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旧事本紀・勘注系図の物部氏・尾張氏始祖伝承
曲学さんは、次のように述べる。
>尾張氏や海部氏の始祖彦火明命と、物部氏の天火明命は 別人と考える。
http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/hoakari-nigihayahi.gif
その理由として、天火明命(饒速日尊)の子, 宇摩志麻治が 神武世代であるのに対し、
勘注系図では、彦火明命の3世孫倭宿禰が 神武世代であることを挙げる。果たしてそのように考えられるのだろうか?
1.勘注系図でも、彦火明命を 饒速日尊と同人として、旧事本紀と同様に 河内国への降臨伝承等を記す。
「亦名饒速日命、亦名神饒速日命、亦名天照國照彦天火明櫛玉饒速日命、亦名膽杵磯丹杵穂命、統八州 也、已而速日命則乗天磐船、登於虚空、降坐於凡河内國」(以下略)
2.勘注系図自体、彦火明命の子として、天香語山命と可美眞手命を挙げる。彦火明命=饒速日命という前提である。
3.尾張氏族の六人部連本系帳でも、始祖天火明命 亦名奇魂迩杵速日命である。
4.勘注系図では、倭宿禰(つまり天忍男命・天忍人命世代)を神武世代とする。
しかし、天忍男命の娘、世襲足姫命は孝昭后である。世代が合わない。
倭宿禰を神武世代とすることは出来ない。
5.通常、天香語山命は高倉下命の別名であり、これが神武世代である(勘注系図では親子の関係)。
六人部連本系帳でもこれが神武世代であり、6世孫に安居建身命 (旧事本紀・勘注系図では建手和邇命で、六人部連の祖)を挙げ、崇神世代とする。
古代豪族系図の比較から導き出される標準的な世代構成「神武世代と崇神世代の間に4世代」と一致する。
彦火明命と天火明命を別人とすることは出来ない。
尾張氏側でも、物部氏側でも両者は共通して饒速日尊を示している。
勘注系図も旧事本紀の派生物の一つで、そこに丹波独自の伝承が付加されているに過ぎない。
問題とする事を誤っている。
彦火明命と天火明命が同人なのか別人なのかが問題なのではない。
要は、物部氏の祖、饒速日尊の父は誰なのか?尾張氏の祖は天(彦)火明命なのか?を問題とすべきである。
結論から言えば、
饒速日尊の父は、天忍穂耳尊ではなく、そもそも饒速日尊は天火明命と同人でもその子でもないし、瓊々杵尊の子でもない。
(世代としては 瓊々杵尊の子の世代に 当たる。)
また、尾張氏は 綿津見豊玉彦を 祖とする 海人族で、
天火明命を祖とするのは、旧事本紀における系譜加冒に過ぎない。
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天香語山命(天香久山命)の実体
旧事本紀によれば、
天香語山命(天香久山命)は、尾張氏族の祖で、饒速日尊が天道日女命を娶って生んだ子という。
天降って、別名を手栗彦命、高倉下命とする。
「天香語山命」というのは、本当に饒速日尊の子という高倉下命の別名だったのだろうか?
