http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/?pid=kusegakunoto&mode=pr&parent_id=8150
http://www1.bbiq.jp/shinsisyuppan/sendaimokuji.htm 구사본기 목차.
http://www1.bbiq.jp/shinsisyuppan/sendaikujihongikaminoyokeiki.htm 구사본기 신대기.
http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/8640/tennou/koushitsu_shinwa1.htm
http://rokusan.comoj.com/data7.html
http://rokusan.comoj.com/data6.html (천황계보)
http://www.dlibrary.go.kr/JavaClient/jsp/ndli/full2.jsp?v_kw_str=(구사본기)&v_db=1&v_doc_no=22305&mode=1 1644년판 구사본기
皇室家 家系図
1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世
天御中主尊┳国常立尊━天鏡命━━天萬命━━大苫彦尊━━沫蕩尊━━┳伊裝諸尊━
┃国狭槌尊 角杙尊 泥土煮尊 大戸之道 青橿城根尊 ┗伊弉冉尊
┃ 大富道 面足尊
┃ 大戸摩彦 沫那芸神
┃
┗天八下尊┳天三降尊━(天合尊)━天八百尊━天八十萬尊━
┃ [西氏祖]
┗天三下尊━天合尊━━天八百日尊┳百日萬魂━━神魂命━櫛真乳魂命━天曾己多貴命 ┃ (神皇命子)
┃
┗天八十萬魂━神皇命━櫛真乳魂命
6世 7世 8世 9世 10世 11世
━ 天嗣桙命 ━━ 天鈴桙命 ━ 天御雲命 ━ 天牟羅雲命 ━ 天波興命
━ 神魂命 ━ 櫛真乳魂命 ━ 天曾己多貴命 天牟雍雲 天波與命
━ 万魂命 ━ 天剛河命
天剛風命 ━ 津速魂命 ━┳ 市千魂命 ━┳ 興澄魂 ━ 天児屋根命 ━┓
━ 萬玉尊 ━ 天剛川命 ┗ 武乳遣命 ┗ 大田諸命 ┃
(建速須佐之男命) ┏━━━━━━━━━━━━━┛
┗ 天押雲命 ━ 天多彌伎命
━ 高魂命 ━ 伊久魂命 ━ 天押立命 ━ 陶津耳命 ━ 玉依彦命 ┳ 剣根命 ━━━┓
(高皇産雲尊)(香都知命) (天神立命)(天石門別安國玉主命)(天押日命)┃(天押人命) ┃
(天活玉命) [山代久我値等祖] (天忍日命)┗ 生玉只日子命 ┃
(押入命) (天雷命) [鴨県主祖] ┃
(天神玉命) ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗ 夜麻都俾命 ━ 久多美命[葛城直祖]
(天日咋命) (刺田比古命)
豊玉昆売命 玉依昆売命
綿積豊玉彦 ━┳ 宇都志日金折命 ━ 多久置命 ━ 穂己都久命
=綿津見神 ┃ = 穂高見命 [安曇連祖・安曇犬養連祖]わたつみ ┃ ほたかみ
┗ 振魂命 ━┳ 天前玉命(あめのさきたま) ━━━ 高倉下命(たかくらじ, 高倉宇志命)
= 素戔鳴尊 ┃= 天香語山命(あめのかごやま,天賀吾山命)
= 天忍穂耳命┃= 天火明命
┃= 饒速日命(にぎはやひ)
┗ 武位起命 ━━┳ 弥真都男王命
= 大已貴命 ┃
= 瓊瓊杵尊 ┃
┣ 彦五瀬命 ━━━┳ 稲飯命[新羅王家祖]
┃ = 椎根津彦命 ┃ = 吐解王(脫解王)
┃ ┣ 三毛野命(御毛沼命)
┃ ┃
┃ ┗ 神武天皇[天皇家祖]
┃ = 彦火火出見尊= 志麻津見命
┗ 玉依命 = 天津日高日子穂穂出見尊
= 狭野尊 = 佐野命
*綿津見神 ━━ 宇都志日金折命
わたつみ
*「古事記」では「阿曇連は 綿津見神の子、宇都志日金柝命の子孫なり」と記されて いる。
*「新撰姓氏録」では「安曇連は 綿津豊玉彦の子、穂高見命の後なり」と記 される。
*掃守(소수)は、豊玉姫が 鵜茅不合葺命を 出産する際、
天忍人命が 箒を 作って、豊玉姫の周りに 集まる蟹を 掃ったことに 始まる職掌で、
天忍人命の子孫が 掃守となったとされます。
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武速持命(무속지명)
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/?pid=kusegakunoto&mode=pr&parent_id=8178
尾張氏や海部氏の始祖, 彦火明命と、物部氏の天火明命は 同人。
http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/hoakari-nigihayahi.gif
天火明命(饒速日尊)の子, 宇摩志麻治(= 可美眞手命)が 神武世代であるのに対し、
勘注系図では、彦火明命の3世孫, 倭宿禰が 神武世代であることを挙げる。
1.勘注系図でも、彦火明命を 饒速日尊と同人として、旧事本紀と同様に 河内国への降臨伝承等を 記す。
「亦名 饒速日命、亦名 神饒速日命、亦名 天照國照彦天火明櫛玉饒速日命、亦名 膽杵磯丹杵穂命、統八州 也、已而速日命則乗天磐船、登於虚空、降坐於凡河内國」(以下略)
2.勘注系図自体、彦火明命の子として、天香語山命と可美眞手命を 挙げる。
*彦火明命=饒速日命という前提である。
3.尾張氏族の六人部連本系帳でも、始祖, 天火明命 亦名, 奇魂迩杵速日命である。
4.勘注系図では、倭宿禰命(つまり 天忍男命・天忍人命世代)を神武世代とする。
天忍男命の娘、世襲足姫命は孝昭后である。
5.通常、天香語山命は 高倉下命の別名であり、(勘注系図では 親子の関係)。
六人部連本系帳でも これが 神武世代であり、
6世孫に 安居建身命 (旧事本紀・勘注系図では 建手和邇命で、六人部連の祖)を 挙げ、崇神世代とする。
古代豪族系図の比較から 導き出される標準的な世代構成「神武世代と崇神世代の間に4世代」と一致する。
*彦火明命と天火明命は 同人。
尾張氏側でも、物部氏側でも両者は共通して 饒速日尊を 示して いる。
勘注系図も 旧事本紀の派生物の一つで、そこに 丹波独自の伝承が 付加されて いるに 過ぎない。
物部氏の祖、饒速日尊の父は誰なのか?
