倭(왜)

勘注系図

라디오에요 2012. 5. 11. 10:02

http://neo-paradigm.littlestar.jp/nihonkodaishi/01_keizukaramita/index.htm

 

中でも取り上げていきたいのは籠神社に伝わる系図です。

海部氏系図(あまべしけいず)は、『籠名神社祝部氏係図』1巻(以後「本系図」と称す)と『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記』1巻(以後「勘注系図」と称す)とからなり、

ともに古代の氏族制度や祭祀制度の変遷を研究する上での貴重な文献として、昭和51年6月に国宝の指定を受けました。 

 

「勘注系図」は「本系図」に細かく注記を施したものです。

以下に勘注系図を記載します

 

http://www2.plala.or.jp/cygnus/st1.htm

 

    建伊那陀宿禰─志理都紀斗賣
             ├──品陀眞若王─三柱女王
         五百木入日子命        │
                      品陀和氣命(応神天皇)


 実は住吉三神もまたホアカリ系なのです。住吉大社は代々「津守氏」が 奉祭する神社であり、

同氏は『新撰姓氏録』摂津国神別に

  「津守宿禰。尾張宿禰 同族。火明命八世孫大御日足尼之後也」(大御
日足尼の 日は 田の間違いであろうとされています)

http://homepage2.nifty.com/amanokuni/sake-tori-kai.htm#amatorikai

3.鳥と酒
真奈井の天女は酒造りをしてました。白鳥になった倭建命の蝦夷東征の甲斐国の行宮には、酒折宮(さかおりのみや)というところがあります。隼人の祖、海幸彦(火照命)のお母さん、木花之開耶姫は、別名、酒解子神(さかどきこがみ)といいます。
この「酒」という字には「酉(とり)」という字が入っていますが、これは酒壺の象形文字だそうで、酒の別名を「水辺鳥(すいへんちょう)」というのは、「さんずいに酉」だからです。それにしても、「酒」「酢」「醤油」「味醂」「味噌」「醪(もろみ)」など、醸造技術に関係するものには、必ず「酉(とり)」の字が入っていますね。以上のような事から、私は、酒と鳥と海人には、何か関係があるように思うのです。
蘇利古」を伝えたという須須許理の酒が、日本では最初の醸造酒だったといいます。それまでの酒は、乙女に米を噛ませて醗酵させる原始的な「口噛み酒」だったそうです。とても美味しかったのでしょう、応神天皇は須須許理から献じられた御酒を飲んで、「須須許理が醸みし御酒に我酔いにけり、ことな酒、ゑ酒に、われ酔いにけり」と歌っています。朝鮮語では腐らすを「sag サック」といいますが、これが「さけ」になったんだそうです。応神天皇を祭神とする八幡神社が、「鳩」を神紋とするのは、この故でしょうか?
応神天皇の諱(いみな・本名)は「品家和気(ほむたわけ)」といい、
気比大神(神功の先祖、天之日矛)の「伊奢沙和気(いざさわけ)」と名前を交換していますが、語義は明らかでないものの、鳥っぽい気がするのです。名前の似てる11代垂仁沙本毘売命の皇子「誉津別(ほむつわけ)」は「鳥取」と関係深い人ですし、応神の皇子、仁徳天皇は諱を「大鷦鷯・大雀(おおさざき)」といい、武内宿禰の子で紀氏の祖、「木角(きつぬ)宿禰」と名前を交換していますが、大鷦鷯はミソサザイ、木角はミミズクのことだそうです。そして、大阪府堺市の仁徳天皇陵に比定される有名な前方後円墳は、別名、「百舌」鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)ともいうのです。仁徳天皇に謀叛を起こした異母弟の隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)は、やはり異母妹の雌鳥皇女(めどりのみこ・女鳥王/和爾氏系)と大和の倉梯山(阿倍氏の本拠地)に駆け落ちして殺されますが、これも鳥系の名だとうのは、言うまでもありません。他にも、仁徳記には、「鳥」が目白押しです。
また、