物部氏・尾張氏関連の伝承の殆どは 旧事本紀に沿った内容だが、僅かに 旧事本紀と異なる伝承も 残る。
饒速日尊の母神は「天香語山神の娘」とされ、
亀井家譜では これを「武乳速命の娘」と記す。
つまり、武乳速命=天香語山神ということである。
武乳速命は、中臣連祖神の一人で、
添県主の祖と姓氏録に記される。
「天香久山」は 祭祀・神祇・卜占に 関係 深く、
それを職掌とした中臣連の本拠地が 天香久山 付近に あった。(記紀に 天香久山の霊力・埴土の呪力の話が 出て いる)
天香山に 鎮座する 櫛真知命(天香山坐櫛真知命神社の祭神、真知は 太兆フトマニのこと)は、
天児屋根命の父、居々登魂命(興台産霊尊)と同神で、市千魂命や血速魂命とも 同神とされる。
(血速魂命=武乳速命であるから、櫛真知命=武乳速命=居々登魂命ということになる。)
中臣氏は、天孫族より前から日本に先住していた 山祇族で、本来はカグツチ(迦具土、火産霊神、火之夜芸速男神)を始祖とする。
迦具土は卜占に使用される天香久山の埴土を表しているから、中臣祖神に相応しい。
つまり、「天香語山命(天香久山命)」は、本来 中臣氏 関連の神である。
ある「勘違い」が 積み重なった 結果、最終的に 饒速日尊の子として 物部氏の伝承に 取り込まれた。
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반론:
『勘注系図』、先代旧事本紀 尾張氏系譜、ともに 天火明=饒速日とすることは認めます。
しかし『勘注系図』は 倭宿禰を、天火明の三世孫とします。
一方 宇摩志麻治は 天火明の子です。
この二人を同一時代の人として、世代数を比較する限り、天火明と饒速日を 同一人物とすることには 無理が あります。
ただし天火明はもちろん饒速日もまた「ホアカリ」と呼ばれた可能性があります。
ここに尾張氏の祖 天火明と、物部氏の饒速日を 同一人物とする 伝承の混乱が あると考えて います。
この認識は どの史書を どれだけ重要視するかによって、見解が 分かれると思います。
したがって議論の決着は付きにくく、私としても完璧に論証することは困難と思っています。
一応 私の説を 披露します
問題はご指摘のように、倭宿禰が神武世代の人物であるか否かです。 『勘注系図』はこの人物について次のように詳しく記します。
「母伊加里姫命(いかりひめのみこと)なり。
神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)天皇【神武】御宇參赴(まいりおもむき)、しこうして祖神より傳へ来る天津瑞神寶(あまつみずかんだから)(息津鏡・邊津鏡是也)を献じ、もって仕え奉る。彌加宜社(みかげしゃ)、祭神天御蔭命、丹波道主王之祭給所也、この命、大和國に遷坐(うつりいます)の時、白雲別(しらくもわけ)神の女、豐水富命(とよみずほのみこと)を娶り、笠水彦命を生、笠水訓宇介美都(かさみずよむうけみず)」
この中に出てくる倭宿禰の妻となった豐水富命と言う人物は、『新撰姓氏録』に詳しく登場します。
この女性は神武が吉野で出会った水光姫(みひかひめ)です。
http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/2-3-1yamatonosukune.htm
倭宿禰を神武時代の人とすることに問題はありません。
>彦火明命と天火明命が同人なのか別人なのかが問題なのではない。 要は、物部氏の祖、饒速日尊の父は誰なのか?尾張氏の祖は天(彦)火明命なのか?を問題とすべきである。
私もそのように考えます。 但し私は、尾張氏の祖は瓊瓊杵尊の兄、物部氏の祖は瓊瓊杵尊の子と考えるわけですからこの世代までさかのぼればこの二つの氏族は近い関係にあったと考えます。
神武東征の最後の戦闘の場面で、神武は物部氏の提示した天羽々矢を確認することにより、自分たちが同族であることを確認します。 このあたりから饒速日が瓊瓊杵尊の子であっても不思議はないと考えます。 何れにしても日本書紀で神代とする時代です。完璧な論証はできません。
>また、尾張氏は綿津見豊玉彦を祖とする海人族で、天火明命を祖とするのは、旧事本紀における系譜加冒に過ぎない。