饒速日尊の父は、天忍穂耳尊、
饒速日尊は 天火明命、
また、尾張氏は 綿津見豊玉彦を 祖とする 海人族で、天火明命を祖とするのは、旧事本紀に。
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『勘注系図』、先代旧事本紀 尾張氏系譜、ともに 天火明=饒速日とすることは 認めます。
『勘注系図』は 倭宿禰を、天火明の三世孫とします。
一方 宇摩志麻治は 天火明の孫子です。
天火明と 饒速日を 同一人物。
天火明は 饒速日も また「ホアカリ」と呼ばれた 可能性が あります。
ここに 尾張氏の祖 天火明と、物部氏の 饒速日を 同一人物とする 伝承が あると考えています。
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倭宿禰が 神武世代。
『勘注系図』は 倭宿禰について 次のように 詳しく 記します。
「母伊加里姫命(いかりひめのみこと)なり。
神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)天皇【神武】御宇參赴(まいりおもむき)、
しこうして祖神より傳へ来る天津瑞神寶(あまつみずかんだから)(息津鏡・邊津鏡是也)を献じ、もって仕え奉る。
彌加宜社(みかげしゃ)、祭神 天御蔭命、丹波道主王之祭給所也、
この命、大和國に遷坐(うつりいます)の時、白雲別(しらくもわけ)神の女、豐水富命(とよみずほのみこと)を 娶り、笠水彦命を 生、笠水訓宇介美都(かさみずよむうけみず)」
この中に 出て くる 倭宿禰の妻となった 豐水富命と言う人物は、『新撰姓氏録』に 詳しく 登場します。
この女性は 神武が 吉野で 出会った 水光姫(みひかひめ)です。
http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/2-3-1yamatonosukune.htm
倭宿禰を神武時代の人とすることに問題はありません。
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宇摩志麻治は 神武と同族。
尾張氏の祖は 瓊瓊杵尊の兄、物部氏の祖は 瓊瓊杵尊の子と考えるわけですから
神武東征の最後の戦闘の場面で、神武は 物部氏の提示した 天羽々矢を 確認することにより、
自分たちが 同族であることを 確認します。
倭氏の倭宿禰命と尾張氏の倭宿禰は 同人
>また、尾張氏は綿津見豊玉彦を祖とする海人族で、天火明命を祖とするのは、旧事本紀における系譜加冒に過ぎない。
系譜研究者の宝賀氏なども尾張氏を「尾張氏は綿津見豊玉彦を祖とする海人族」という説を主張されます。
近い関係にあることはうかがいしれますが、「海人族」という氏族をどのように規定されるのか解りかねますが、
少なくとも海部氏の倭宿禰と、
綿津見豊玉彦 --- 建位起 --- 玉依姫 --- 椎根津彦 --- 倭宿禰 と続く 後の倭氏の倭宿禰は 同人と考えて います。
http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/2-3-1yamatonosukune.htm
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http://www.genbu.net/saijin/watatumi.htm
穂高見命
阿曇連等は、
綿津見神の子・宇都志日金柝命の子孫。
穂高神社では、宇都志日金柝命 を穂高見命といい、
安曇族の祖という。
阿曇(安曇:アヅミ)は アマツミで、綿津見と同じ。
日子穂穂手見命を助け、娘の豊玉姫命を娶らせる海宮の王。名を豊玉彦命という。
*刺=さす
*久= ひさしい[久しい]= ひさし
*咋=くい
「筑前ちくぜん」 「筑後ちくご」의 옛이름.
또는 「九州きゅうしゅう」의 옛이름.
つくよみのみこと [月夜見尊]
*興澄魂= 興台産霊命= 居々登魂命(己々都牟須比命)
『特選神名牒』興台産霊命 (己己都牟須比命)
*天児屋根命の 后は 天美豆玉照比咩大神
345 左京 神別 天神 中村連 連 己々都生 須比命子 天乃古矢根命之後也
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02103.htm
【大伴氏/伴氏】
高皇産霊命の五世孫、天押日命は 天孫降臨に 従い、
天押日命の四世孫, 道臣命は 神武天皇東征に 従い、
古代の朝廷における 軍事面を 担当して 大伴大連姓を 名乗る。
弘仁2年に 大伴皇子の名を 避け伴氏に 改姓。
*道臣命= 道根命 ??
http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/8640/tennou/koushitsu_shinwa2.htm
┣ 野椎神
┣
大山津見神 ━━ 足名椎
┣━━ 櫛名田媛(素戔嗚尊妻)
天名椎 ┣━ 大己貴神
素戔嗚尊
┗ 天津彦々火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)= 武位起命=
┣━━━━ 彦五瀬命 ━┳ 稲飯命[新羅王家祖]
野椎神 ━ 木花咲媛 =椎根津彦命 ┣ 三毛野命(御毛沼命)
┗ 神武天皇= 佐野命= 天津日高日子穂穂出見尊
┣ 大山津見神 ┳ 神大市比売
┣ 神阿多都比売
┣ 石長比売
┣ 木花知流比売
┗ 木花咲媛(瓊瓊杵尊의妻)
*宇都志日金折命(うつしひがなさく)
*天苗加命= 天苗益命(あめのなえます)
香取氏の系図によれば 経津主神の子(兄という説も ある)とされる [1]。
┣ 植山命(金山彦神)
┣━━━━━━ 稚産霊神(추산령신)━━豊宇気昆売神(豊宇気比女神)
┣ 火之夜芸速男神━┳ 磐裂神
┃ ┣━━━━磐筒男神
┗ 根裂神 ┣━━経津主命━━苗益神
磐筒女神
━ 夫尾羽張神━━雍瓦神━━燒速日命━━武雍瓦槌神
┣ 闇 霊(암령)━┳ 日河比売
┣ 闇御津羽神 ┗ 比那良志昆売
┣ 闇山津見神 ━━<中 略>━━鞍山紙姫
┣ 正鹿山津見神
┗ 某(8人)
大年神 ━━羽山戸神 ┳ 若山昨神
┣ 若年神
┗ 某(5人)
http://rokusan.comoj.com/data7.html
http://rokusan.comoj.com/data8.html
http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/8640/tennou/koushitsu_shinwa2.htm
┣ 天照大神 ━━━━ 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊 ━━(....)━━(....) ━┓
┣ 月読命 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣ 天穂日命━━建比良鳥命━━久志和都命━━飯入根命━┳鵜濡淳命
┃ =武内宿禰 ┗可美乾飯根命━┓
┗ 天津彦根命 ━┳ 明立夫御蔭明(天御影命) ━┓ ┏━━━━━━━━━┛
┣ 天久之比乃命[桑名氏祖] ┃ ┗ 野見宿禰[土師氏祖]
┣ 天麻比止都命 [山代祖] ┃
┣ 天戸間見命 [須恵国造。末祖] ┃
┗ 妹: 彦稲勝命〔須恵国造〕[末氏] ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗ 意富伊我都命 ━┳ 彦伊賀都命 ━━━ 天夷紗比止命 ━━━┓
┣ 阿多根命[山背国造祖] ┃
┗ 彦己曾根命[凡河内国造祖] ┃
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗ 川枯彦命 ━━━━ 坂戸彦命 ━━━━━━━━━━━━━━━┓
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣ 国忍富命 ━━━┳ 大加賀美命 ━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ┣ 水穂真若命[蒲生 稲寸祖] ┃
┃ ┣ 筑箪命[筑波国造祖] ┃
┃ ┣ 加志岐彌命[白根造祖] ┃
┃ ┗ 息長水乃比売命 ┃
┗ 健勝日命 ━━━━ 意美津奴彦命[甲斐国造祖]
*飯入根命= 武内宿禰, 이 부분은 계보가 조작되었음. 믿지 말길...
