子として、建田小利命と葛木高田姫命

 

七世の孫
建田勢命の子として、建諸隅命となっています。

建諸隅命の亦名を見ると、彦由牟隅命、彦国忍人命、倭得魂命、常根津彦命、
天御蔭命の弟和多津見命、大海彦と面白い名前が並んでいます。

一応、異伝として、大海姫命を妹とすると記されていますが
あくまで、正伝は、日本得魂命と大倭姫命を子としています。
また、建諸隅命の弟として、和多津美命などが居たという伝えがあるそうです。
どうも、建諸隅命は、弟達や子である倭得魂命と記録が混在しているようです。
多分 これが混乱の理由のようです。
続いて

八世の孫
建諸隅命の子として、日本得魂命、大海姫命、大倭姫命の3児

 

そして、面白いことに
大日諸の娘を娶って、生まれたのが、この3人なんです

 

そして
日本得魂命の亦名に 葛木彦、饒速日尊、御眞津彦命とあります。

これは、妄想爆発です。

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http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/10/post_04e2.html

『古事記』の中にある「尾張氏」関連の記載されているものを全部取り出してみると、まず一番最初に出てくるのは、瓊瓊杵命(ニニギノミコト)「天孫降臨」の時です。天火明命(アメノホアカリノミコト)となって、まさに天照大神の直系として登場するのです。

  「尾張」という名で出てくるのは孝明天皇の時、尾張連の祖沖津余曾(オキツヨソ)の妹「余曾多本毘売命(ヨソタホビメ)」。ここで天皇家の外戚としての尾張の名が正式に登場します。
 

孝元天皇の代、

意富那毘(オオナビ)の妹 葛城の「高千那毘売(タカチナビメ)」が 嫁ぎ、

 崇神天応の代に「意富阿痲比賣(オオアマヒメ)」、で、

次ぎに 出てくるのが「草薙の劔」の「美夜受比賣」、

応神天皇の世になると、尾張連の祖、品陀眞若王の娘弟日賣(オトヒメ)」が 天皇に 嫁ぐ。

 

 しかし この後 何代も「尾張」の名は出てこなくなる。天皇家の流れが「尾張」と関係の無い系譜となったからである。
 「尾張」の名が復活するのは継体天皇の世になってからである。その理由は前の武烈天皇には子がなかったからで、現在も皇位継承問題で皇室典範改正の動きがあったが、この時も何代も遡って皇位継承者を捜したのだろう、「天火明命(アメノホアカリノミコト)」まで遡って、継体天皇へと繋いだ。まさに名が現すように「国体を継ぐ天皇」であったわけだ。