系譜研究者の宝賀氏なども尾張氏を「尾張氏は綿津見豊玉彦を祖とする海人族」という説を主張されます。 近い関係にあることはうかがいしれますが、「海人族」という氏族をどのように規定されるのか解りかねますが、少なくとも海部氏の倭宿禰と、綿津見豊玉彦―玉依姫―建位起―倭宿禰(椎根津彦)と続く後の倭氏の倭宿禰は別人と考えています。 http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/2-3-1yamatonosukune.htm
>六人部連本系帳でもこれが神武世代であり、
>6世孫に安居建身命 (旧事本紀・勘注系図では建手和邇命で、六人部連の祖)を挙げ、崇神世代とする。
七世孫 弟 安毛建三命(あけたつみのみこと)[六人部連(ムトベノムラジ)等の先祖] この命は、同天皇[崇神天皇]の御世に侍臣となって仕えた。(物部氏系譜)
六世孫 次に建手和邇命(たけたわにのみこと)[身人部連(むとべのむらじ)等の先祖](尾張氏系譜)
共に六人部連、身人部連の祖先とします。 前者は物部氏、後者は尾張氏の人物です。 私は次のように考えます。
向日神社は元は尾張氏の建手和邇命が祭る神社であったが、戦火で荒れ果てこれを崇神の命で再建したのが物部氏の安居建身。
ちなみに安居建身は崇神時代の人。建手和邇命は孝安時代の人と私は考える。
したがって尾張氏の建手和邇命の子孫も物部氏の安居建身の子孫も共に「むとべのむらじ」
以下に新撰姓氏録の六人部(身人部)・むとりべ)を示す。
師木(磯城)水垣宮治天下天皇御代、詔安居建身命曰、賀茂県主等之持伊都久山背国弟国ニ鎮坐火雷神社大荒タリト聞食ガ故、汝徃テ奉造仕ト仰給キ 於是、安居建身命率諸司テ、仰忌部首奥津真根テ須賀山ノ材ヲ以忌斧伐材持来テ造御屋。仰玉祖宿祢祖加我彦採須賀山玉テ造吹玉。仰祝部連竹原テ木綿荒妙和妙ニ種々物ヲ備設テ、抜取須賀山之五百枝賢木テ、上枝ニ縣吹玉、下枝垂木綿、以五百枝楓五百津葵御屋裏(宮内)ヲ奉飾テ、湯津楓乃蔭ニ隠候テ、御佃田ノ神穂舂白ケテ、河内物忌ガ奉捕年魚ヲ、作膾テ、朝御餞・夕御餞ニ奉仕称言竟奉テ、復奏キ。 於是、天皇歓給テ詔曰、勤モ仕奉シカモ。尊モ奉斎カモ。汝命ハ為御孫命ニ永為火雷神社神主テ、伊都伎奉仕ト言依賜キ。仍、己命ノ母玉手姫命ト児建斗臣命トヲ率テ、弟国嶋家ニ移住給テ、下社ノ朝御餞・夕御餞奉仕也。
要約すれば 崇神の時、加茂の県主らが祀っていた山城弟国(京都府乙訓・おとくに)に鎮座する火雷神社(ほのいかずち神社)が大きく荒れていると(崇神天皇が)聞かれて、汝行って造営せよと仰せられた。 そこで安居建身命率は諸司を率いて、忌部首奥津真根(いんべのびとおくつまね)に言って須賀山の木を伐らせ御屋を造った。 (以下省略)
三世紀末の元稲荷古墳の被葬者は安居建身くらいか?
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天背男命と天手力男命の混同(1)
天香語山命が尾張氏系譜に取り込まれた過程を説明しますが、非常に回りくどい説明となります。記紀や旧事本紀をはじめとする伝承には、「異名同神」「同名異神」の区別が付かなくなった、或いは勘違いにより別々の神を混同したことによる誤伝承が含まれています。それを紐解かなくてはならないからです。
天香語山命とは、元々は、饒速日尊の母方の祖父であり、天香山坐櫛真知命神社の祭神である櫛真知命(=武乳速命、居々登魂命)であったことは既に述べました。その妻神は許登能麻遅媛命であり、子に天児屋根命がいます。
では、天香語山命の妻神「許登能麻遅媛命」とはどのような神でしょうか。
1.『尊卑分脈』藤原氏系図 天児屋根命の注記に、「興台産霊命(=居々登魂命、武乳速命、天香語山命)が玉主命の(女が脱漏)許登能床遅媛命を娶り生む所の者」とあり、玉主命の娘としています。
この「玉主命」は、迦具土を祖とする中臣連同族で、天石門別安国玉主命と見える神です。一般的には「天手力男命」として知られています。
一方、これとは全く異なる伝承があります。 2.斎部宿祢本系帳 安房国安房郡式内社・洲宮神社社家に伝わる斎部宿祢本系帳では、天背男命の娘として許登能床遅媛命を挙げ、天児屋根命母と注記します。
では、天手力男命=天背男命でしょうか。天手力男命は、その祖を迦具土とする山祇族系、天背男命は忌部氏の祖神で天孫族系、従って両神は本来別神です。しかし、両神は「ある理由」から混同されました。