宮下文書より
(歴代天皇 皇后摂政 皇太子)
46代 種越彦王命 天佐比女命
47代 禰仲穂王命
48代 津加彦王命
49代 真加弥王命
50代 岩仲彦王命 <=== 武位起命
51代 弥真都男王命 玉照比女命 五瀬王命(皇太子 五瀬命)
52代 波限建神日本磐余彦火火出見天皇(神武天皇)
━天忍穂耳命━天火明命━(....)━宇摩志麻治命
━天忍穂耳命━(....)━彦火明命━(....)━倭宿禰命
勘注系図では、彦火明命の3世孫 倭宿禰が 神武世代であることを 挙げる。
*天火明命(饒速日尊)の子= 宇摩志麻治??
*旧事本紀は 饒速日命の正式名を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」として、
天忍穂耳尊の子とします。
神武天皇の正式名を「神日本磐余彦天皇」, 諱は「彦火火出見」。
*彦火火出見尊と同神
*天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊
*天照國照彦 天火明櫛玉 饒速日尊
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/search.php
出雲神話の舞台は「出雲」と考えておられるようですが、
国譲り神話の舞台は 筑前国 那珂郡を 中心とした 糟屋郡・宗像郡など いわゆる「海人族」が 主宰した 地域です。
・出雲国風土記には 八岐大蛇神話も 国譲り神話も 記されない。
武甕槌命、事代主命、建御名方命も 一切登場しない。
・高天原 勢力が、出雲国(葦原中国)は 天孫が 治める国であるとして国譲りを 迫り、
その交渉を 成功させて おきながら、ニニギの降臨地が 日向国では 話の筋が 通らない。
筋 [ すじ ]
・大国主命(とその系統の神々)の本質は 龍蛇神・水神であって、海神族の祖神の一人。
安曇連も 葦原醜男を 奉斎する。
・国譲りを した大国主命と 出雲の国作りを した大国主命は 別神。
(大国主命の子、味鋤高彦根命と事代主命・建御名方命兄弟は世代も活動地域も異なる。
・葦原中国とは、葦の生い茂った「ナカのクニ」。
筑前国那珂郡(ナカのゴウリ)として地名に残る。
海人族の本拠であり、倭人伝に云う奴国とその周辺。
・天孫降臨の地は、一つの峯が「クシフルダケ」と呼ばれ、
麓に「日向」「日向川」の地名が 残る 高祖山麓。筑前国 怡土郡。
倭人傳に 云う 伊都国の領域。
・怡土郡内に 12の天降神社が あり、祭神は 全て ニニギ。
三雲にある 細石神社の祭神は、
ニニギの妻となる 木之花開耶姫命と磐長姫命。
・高祖神社の祭神は 彦火々出見尊で、怡土郡 唯一の式内社・志登神社の祭神は その妻・ 豊玉姫。
・海神族と関わる日向三代の居住地は、海人族の本拠に 近い 北部九州が 妥当。
決して景行朝でも「膂宍の胸副国」と呼ばれる 不毛な 熊襲の地では ない。
・伊都国の弥生遺跡から、天皇家の三種の神器となる「鏡・剣・玉」のセットが 数多く 発見され
(最古のものも含む)た。
伊都国が 天皇家 発祥の地。
要は、
奴国=大国主命・海人族が 主宰する国
伊都国=ニニギ王統の国(天皇家の発祥地)
ニニギは 天忍穂耳の次男で、
本家 高天原は 別に ある。それが 邪馬台国。
倭人伝に、「伊都国に 代々王が 居て、邪馬台国に 統属する」と書かれるのは、
伊都国が 本国(高天原=邪馬台国)にとって分国だからです。
1, 天忍穂耳尊
2, 天穂日命
3, 熊野樟日命
4, 活津彦根命5, 天津彦根命
1, 彦五瀬命
2, 佐野命
3, 稲飯命
4, 三毛野命
5, 神武天皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E6%AF%94%E8%89%AF%E9%B3%A5%E5%91%BD
*建比良鳥命
建比良鳥命(たけひらとりのみこと)は、日本神話に登場する神である。
『古事記』では 建比良鳥命、
『日本書紀』では
武日照命(たけひなてる)
武夷鳥命(たけひなどり)
天夷鳥命(あめのひなどり)と記され、
天日照命(あめのひなでり)とも称される。
これらの異名・異称の同定は 出雲国造家として 出雲神社の祭祀を 受け継いだ千家家が 伝える 系譜書
『出雲国造伝統略』に拠っている。
『古事記』ではアマテラスとスサノオの誓約の段で、
天之菩卑能命の子が 建比良鳥命であり、
出雲国造・无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直[1]・遠江国造等の祖神であると記されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%92%E3%82%B3%E3%83%8D
天津彦根命
『出雲国風土記』では
意宇郡 屋代郷(現在の島根県 安来市)の地名由来の説明の中で
天乃夫比命に 随伴して降臨した 天津子命という神が この地に社(ヤシロ)を 立てたいといったので 屋代(ヤシロ)という地名に なったと伝えられて いるが、
天津子が 天津日子 つまり アマツヒコネとする説が ある。
神名の「ネ」は 尊称で、「ヒコ」は「日神の子」の意と考えられるが、諸説ある。
日の神、海の神、風の神などとして 信仰されて おり(これは 多数の神が 習合されたためと考えられる)、多度大社(三重県 桑名市)などで 祀られて いる。
http://homepage1.nifty.com/moritaya/kokuzou2.html
古事記にもある額田部湯坐連系ですが、
旧事紀 天神本紀には、天斗麻禰命(あまのとまね)となっている。
*天津日子根命-天御影命-天斗麻禰命といった系譜になる。
山城、山背国造が 阿多振、曾能振というのに甚だ疑問?
名前からして明らかに隼人族。
隼人移住民が国造になるのだろうか?