仁徳天皇の子、意富々杼王(おほほどのみこ)が、息長(滋賀県坂田郡米原町)の坂君、酒人君(さかひとのきみ・大阪市天王寺区玉造)、三国君(みくにのきみ・福井県三国町)らの祖となったと伝えられていますが、三国は坂井郡といったそうで、「坂田」「坂井」「酒人」と、どうも、「坂」は「酒」らしいような気がするのです。因みにこの三国君から、26代継体天皇が出ているのも興味深いです。
神功応神母子の腹心の武内宿禰の子孫には、蘇我・葛城・紀・波多などの有力豪族が有りますが、この蘇我氏の本拠地は「飛鳥」。飛ぶ鳥の明日香です。何より鳥系の地名といえば、蘇我氏系の皇子、聖徳太子の斑鳩(いかるが)でしょう。斑鳩(いかる)という鳥は、別名「三光鳥」といいます。「三光」とは、「月」と「日」と「星」のことです。斑鳩によく似た別の鳥の「三光鳥」が、「月、日、星、来い来い来い」と鳴くからだといいます。お能の「三輪」で、金春流のものに「三光」という副題が付いていますが、この「三輪」は「八百万の神遊、これぞ神楽のはじめなる…」と謡が入り、観世流でも「一子相伝の秘曲」であったそうで、「翁」と並ぶ、非常に権威の高い曲なのです。
あらすじは、「玄賓僧都(げんぴんそうず)の元へ毎日現れる女性に、玄賓は請われるままに衣を与えます。するとその衣が、三輪明神の神前の杉に掛かっているのを里人が見つけ玄賓に知らせます。玄賓が行って見ると三輪明神が現れ、天照大神の天の磐戸隠れを物語る。」というものです。「天の磐戸」っていえば、
天宇受売命ですよね。神楽のはじめは、やはり天宇受売命の舞だったのでしょうか? 三輪神はもしかして猿田毘古神だったのか?
しかし何故、三輪明神は天の磐戸を語るんでしょう? 源俊頼が関白藤原忠実の娘(後に鳥羽院皇后、高陽院かやのいん)のために作歌の手引として著した「俊頼無名抄」の中の、三輪神の御歌「恋しくは訪ひ来ませ千早振、三輪の山もと杉立てる森」が下敷きになっているそうですが、三輪神はこの歌を住吉明神に贈ったそうです。え? 津守氏の奉斎する
筒之男三神が三輪神と恋仲? とすると三輪神は女性だったのでしょうか? 「三輪」のシテも女性ですし、謎が残ります。それにこの御歌、浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」の「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」にそっくりじゃぁ、あぁりませんか。葛の葉狐ってのは、安倍晴明のお母さんなんですが、和泉といえば大阪ですから、津守氏系の仁徳天皇陵の堺にも住吉大社にも近いし、「イズミ」は「アズミ」の転訛と考えているので、阿曇氏にも関係ありそうだし、和泉から上陸した海人族は、生駒山を越えて奈良(大和)に入植したと考えられるので、大変興味深いですね。何れにしても、三輪神と海人は関係有りということです。
大きく脱線しましたが、話を戻しますと、奇祭「牛祭」で知られ、聖徳太子ゆかりの広隆寺の鎮守、太秦明神を祀るのは「大酒神社」といいます。、勿論、秦氏が奉斎しています。秦氏の祖には、酒公って名前の人までいます。聖徳太子の霊を慰める酒宴を題材にしたという「
蘇利古」を伝えた須須許理も、秦氏だったのではないでしょうか? 秦河勝は斑鳩の聖徳太子の腹心ですね。「蘇利古」の四天王寺の楽人は、秦河勝を祖とする東儀氏やその支族の安倍氏(膳氏系の阿倍氏とは、系図上は関係ない。)が多いのです。お能の観世家も秦氏なんですよね。秦氏の先祖は燕の卵から産まれたといい、伏見稲荷(倉稲魂命)や松尾大社(大山咋神)を奉斎していて、賀茂氏と関係が深い。賀茂も鴨で「鳥」ですよねぇ。稲荷は穀霊ってことで、「鳥」じゃぁありませんか? <神遣いは「狐」ですが。(笑)
秦氏は、「今来の伎才(いまきのてひと)」と呼ばれる、渡来系の技術集団を束ねていました。「今来」とは、「新しく渡来した」という意味です。 それならば、秦氏の前に来日していて、定着していた同族の渡来人がいたに違いありません。私は、その人達が、既に日本の為政者として君臨していて、秦氏などの新参者を、同族と認めた上で使役していたのではないかと考えています。
ところで、醸造技術といえば醤油も思い出しますが、和歌山や銚子など、有名な産地はやっぱり海人色の濃い所です。海人とは、新技術の伝播に大きく関わったガテンな一族ということでしょうか。(笑)


参考文献 : 梅原 猛 「海人と天皇」