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『安房斎部系図』によれば、天背男命の后神を八倉比売とします。阿波でも同様で、八倉比売は、名方郡式内社・天石門別八倉比売神社の祭神であり、天日鷲命の母神とします。 なお、天石門別八倉比売は元々、天石門別神とその后神八倉比売の二座を一座扱いにした神で、すなわち天背男命=天石門別神ということになります。
古事記や旧事本紀でも、天手力男命と天石門別神は別神ですから、別神とするのが正しいでしょう。しかし、「天石門別」という言葉から連想するのは通常「天手力男命」ではないでしょうか。
つまり、「天石門別」という名を通じて、天背男命と天手力男命を混同することとなったのです。
天背男命を祖神とする忌部氏でさえ勘違いして、天背男命の娘として、許登能床遅媛命を記します。
色々と調べてみれば、天手力男命の別名を天背男命とする記述に当たると思います。
これも、上記の「勘違い」が原因なのです。
例えば、壱岐嶋石田郡式内社・天手長男神社の祭神は天手力男命ですが、その別名は「天石戸別命、櫛盤窓命、伊佐布魂神、明日名戸命・阿居太都命、天背男命、天岩戸別安国玉命、天嗣鉾命」とされます。
このうち天手力男命の本来の別名は「天岩戸別安国玉命」だけです。その他の別名は全て天背男命の別名か、天背男命の祖父・伊佐布魂神、天背男命後裔の県犬養氏の祖・阿居太都命です。
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天稚彦と饒速日命の混同(2)
旧事本紀では、饒速日命の別名を胆杵磯丹杵穂命とする。(胆杵磯丹杵穂命は、五十研丹穂命・伊岐志迩保命・伊伎志爾富命とも書かれる)
五十研丹穂命は、因幡國一宮宇倍神社の祠官・伊福部氏の系図『因幡国伊福部臣古志』に見えて、大己貴命の子であり、その六代孫に饒速日命を置きます。(五十研丹穂命が大己貴命の子なら、饒速日命の世代との間が長すぎるので、世代を水増しした造作はある。)
一方、伊岐志迩保命は旧事本紀自体に見えて、山代(山背)国造等祖と記される。山背国造の祖ならば、通常は天津彦根命です。
これまで見たように、天津彦根命=天稚彦ですから、「因幡国伊福部臣古志」には大己貴命の子(実際には大己貴命の娘・下照姫の娘婿ということ)に掲げられ、旧事本紀に山代国造等の祖と記されるのです。伊福部氏は母系の祖である大己貴命を奉斎したわけです。
同様に、旧事本紀が「天背男命 尾張中嶋海部直等祖」と記すのも、天背男命(天稚彦・天津彦根命)の子孫である鴨県主一族・中島直が、天背男命の母系の祖先神である大己貴命を奉斎したものだったことが理解出来ます。
胆杵磯丹杵穂命は天稚彦・天津彦根命のことであり、饒速日命の別名ではなかった。饒速日命にとって祖先神に当たることになります。饒速日命も天孫系の神ですが、旧事本紀に云うような天忍穂耳尊の子というのは、天火明命と饒速日命を同一神とすることによる系譜加冒です。当然、瓊々杵尊の子ということもありません。
天香語山命が饒速日命の子として取り込まれた理由
これまでの事をまとめると、次のようになります。
1.本来、天香語山命とは、中臣祖神の興台魂命(天香山坐櫛真乳命・武乳速命)のことであった。これが、後世にも伝承として残り、亀井家譜等の饒速日命の注記に、「母神は天香語山神娘」「母は武乳速命の娘」などと注記される。天香語山命の妻神は、天手力男命の娘・許登能麻遅姫命であった。
2.物部氏側の伝承では、天稚彦(天津彦根命・天背男命)と饒速日命を混同していた。その為、饒速日命の別名を「胆杵磯丹杵穂命」としたり、大己貴命の娘・天道日女命(別名屋乎止女命・高光姫で、実体は下照姫)を娶ると記された。
3.天稚彦は天背男命・天津彦根命以外にも多くの別名を持っていたが、その一つ「天石門別命」という名を通じて、天手力男命と混同された。斎部宿祢本系帳でさえ、天背男命の娘として許登能麻遅姫命を記載する程である。
4.1~3の勘違いが重なった結果、天手力男命の娘婿である「天香語山命」は、饒速日命の娘婿の名前として旧事本紀などの伝承に取り込まれることとなった。
pdfファイルは、これらの関係を分かりやすく系図にしたものです。 尚、このファイルで、饒速日命の父を経津主命としていますが、これも別途書きます。
物部氏の氏神は石上神宮に祀られる布都御魂であり、それが経津主命たる物部経津主神・物部経津神に当たるためです。 |
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