国造本紀の冒頭では、山代国造は天一目命となっているのに、
唯一ここだけ冒頭と中の記述との違いが起っている。
阿多振=天一目命というのは聞いた事がありません。
天一目命の子孫なんでしょうか。
*天津彦根命-天御影命-意富伊我都命-阿多根命・彦緒己蘇根命
*天一目命=天御影命になります
┗ 天津彦々火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)= 武位起命=
┣━━━━ 彦五瀬命 ━┳ 稲飯命[新羅王家祖]
野椎神 ━ 木花咲媛 =椎根津彦命 ┣ 三毛野命(御毛沼命)
木花之佐久夜毘売 ┗ 神武天皇= 佐野命= 天津日高日子穂穂出見尊
*火照命
*火須勢理命
*天津日高日子浪限建鵜草葺不合尊
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http://www.genbu.net/saijin/hosusori.htm
*火闌降命(ほすそりのみこと)
別名
= 火酢芹命(ほすせりのみこと)
= 火進命(ほすすすみのみこと)
海幸彦(うみさちひこ)
火闌降命:
高天原に天降った天孫邇邇芸命と木花之佐久夜毘売との間にできた御子で、
火遠理命(山幸彦:日子種穂手見命)の兄。海幸彦。
邇邇芸命と木花之佐久夜毘売との間にできた御子は、
『古事記』では、火照命(海幸彦)、火須勢理命、火遠理命(山幸彦:日子種穂手見命)。
『日本書紀』本文では、火明命(尾張連の祖), 火闌降命(隼人の祖), 彦火火出見尊。
一書(第二)では、火酢芹命、火明命、彦火火出見尊(火折尊)。
一書(第三)では、火明命、火進命(火酢芹命)、火折彦火火出見尊。
一書(第五)では、火明命、火進命、火折尊、彦火火出見尊。
一書(第六)では、火酢芹命、火折尊、彦火火出見尊。
一書(第七)では、火明命、火夜織命、彦火火出見尊。
一書(第八)では、火酢芹命(海幸彦)、彦火火出見尊(山幸彦)。
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http://www1.atchs.jp/tokyoblog/k/?a=readcon&t_id=26&st=27&end=27
伊福部臣氏の『因幡国伊福部臣古志』によれば、
火明命の父は 大己貴命
火明命の父は 大己貴命、大国主である。
これは変です
大国主と大日霊女の子供が
籠神社の祭神も大化改新の頃には彦火火出見尊彦だったと『日本の神々7』に記しています。火明命の父神と言うことです。
先代旧事本紀巻第六 皇孫本紀では
木花開邪姫(神吾田鹿葦津姫)は 一夜に 四児を 生んだ
児 火明命(ほあかりのみこと)[工造(たくみつくり) 等の先祖]。
次に 火進命(ほすすみのみこと)[亦は 火闌命(ほすそりのみこと), 亦は 火酢芹命(ほすせりのみこと)と云う。[隼人(ハヤト)等の先祖]。
次に 火折命(ほすれりのみこと)
次に 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
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*火照命(ほでりのみこと)
『日本書紀』には 火闌降命の名が 火酢芹命とも記されていることから、
『古事記』にのみ 登場する 次男の火須勢理命に 関しても 火闌降命のことであるとする考えもある。『古事記』では、火闌降命の名前と行いが、それぞれ 別の神として 記されて いるということか。
火闌降命と彦火火出見尊(火遠理命)は海幸彦・山幸彦神話の主人公。
海幸彦(火闌降命)は海の漁、山幸彦(彦火火出見尊)は山の猟を司る、神聖な威力をもつ神だが、あるとき兄弟はその漁具猟具を交換し猟場を違えて出かけた。ところが弟山幸彦は兄海幸彦の大切にしていた釣針を失ってしまった。「釣針はたくさん作って返すから」と言ったが、兄は元の釣針でなければいやだといってきかない。
その後、彦火火出見尊は 塩土翁の助けによって、海神の宮へ行き、海神の娘と結ばれ、無事に釣針を探し出す。
海神に「この針を兄さんに返すときは、おぼち・すすち・まぢち・うるちと唱えながら、後手で渡しなさい」と教え、塩満玉・塩乾玉という二つの玉を授けて、鰐の背に乗せて送り返した。山幸彦が教えられたとおりにしたところ、海幸彦は次第に貧しくなってしまった。弟を憎んだ海幸彦が攻めてきたときは塩満玉・塩乾玉を使って海幸彦を溺れさせ、とうとう降伏させる。以後海幸彦は昼夜を分かたず弟山幸彦を守護することを約束し、また溺れた折の所作を演じて、俳優の技をもって弟神に仕えた。また子孫は隼人族であるという。
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_tree_r_8881.html
2.「飯」は「召す物」が 語源で、古くは 食物一般のことです。
3.『和名抄』には「額突虫、叩頭虫」のみ記載されます。「米搗虫」はもっと時代が下ってからの言葉。額=頭=ひたい。
4.米は 古くは「よね」と読んでいました。平安時代で既に古語として「よね」が記されます。従って、「コメツキムシ」は新しい言葉です。
5.「額突虫」は頭を打つ付けているような様子から、「米搗虫」は米を搗いているような様子から生まれた言葉で、「ヌカ」と「コメ」は互換しません。
「飯手宿禰」はこれでよい。
「飯手」は「飯豊」と同じ。
「飫」の字は よく「飯」に 変化します。
例えば、三河国の古名は「穂国」ですが、穂を二字にして「宝飫」と書きました。
これが「宝飯」に変化して郡名といして残りました。
大和国十市郡飫富も、上総国望陀郡飫富も、「飯富」に変化しました。
また富も豊も呉音で「フ」と読みます。また、豊島を「テシマ」とも読みますから、飯手=飯豊=飯富で、元々は飫富だったのでしょう。
つまり、大倭国造の本拠地に近い、十市郡飫富郷に由来する名前でしょう。
*振魂命 ― 武位起命 ― 椎根津彦命 ― 天忍男命
振魂命 ━━━━┳ 天前玉命 ━━┳ 天筑摩命
┃ ┃[掃部直祖]
┃ ┣ 高倉下命
┃ ┗ 加彌比加尼命
┃ [吉野首祖]
┗ 武位起命 ━━┳ 椎根津彦命(珍彦命)━━━┓
┃[和国造祖,明石国造祖] ┃
┃ ┃
┗ 八玉彦命 ┃
[八木造祖] ┃
┃
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗ 天押人命 ━━┳ 阿麻刀彌命 ━━┓
┗ 阿麻五百原命 ┓┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┃
┣ 瀛津世襲命[鍛冶造祖] ┃
┣ 武額赤命 ━━━ 建筒草命 ━━┓┃
┗ 世襲足媛(孝昭天皇后) ┃┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┃
┗<中 略>━━━━ 田裳見宿禰 ━┓┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┃
┣ 豊吾田[津守連祖] ┃
┗ 屋主宿禰[津守連祖] ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣ 建田背命 [海部直祖・丹波国造祖]
┣ 建宇那比命 ━━ 建諸隅命
┃ [雀部連祖・伊福部連祖]
┣ 建田知命[波多国造祖]
┣ 建多乎利命 ━━ 乎止与
┃ [尾張国造祖・別説]
┣ 建彌阿久良命[高屋大分国造祖]
┣ 建麻利尼命[石作連祖, 桑名]
┗ 建手和彌命[身人部連祖]
天照大神 ━ 正勝吾勝々速日天之忍穂耳尊
━ 天大耳尊 ━┳ 天香語主命
┗ 瓊々杵尊 ━━天村雲命 ━┓
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣ 天忍人命 ━━━━ 天戸目命 ━━━┳ 建斗米命 ━━━━━━┓
┣ 天忍男命 ━━━┳ 摂津世襲命 ┗ 妙斗米命[六人部連祖]┃
┗ 忍日女命 ┣ 建額赤彦 ━━━━ 建筒草命 ┃
┗ 世襲足姫命 ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣ 健田背命 ━━━━ 淡夜別命
┣ 健宇那比命 ━━┳ 健諸隅命 ━━━━ 倭得玉彦命 ━━━━━┓
┃ ┗ 大海姫命 ┃
┣ 健多乎利命 ━━━ 乎止与命[尾張国造祖] ┃
┃[笛連・若犬甘連・丹比連祖] 笛吹連 ┃
┣ 健彌阿久良命[高屋大分国造祖] ┃
┣ 健麻利尼命[石作連・桑内連・桑名, 山辺県主祖] ┃
┣ 健手和爾命[身人部連祖] ┃
┗ 宇那比姫命 ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣ 弟彦命
┣ 日女命
┣ 玉勝山代根古命[山代水主雀部連・軽部造・蘇宜部首祖]
┣ 若都保命[五百木部連祖]
┣ 置部与曾命 ━━━ 大原足尼命[筑紫豊国国造祖]
┗ 彦与曾命 ━━━┳ 大八埼命[斐陀国造祖]
┣ 大縫命
┗ 小縫命
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page754.html
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)と天火明命邇芸速日命は、別名、天照国照彦火明櫛玉饒速日命とも言います。籠神社、石切剣箭神社、物部神社、高倉神社などの祭神になっていますが、籠神社のことについて記してみます。
丹後の籠神社には日本最古の「籠名神社祝部氏系図」が残っており、系図の古さも一番古く、本物であることが確認され国宝になっています。神職である海部直氏の系図ではありますが、始祖は彦火明命になっており、すぐ下に小さな字で天押穂耳尊の第三御子と注記されています。
이예속일 생명은, 별명, 하늘 테루쿠니 테루히코화명즐옥니미하야히노 미코토라고도 말합니다. 롱신사, 이시키리검전신사, 모노노베 신사, 타카쿠라 신사등의 제신이 되어 있습니다만, 롱신사에 임해서 적어 보겠습니다.
탄고의 롱신사에는 일본 최고의 「롱나고야와 코베사축부 씨 계열도」가 남아 있어 계도의 낡음도 제일 낡고, 진짜인 것이 확인되어 국보가 되어 있습니다. 신관인 가이후 곧 씨의 계도입니다만, 시조는 언화명명이 되어 있어, 바로 아래에 작은 글자로 천압수이존의 제3자와 주기되고 있습니다.
元伊勢籠神社 社務所発行の「元伊勢の秘法と国宝海部氏系図」によれば、籠神社の祭神は次のようになっています。
主神 彦火明命 亦名 天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・鐃速日命、
又極秘伝によれば同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。
彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜り、大和国及丹後、丹波地方に降臨され、この地方を開発せられ、丹後国造の祖神であられられる。
모토이세롱신사 사무소 발행의 「모토이세의 비법과 국보 가이후씨 계열도」에 의하면, 롱신사의 제신은 다음과 같이 되어 있습니다.
주신 언화명명, 역명, 천화명명・천조혼신・천테루쿠니 테루히코화명명・요속일 생명,
또 극비전에 의하면 동명은 산성의 카모별뇌신과 이명 동신이며, 그 조상님 대신(시모가모)도 합쳐 제사 지내지고 있다고도 전해진다.
언화명명은 천신의 자손으로서 천조로부터 식진경・변진경을 받아, 야마토국급탄고, 탄바 지방에 강림 되어 이 지방을 개발 다투어져 단고노쿠니조의 조신으로 있어져서
別名、天照国照彦火明櫛玉饒速日命の名は、海部氏「勘注系図」に見られる名前です。複雑ですので、ニギハヤヒとします。
古事記では、邇芸速日命と書かれています。日本書紀では櫛玉饒速日命と鐃速日命が使われています。
タイトルを「邇芸速日命と天火明命」にした時は、天火明命の何代か孫が邇芸速日命であると結論づけるつもりでしたが、系図には、彦火明命と天火明命と鐃速日命は同じ人物だと書かれています。
日本書紀には櫛玉饒速日命は、天岩船に乗って天降られたと書いています。古事記では天忍穂耳命(紀では天忍穂耳尊・アマテラスの子供)の子供は、長男が天火明命で、次男がニニギです。ニニギは高千穂に降臨したと書かれていますが、長男の天火明命のことは書かれていません。
별명, 하늘 테루쿠니 테루히코화명즐옥니미하야히노 미코토의 이름은, 가이후씨 「감주계도」로 보여지는 이름입니다. 복잡하므로, 니기하야히로 합니다.
고사기에서는, 이예속일 생명이라고 쓰여져 있습니다. 일본 서기에서는 즐옥니미하야히노 미코토와 요속일 생명이 사용되고 있습니다.
타이틀을 「이예속일 생명과 천화명명」으로 했을 때는, 천화명명의 무슨대나 손자가 이예속일 생명이다고 결론 지을 생각이었지만, 계도에는, 언화명명과 천화명명과 요속일 생명은 같은 사람이라고 쓰여져 있습니다.
일본 서기에는 즐옥니미하야히노 미코토는, 하늘이와후네를 타 강림날 수 있었다고 쓰고 있습니다. 고사기에서는 천인수이명(기에서는 천인수이존・아마테라스의 아이)의 아이는, 장남이 천화명명으로, 차남이 니니기입니다. 니니기는 타카치호에 강림 했다고 쓰여져 있습니다만, 장남의 천화명명는 쓰여져 있지 않습니다.
一方、籠神社では、天火明命が天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜り、大和国及丹後、丹波地方に降臨されたとありますから、ニニギの兄が丹後に降臨したと思われます。その天火明命(鐃速日命)が、天岩船に乗って河内に天降られたとあり矛盾します。
別の角度から検討を加えますと、アマテラス--天忍穂耳命--ニニギ---火遠理命---鵜葺屋葺不合命--神武天皇
アマテラスから数えますと、神武天皇まで、6代目です。一方、ニギハヤヒの方は、アマテラス--天押穂耳尊--彦火明命(ニギハヤ)ですから、3代目の孫に当たります。神武天皇が奈良に着いたのは35歳のころですから、彦火明命(ニギハヤ)は神武天皇よりも早く河内に降臨したといわれていますから、一代違うと20歳の差があるとすれば、彦火明命(ニギハヤ)とは、60歳の差があることになります。ニギハヤは95歳で神武天皇と顔を合わせたことになります。全く可能性がないわけではありませんが、ニギハヤは95歳で長髄彦と一緒に戦をしていたことになります。ニギハヤヒが火遠理命(山彦)ぐらいの年であれば、20歳違いで可能性は大きいです。
ややこしいですが、お解かりになれましたか?
한편, 롱신사에서는, 천화명명이 천손으로서 천조로부터 식진경・변진경을 받아, 야마토국급탄고, 탄바 지방에 강림 되었다고 있기 때문에, 니니기의 형(오빠)가 탄고에 강림했다고 생각됩니다. 그 천화명명(요속일명)이, 하늘 이와후네를 타고 카와치가 강림날 수 있었다고 하여 모순됩니다.
다른 각도로부터 검토를 더하면, 아마테라스--천인수이명--니니기--불원리명---제즙야부키불합명--진무 덴노
아마테라스로부터 세면, 진무 덴노까지, 6대째입니다.
한편, 니기하야히는, 아마 테라스--천압수이존--언화명명(니기하야)이기 때문에, 3대째의 손자에 해당됩니다.
진무 덴노가 나라에 도착한 것은 35세의 무렵이기 때문에, 언화명명(니기하야)은 진무 덴노보다 빨리 카와치에 강림했다고 하기 때문에, 일대 다르면 20 나이의 차가 있다고 하면, 언화명명(니기하야)이란, 60 나이의 차가 있게 됩니다. 니기하야는 95세에 진무 덴노와 얼굴을 맞댄 것이 됩니다.
전혀 가능성이 없는 것은 아닙니다만, 니기하야는 95세에 나가스네비코와 함께 싸움을 하고 있던 것이 됩니다. 니기하야히가 화원리명(메아리) 정도의 해이면, 20세 차이로 가능성은 큽니다.
까다롭습니다만, 아실 수 있었습니까?
しかし、こんな難しいことを考えなくても、籠神社に伝わっている歴史と古事記が伝えようとしていることとは、全く違うということが判ります。
系図だけではなく、彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜ったとあります。この鏡は現在でも残されています。なんのことはありません。製作の時代が異なる漢鏡です。時代が異なるということは、同時に受け取ったのですから、片方は古い鏡ということになります。古事記では天津瑞とあるだけで、どのようなものとは書かれていません。日本書紀では、具体的に天羽羽矢と歩靱とあります。羽羽矢とはどのようなものか判りませんが、要するに矢でしょう。それとその矢を入れるものだと思います。こんなものは、どれも天つ神の証拠にはなりません。仮に、一本の矢を折って、ニニギと彦火明命に渡したのであれば、合わして折れ口が一致すれば天津神です。4人いましたら、鏡を4つに割っておけば同じように証拠になります。籠神社に伝わる息津鏡・辺津鏡は割れていません。
그러나, 이런 어려운 것을 생각하지 않아도, 롱신사에 전해지고 있는 역사와 고사기가 전하려 하고 있는 것으로는, 완전히 다른 것이 압니다.
계도만이 아니고, 언화명명은 천신의 자손으로서 천조로부터 식진경・변진경을 받았다고 있습니다. 이 거울은 현재에도 남아 있습니다. 무슨 일은 없습니다. 제작의 시대가 다른 漢鏡한경입니다. 시대가 다른 것은, 동시에 받았으니까, 다른 한쪽은 낡은 거울이라는 것이 됩니다. 고사기에서는 天津瑞청진서와 있는 것만으로, 어떠한 것이라고는 쓰여져 있지 않습니다. 일본서기에서는, 구체적으로 아마하우시와 보인과 있습니다. 우우시와는 어떠한 것인가 알지 않습니다만, 요컨데 화살이지요. 그것과 그 화살을 넣는 것이라고 생각합니다. 이런 것은, 어느 것도 하늘에 계신 신의 증거로는 되지 않습니다. 만일, 한 개의 화살을 꺾고, 니니기와 언화명명에 건네준 것이면, 맞추어 접힌 곳이 일치하면 天津神청진신입니다. 4명 있으면, 거울을 4개로 나누어 두면 똑같이 증거가 됩니다. 롱신사에 전해지는 息津鏡・辺津鏡식진경・변진경은 갈라져 있지 않습니다.
古事記には書かれていませんが、日本書紀には、彦火明命のことは、別名 天照国照彦火明命と書かれ、尾張連らの遠祖とあります。又、ここには記しませんが、尾張連の系図は、籠神社のものと殆ど同じです。
聖徳太子や蘇我馬子等撰と伝える先代旧事本紀があります。平安初期の成立と推定され、偽書とされていますが、信頼於ける部分もあるということです。その先代旧事本紀によりますと、ニギハヤヒの子供は、天香語山命と宇摩志麻治命が生れ、前者が、尾張氏に、後者が物部氏に繋がることになるらしいです。
고사기에는 쓰여져 있지 않습니다만, 일본서기에는, 언화명명는, 별명 하늘천조국조언화명명이라고 쓰여져 尾張連오와리련등의 먼 조상과 있습니다. 또, 여기에는 적지 않습니다만, 오와리련의 계도는, 롱신사의 것도
의와 대부분 같습니다.
쇼오토쿠 타이시나 소가노우마코등 찬이라고 전하는 先代旧事本紀가 있습니다. 평안 초기의 성립과 추정되어 위서로 되어 있습니다만, 신뢰어 차는 부분도 있는 것입니다. 그 선대구사본기에 의하면, 니기하야히의 아이는, 천향어산명과 우마 시마 오사무 생명이 태어나 전자가, 尾張氏오와리씨에게, 후자가 物部氏모노노베씨에게 연결되게 되는 것 같습니다.
이러한 일을 고려에 넣으면, 오와리씨나 모노노베씨도, 롱신사의 가이후씨도 모두, 니기하야에 관련 있는 것이 압니다. 삼자는, 자신들의 형편의 좋게 쓰기 전승 사용으로 하고 있습니다. 그에 대하고, 고사기는, 이것들과 완전히 다른 역사를 전개하고 있습니다.
私としましては、どちらが正しいということは言えませんが、是まで展開してきた歴史観から考えますと、日本書紀は信用できません。日本書紀の作者である藤原不比等が指導していたものの一つに、式内社の制定があります。この式内社は、朝廷から指定されたことになっているのに、3000社を超える式内社には、殆どアマテラスが祭られていません。ということは、天皇の反対勢力の拠点であったことになります。籠神社も式内社ですから、天皇の反対勢力によって、神社の歴史は都合よく書き換えられたと思います。
結論です。これは確たる証拠は有りませんが、ニギハヤヒは天津神ではなく、中国人に雇われた人ではなかったでしょうか? 長髄彦も同じような経歴の持ち主であったのではないでしょうか?
古事記を早く作らないと大変なことになるというのが、発案者・天武天皇の叫びでした。
しかし、古事記に残された文は、「ニギハヤヒは 物部連の祖なり」だけでした。
나로서는, 어느 쪽이 올바르다고 하는 것은 말할 수 없습니다만, 시까지 전개해 온 역사관으로부터 생각하면, 일본서기는 신용할 수 없습니다. 일본서기의 작자인 후지와라노 후히토가 지도하고 있었지만 하나에, 式内社진묘쵸우의 制定제정이 있습니다. 이 진묘쵸우에 기록되어 있는 일사는, 조정으로부터 지정된 것이 되어 있는데, 3000사를 넘는 式内社진묘쵸우에 기록되어 있는 일사에는, 대부분 아마테라스가 제사지내지고 있지 않습니다. 그 말은, 천황의 반대 세력의 거점에서 만난 것이 됩니다. 롱신사도 式内社진묘쵸우에 기록되어 있는 일사이기 때문에, 천황의 반대 세력에 의해서, 신사의 역사는 때마침 고쳐 쓸 수 있었다고 생각합니다.
결론입니다. 이것은 확실한 증거는 없습니다만, 니기하야히는 天津神청진신이 아니고, 중국인으로 고용해진 사람은 아니었는지요? 長髄彦나가스네비코도 같은 경력의 소유자인 것은 아닐까요?
고사기를 빨리 만들지 않으면 큰일난다는 것이, 발안자・텐무천황의 절규였습니다.
그러나, 고사기에 남겨진 문장은, 「니기하야히는 모노노베련의 선조든지」만이었습니다.
http://www1.bbiq.jp/shinsisyuppan/sendaikujihongi20.htm
先代旧事本紀 巻第五
天香語山命[天降った後の名は 手栗彦命。亦の名は 高倉下命]
この命は、御祖の天孫の尊に従い、紀伊の国の熊野の邑に天下られた。
*天孫の 天饒石国饒石天津火瓊瓊杵尊の孫の磐余彦尊が 西宮を 発ち自ら水軍を 率いて 東征を 行われたとき 往々に 命令に 背く者が 蜂のごとく起こり、服従しなかった。
中州の豪雄の長髄彦は兵を整え防ぎ、天孫が連戦したが適わなかった。
進んで紀伊の国の熊野の邑に到着した時、悪しき神が毒を吐き人も物も総て萎えてしまった。
天孫もこれを患い避けるすべを知られなかった。
まさに高倉下命が この邑の中に居て、夜に夢を見て天照大神が武甕槌神に
「葦原瑞穂国は、なお鎮まらないと聞く。汝は更に往きこれを討ちなさい」
と言われた。
武甕槌神は「私が行かなくても、私が国を鎮めた時の剣を天下らせれば自ずと治まります」と言い、
また高倉下命には「予が剣の韴霊を今、汝の庫の中に置いた。これを天孫に献じなさい」と言われた。
高倉下命は夢から覚めて翌日、庫を開けて見れば、果たして剣が有った。
逆さまに庫の床に立っていた。
よって、これを取って献じた。
天孫が眠りからたちまち覚めて、
「なぜ長々と眠っていたのだろう。」と言われた。
その後、毒に当ったし卒も再び覚めて起きた。
皇師は中州に往き、天孫は剣を得て「御威光が勝った。」と言われた。
高倉下をほめて侍臣とした。
天香語山命は 異母妹の穂屋姫命を 妻とし、一男を 生む。
孫の天村雲命[亦の名は 天五多底]
この命は、阿偁良依姫を 妻とし 二男一女を 生む。
三世の孫の 天忍人命。
この命は、異母妹の角屋姫(亦の名, 葛木出石姫)を妻とし 二男を生む
次に 天忍男命。
この命は、葛木土神 剣根命の娘の 賀奈良知姫を 妻とし 二男一女を 生む。
妹 忍日姫命
四世の孫の 瀛津世襲命[亦は 葛木彦命。尾張連等の先祖。天忍男命の子供]
この命は、池心朝[孝昭天皇]の御世に 大連と成って仕えた。
*瀛津世襲命(尾張連等)= 健多乎利命[尾張氏]
次に建額赤命。
この命は、葛木尾治置姫を妻とし、一男を生む。
*建額赤命= 建宇那比命
妹 世襲足姫命[亦の名を日置姫命]
この命は、腋上池心宮にて統治された 観松彦香殖稲天皇[孝昭天皇]が 立てて 皇后とし、二皇子を生む。即ち、天足彦国押人命と次に日本足彦国押人天皇[孝安天皇]である。
*世襲足姫命= 日置姫命= 葛木 尾治置姫.
孫の天戸目命[天忍人命の子供]
この命は、葛木避姫を妻とし二男を生む。
次に天忍男命。大蛤任部連等の先祖
五世の孫の建筒草命[建額赤命の子供。多治比連・津守連・若倭部連・葛木厨値の先祖][津守連祖]
孫の建斗米命[天戸目命の子供]
この命は、紀伊国造 知名曾の妹の 中名草姫と妻とし、六男一女を生む。
次に妙斗米命[六人部連等の先祖]
*建額赤命--- 建筒草命
*建額赤命 = 建宇那比命 ??
六世の孫の
建田背命[神服連・海部直・丹波国造・但馬国造等の先祖]
次に建宇那比命。この命は 磯城島連の先祖の草名草姫を 妻とし、二男一女を 生む
次に建多乎利命[笛連・若犬甘連等の先祖]
*健多乎利命[笛連・若犬甘連・丹比連祖]━━━ 乎止与命[尾張国造祖]
次に建彌阿久良命[高屋大分国造等の先祖]
次に建麻利尼命[石作連・桑内連・山邊縣主等の先祖]
次に建手和邇命[身人部連等の先祖]
妹 宇那比姫命
*葛木 尾治置姫= 磯城 草名草姫
*尾治= 尾張.
七世の孫の建諸隅命。
この命は、腋上池心宮にて統治された天皇[孝昭天皇]の御世に大臣になり仕えた。
葛木直の先祖の大諸見足尼 の娘の諸見己姫を妻とし、一男を生む
妹 大海姫命[亦の名は 葛木高名姫命]
この命は、磯城瑞籬宮にて統治された天皇[崇神天皇]が妃とされ、一男二女を生む。
八坂入彦命、次に渟中城入姫命、次に十市瓊入姫命。
八世の孫の 倭得玉彦命[亦の名は 市大稲日命 ]
この命は、淡海国の谷上刀婢を妻とし、一男一女を 生み、
伊賀臣の先祖の 大伊賀彦の娘の 大伊賀姫を 妻として 四男を 生む。
九世の孫の
弟彦命
妹 日女命
次に玉勝山代根古命[山代水主雀部連・軽部遣・蘇宜部首等の先祖]
次に若都保命[五百木邊連の先祖]
次に置部與曾命
次に彦與曾命
十世の孫の淡夜別命[大海部直等の先祖。弟彦命の子供]
次に大原足尼命[筑紫豊国国造等の先祖。置部與曾命の子供]
次に大八椅命[斐陀国造等の先祖。彦與曾命の子供]
次に大縫命
次に小縫命
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古
本
고
정
葺
豊
豊
1
1
ウガヤフキアエズ王朝
『ウエツフミ』『竹内文献』『九鬼文書』などの古史古伝に記載されている神武天皇以前の古代王朝で、ホオリ(火遠理命)の子ウガヤフキアエズ(鵜草葺不合命)が開いた王朝とされる。
ウガヤフキアエズは、『古事記』、『日本書紀』の中では、カムヤマトイハレビコ(神武天皇)の父とされている[1]。『ウエツフミ』、『竹内文献』、『九鬼文書』などの中では神武以前に何代か続いた王朝の始祖とされている。しかし、これらの文書の中でも天皇の数や王朝の継続期間は一致していない。そもそもこれらの文書は史料価値が認められておらず、ウガヤフキアエズ王朝とは近代以降に偽作された架空の王朝だとするのが妥当であるとされている。
具体的な内容は、『ウエツフミ』『竹内文献』によるウガヤ朝、『富士宮下古文書』によるウガヤ朝、『上代天皇紀』によるウガヤ朝と、大きく三系統にわかれる。『九鬼文書』には、ウガヤ朝についての詳細な記述はない。
本来は「ウガヤ朝」といっていた。『竹内文献』では「不合朝」(あえずちょう)とよび、『富士宮下古文書』では「宇家潤不二合須国世」(うがやふじあわすのくにのよ)などという。
「ウガヤ朝」という言葉を広めたのは吾郷清彦である。昔は、神話にでてくるニニギ・ホホデミ・ウガヤフキアエズの親子三代を、神武朝とか仁徳朝とか天武朝とか桓武朝などのような言葉と同じような意味でニニギ朝・ホホデミ朝・ウガヤフキアエズ朝といい、この三代をあわせて「高千穂三朝」(日向三代)といっていた。はじめ、吾郷清彦はこのようなつもりでウガヤフキアエズ朝を略して「ウガヤ朝」といっていた。これを「ウガヤ王朝」と書いたのは別の歴史本ライターである。
1代 武鵜草葺不合 身光天津日嗣 天日天皇
2代 日高日子身光 天日天皇 軽島彦尊(カルシマヒコ)
3代 真白玉輝彦 天日天皇(マシラタママカガヒコ)
~ ~ ~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
60代 天照櫛豊媛天皇 天日嗣天皇
61代 豊足日明媛天皇 天日嗣天皇
62代 天豊足別彦天皇 天日嗣天皇
63代 事代国守高彦尊天皇 天日嗣天皇
64代 豊日豊足彦天皇 天日嗣天皇
65代 勝勝雄之男天皇 天日嗣天皇
66代 豊柏木幸手男彦天皇 天日嗣天皇
67代 春建日媛天皇 天日嗣天皇
68代 天津日高日子宗像彦天皇 天日嗣天皇
69代 神足別豊耡天皇 天日嗣天皇
70代 神心伝物部建天皇 天日嗣天皇(ニギハヤヒ?)
71代 天照国照日子百日臼杵天皇 天日嗣天皇
72代 彦五瀬天皇 天日嗣天皇(五瀬命)
73代 狭野尊 天日嗣天皇(神武天皇)
11,^ 「富士宮下文書」では「宇家潤不二合須国世」は51代で終わり、
神武天皇から「大日本国世」となったとし、神武天皇を ウガヤ朝52代とするような数え方はしない。
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*天火明命(饒速日尊)の子= 宇摩志麻治
*旧事本紀は 饒速日命の正式名を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」として、
天忍穂耳尊の子とします。??
*天照國照彦火明櫛玉饒速日尊
*天照國照 彦火明櫛玉 饒速日尊
神武天皇の正式名を「神日本磐余彦天皇」諱は「彦火火出見」。
*彦火火出見尊と同神
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宮下文書より(歴代天皇 皇后摂政 皇太子)
40代 川張雄王命
41代 禰利長男王命
42代 玉長彦王命
43代 波奈長王命
44代 照日彦王命 津波気比女命
45代 津気男王命
46代 種越彦王命 天佐比女命
47代 禰仲穂王命
48代 津加彦王命
49代 真加弥王命
50代 岩仲彦王命
51代 弥真都男王命 玉照比女命 五瀬王命(皇太子 五瀬命)
52代 波限建神日本磐余彦火火出見天皇(神武天皇)
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_tree_r_8249.html
高倉下という人物
「天香山命、木斉国にありし時、塾穂屋姫命を妃としたもう。」
この塾穂屋姫命は『勘注系図』が「天香語山命娶穂屋姫命、生天村雲命」の穂屋姫命となります。
また「香語山命、然后遷坐於木國熊野、而娶大屋津比賣命、生高倉下矣」
ととします。
http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/13-1nukigaki-hoakari-takakurazi.htm
天香山命には 大屋津比賣命という妃があります。
この妃との間に生まれたのが、高倉下で、熊野で神武軍を支援した人物と考えます。
http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/1-4arasaka.htm
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_tree_r_8858.html
「大和宿祢 及 海直系図」です。
尾張氏が 振魂命の子、天前玉命の後裔で、天前玉命の子を 高倉下とする。
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瓊瓊杵尊の降臨に従ったとされる 天牟羅雲命と天香語山命の子とされる天村雲命が 同じ人物か 否かは 不明。
真名井伝承だけで 同一人物と言えるのか?
真名井伝承は 敦賀にも ある。
真名井伝承がすべて瓊瓊杵尊に結びつくのか?
『勘注系図』には 天村雲命と瓊瓊杵尊が 同世代などという話は 出てこない。
『勘注系図』は 天火明を 天押穂耳尊の子とする。
記紀では 瓊瓊杵尊を 天押穂耳尊の子とするから 瓊瓊杵尊の同世代は 天火明。
瓊瓊杵尊の兄とされる人物。
香語山命の子なら 天村雲は 神武の 一世代前で 妥当。
倭宿禰の妻が 井光鹿で
井光鹿は 神武が 吉野で 会った女性。
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http://blog.goo.ne.jp/fuga_an/e/a2ccd3e793994f16e9d7b5794e1dc94d
山茂男命
阿津山男命
熱都丹波彦命
宮守男命
宮方男命
宮志津目男命
山宮男命
奈流男命
眞米山男命
玉武男命
見奈加男命
久良高命
岩長男命
宮守男命
御身彌男命
阿祖彦王命
阿志長男命
http://blog.goo.ne.jp/fuga_an/e/af359694b3830fdd5360c03c2ccff89a
祢仲穂王命
津加彦王命
真加弥王命
岩仲彦王命
弥真都男王命
日高佐野王命(神武天皇)
http://asiannet21.org/html/kakitu00.kakitu/index.html
日本神話で 日本国の始祖とされる、天照大御神(あまてらすおおみかみ)こと大日留女尊(幼名, 大市日女)は、伊座凪尊(田仁知日子)と白山日女(伊座波尊)の1女で、日本の東州(富士山北麓)と西州(淡路島)の血筋を引く両親から生まれた。
伊座凪尊は、東州に 移住した 国佐槌尊(神農氏7男)の5男で 知勇に 優れて いた。
また白山日女は、西州に 移住した 国常立尊(神農氏5男)の1女で、
悪神(悪人のこと)を説得し良民を愛すること兄弟子供を愛するがごとし、という人物像が記されている。
この2人が婚姻を結ぶことによって、東州と西州が統合され、最初に生まれたのが 大日留女尊(天照大御神)で、
地神1代、つまり日本国の始祖となる。
最初の国名は「豊阿始原瑞穂国」である。
首都は富士山北麓の「家基都」である。
富士山北麓の家基都時代は 約69年間続き、大日留女尊から5代目の時代に、震旦国舜帝有虞(うぐ)の筑紫への侵攻を防ぐために、筑紫島(九州)に遷都される。
その後、初代 宇茅葺不合尊から 51代 弥真都男王尊まで、
筑紫の高千穂が 首都となる。
富士北麓は 天社の地として残る。
弥真都男王尊の時代、紀伊国の長脛彦の反乱を 防ぐため 東征が 行わるが、皇太子の五瀬王命は 戦死、
父も 戦禍の中 伊勢で 病死、
そのため 皇太子となっていた 第四皇子の 佐野王が 諸国に 呼びかけ、
四道より攻め上り、近畿の乱を鎮圧する。
長脛彦は 津軽に 逃亡する。こうして筑紫の日向高千穂宮より 山表(やまと)へ遷都が 行われ、
佐野王は大和朝廷の初代となり、神武天皇と呼ばれる。
富士古文書は 文字を 知る 三十六神戸と呼ばれる 最も 古い神社の人々が 歴史を 記録し、
古代部分は 徐福が 集大成した ものとされる。そのために その後 隠蔽を はかる時の権力から 数々の弾圧を 受け、消失した ものも 多く、かろうじて残されたのが 「宮下文書」である
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